大きな理由は、チベットの運動が亡命チベット人主体で、ダライ・ラマ14世(ノーベル平和賞受賞者)を中心に、非暴力主義と平和主義を貫き、とくに70年代の末にトウ小平が「独立という問題以外はいかなる問題も交渉で解決可能」と非公式に表明して以来、チベット亡命政府の用語では「中道の方法」という穏健路線をとっていること、普通選挙の民主政、環境保護、平和主義と、先進国にとって非常に説得力を持った運動をしていることです。
実をいえば、今年3月の争乱以前は、チベット問題もどっちにしろ日本ではほとんど報道されていませんでした。ダライ・ラマが来日してもニュースではとりあげず、そのかわりNHKの教養番組などでむしろ宗教的、思想的、文化的な切り口で紹介してたのがせいぜいのところです。
それに対して東トルキスタン独立運動は、イスラム教徒ですからイスラム圏ではかなり知られていますし、連帯や支持の動きもあります。ただそれが先進国にとっては厄介なところでもあり、また実際にその疑いも濃厚なのですが、独立運動が中近東を中心とするイスラミズム過激派運動と結びついている可能性、いつテロリズムを含む暴力的な運動に変わるか分からないと思われているところがあります。つまり非暴力主義と人権、環境を前面に掲げるダライ・ラマを中心とするチベットに較べ、とりあげにくいどころか、敵視しないと世論の反発すら出て来ると思われているわけです。ですから知ってはいても、報道したり支援したりしにくい。
またダライ・ラマという天才的なスポークスマン(いわゆる政治的発言の決まり事を常に破ってしまうだけに、逆に天才的--あるいはいわゆる“天然”?)が、東トルキスタン独立運動にはいない、ということもあるでしょうね。
北京オリンピックに向けてアルカイダが東トルキスタン独立支援でオリンピックをテロの標的にする可能性も取りざたされており、実際のところ北京政府ではそのことをかなり警戒しているようです。もっとも、それも含めてイスラム教徒への偏見ではないか、と言われれば、反論のしようもありませんが。
ちなみに、
> ナチスの鍵十字とインド伝来の「卍」が似ているのも、ヒトラー自身がチベットの何かに憧れていたから接点があったとの見方が有ります。
ナチスのカギ十字は同じアーリア系の優等民族とナチスの人種思想がみなしていたインドのヒンドゥー起源ですから、チベットとはなんの関係もありません。
> だから、かなりの数のイギリス人やアメリカ人が入り込んでいます。
いわゆる中国による「チベット解放」時にチベット領内にいた西洋人は6人、そのうち一人はオーストリア人の登山家です。イギリスはインドの領主としてダライ・ラマ14世の即位式に使者を出してますが、1950年以降のいわゆる「チベット解放」についてチベット政府が不当性を訴えた公式の書簡は、あらゆる西洋列強にも、国連にも事実上無視され、わずかに独立したてのインド政府が懸念を表面し、ダライ・ラマ亡命受け入れを検討し始めただけです。1970年代までチベットのいわゆる「味方」は、インド政府以外には日本の一部の仏教者と、「反共包囲網」で資金を拠出したCIAくらいなもので、かなり孤立していました。チベット問題が西洋で注目を集めるようになったのは80年代以降で、とくにダライ・ラマによるチベットを平和地域にする5項目の提案と、ノーベル平和賞受賞、 ほぼ前後して起ったラサ戒厳令あたりからです。
お礼
なるほど。 詳しい解説をありがとうございます。 東トルキスタンが良いとか悪いとかではありませんが 日本においてはメディアが取り上げる理由になりえるほどの魅力が無いということですね・・・。