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プラザ合意の際の具体的介入について

経済学の初心者ですのでよろしくお願いいたします。 1985年9月のプラザ合意で日本はアメリカのドル安政策に合意し次の日には20円も円高になっていたとのことですが、実際この為替レートの変化にどのような介入が行われたのでしょうか。 素人考えでは、外貨(つまり保有していたドル)で円を買うことにより、円高ドル安にしたのではと思うのですが。 よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

介入しません という宣言だったように覚えています。 円安 一ドル240円くらいを保つために、介入していたのを、 「今後はしばらく、市場のままに」 と宣言したので、円高が進んだ。 進みすぎた円高(世界的に言えば、ドル安)を軟着陸するためにどういう介入をするか?という会議が1987年のルーブル会議ですが、こっちは、うまくいかなかった。

bunichi
質問者

お礼

まずもってお礼が遅れてしまいましたことを陳謝申し上げます。 お知らせメールが何故か今日来ていました。申し訳ありませんでした。 さて、お答えいただいた件ですが、言い換えると、円安を保つためにドル買いしていたのをやめた事で円高に拍車が掛った。という解釈でよろしいのでしょうか。本当に素人で申し訳ありません。

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