- ベストアンサー
ショパンとジョルジュ・サンドの関係について
ショパンはワルシャワからウィーンに出て、そこからパリに行きサンドと出会います。そこで質問なのですが、私はずっとショパンとジョルジュ・サンドは恋人同士だと思っていたのですが、実はマジョルカ島とノアンで一緒に暮らしたというだけで、あくまで友人関係だったのでしょうか?結婚はしていませんよね? 最後にサンドと訣別して、その後、弟子のスターリングとイギリスに行って、またパリに戻ってきたショパンですが、そのパリで死んでしまいます(おそらく結核)。サンドが訣別しなくて、もう少し、ショパンのことを思ってもう少し看病していれば、ショパンはもっと長生きでき、次なる傑作も生まれたのではないかと思うと、悲しくなります。 ショパンとサンドとはどういう関係だったのでしょうか? どなたか分かる方がいましたら教えて下さい。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ずばり恋人だったのです。 ジョルジュ・サンドが社交界でショパンに近づきましたが ショパンは肺病でした。 どちらかというとサンドの一方的な恋のようにも見受けられます。 お医者様から暖かいところに療養を勧められ サンドの2人の子どもと一緒にマジョルカ島に行きましたが 村人から肺病(当時は不治の病で伝染するといわれていた)病み で嫌われて、やっとの思いで僧院のあとの館を借りることが 出来ました。 しかし、そこは山の上。寒くて逃げるようにサンドの別荘ノアン に移ったのです。 しかしなんといってもショパンは病的な性格の持ち主。 決別してしまいました。 死んだときもサンドは来なかったそうです。 当時の肺病、それも重症でしたから たとえサンドと一緒でも命は助からなかったでしょう。 これもショパンの定められた運命なのではないでしょうか。 ショパンのエピソードで 人と握手するのが気持ち悪く、いつも手袋していたそうです。
その他の回答 (2)
- Ta595
- ベストアンサー率57% (525/911)
こんにちは♪ ・・・と,出てきてはみたものの,実は特に詳しいわけでもないのですが(汗) もちろん二人は恋人同士であったと思いますが,当時のヨーロッパ上流階級の恋愛観・結婚観というのは,私のような庶民(^^; にはなかなかにはかり知れない部分も多いように感じています。 そんな中でもジョルジュ・サンド女史はかなりのクセ者(?)であったようですしね。 ご質問を読んで,もしもショパンが平和で豊かな国に生まれ,健やかに育ち,おだやかな愛につつまれて生きていたら,今わたしたちが聴くようなショパンの音楽は,はたして存在しただろうか? ・・・なんてことを考えたりもしました(^^ こちらはご参考までに。 http://members.at.infoseek.co.jp/pixy5/page110.html http://monpixy.hp.infoseek.co.jp/page1120.html http://pixy5.hp.infoseek.co.jp/page7a.html http://members.at.infoseek.co.jp/pixy5/page111.html 恋人同士だった時間・マヨルカで過ごした時間がショパンとサンドそれぞれの人生の中でどういう位置づけだったのかを知るうえで,個人的にはとても興味深く読むことができました。
お礼
いつもご回答ありがとうございます! やっぱり恋人同士でよかったのですね。 本を一冊読んで、恋人とは書いていなかったので、疑問に思っていました。 これですっきりしました。 >もしもショパンが平和で豊かな国に生まれ,健やかに育ち,おだやかな愛につつまれて生きていたら,今わたしたちが聴くようなショパンの音楽は,はたして存在しただろうか? 存在しなかったでしょうね。苦しい経験をしたからこそ、心に訴えかけてくるような音楽を書けたのではないでしょうか。
- anchan1
- ベストアンサー率25% (142/554)
他の回答者さんの答えに既にありますが「恋人同士」です 所謂 今言うところの「共依存関係の恋愛」でもあったんじゃないかと・・・ なぜ お互い惹かれあったのかな・・・と推測です サンド: 彼のずば抜けた才能と 繊細さ?に惚れこんで面倒を看る ある意味 ショパンの盟友?フランツ・リストに近いタイプ? 自由交際タイプ(プレイガール) ショパン: 先ず 自分の信じるところ、才能をズバリ鋭く見抜いていくれた人 →「皆は私の曲をどこまでわかっているのだろうか 他の表題付ける流行の作曲家と同じに見ているのでは? ・・・どこまで皆は私の曲を味わって聴いてくれているのだろうか」 と いつも思っていたような気がするんですよねぇ ショパンって人は。 そこを サンドは鋭く見抜いた!!から 確かな目(信頼)と尊敬の念もこめて見直してしまった。 次にナイーブ過ぎるわ やわな彼が辛いときにアネゴ兼母的な頼り甲斐があったので 頼ってしまった。 でもあまりにも正反対でうまくいかなかった 悲しい破局ですが、運命だったのでしょうね。 破局後の曲、深い悲しみが漂った美しい音楽が多いですね。 余談ですがショパンって自らの哀しみを昇華させた作曲家なのかと・・・
お礼
「恋人同士」なのですね。 それを聞いて安心しました。 マジョルカ島で一緒に暮らすので、友人なわけないですね。 それはもう友人の域を超え、恋人ですね。 ご回答ありがとうございます。
お礼
やっぱり恋人同士だったのですね。 生涯についての本を一冊読んで、恋人とは書いていなかったので、友人だったのかなと勘違いしてしまいました。 >当時の肺病、それも重症でしたから たとえサンドと一緒でも命は助からなかったでしょう。 これもショパンの定められた運命なのではないでしょうか。 たしかにそうかも知れませんね。最後は寝たきりになるほど肺病が悪化していたらしいですから‥。 ご回答下さってありがとうございます。