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死者逸失利益について
専門家の方に質問です。 慰謝料請求事件などにつき 死者に逸失利益が算定されることがあります。 通常、労働をして初めて給料がもらえるわけで、 死して労働できない状態になった以上 労働をしていたらこれだけの給料がもらえたはずだという仮定の考え方には無理があるように思います。 慰謝料の算定が困難であるためこのような消極的損害が甘受されているものと考えられるのですが、 実際はどうなのでしょうか? 死者の逸失利益については学説も分かれるのではないでしょうか? よろしくおねがいします。
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専門家ではありませんが、死者の逸失利益とは机上の空論ではないか、とのご質問について、私見を述べさせてください。 確かに、何らかのベネフィットを世に提供することの対価として報酬を手にするのですから、死して世にベネフィットを提供できなくなったのであれば、死者にとっての逸失利益は存在しないのでしょう。 しかしながら、死者が扶養する親族(子や配偶者や親)があった場合、親族は死者が生前に得ていた報酬や存命であれば得られたであろう報酬を死によって喪失し、それによる生活基盤を失うことになりますから、存命の親族にとっては「期待された生活基盤を喪失した」といえます。 親族にとっては、故人がどのようなベネフィットを世に提供したかではなく、“故人がどの程度の生活基盤を提供することが予定されていたのか”が重要です。もし、逸失利益としてこれを顧みないことになると、故人の親族は「殺され損」になってしまい、とりわけ生活の柱となる世帯主を喪失した場合の痛みは計り知れず、法益侵害の事実に対して十分な補償を得られなくなります。法益侵害の事実に対する補償とは、いわゆる競争原理が働くものではなく、侵害されたという事実に対するものでないと故人の親族にとってあまりに過酷に過ぎる、という社会政策だと理解しています。 例えば、現業を持っている人が殺された場合、隠居生活の人が殺された場合、未就労者が殺された場合のそれぞれで逸失利益の考え方は異なっていますが、共通しているのは存命であればどれほどの生活基盤を提供しただろうか、という点です。その期待可能性が大きければ大きいほど、逸失利益は大きくなります(具体的可能性が認められる範囲でしょうが)。 現実にはリストラ目前の人もいるかもしれませんし、浪費癖が著しかった人もいるかもしれませんが、「生きていたら却って負担を増していたかもしれない」と考えられる場合であっても、少なくとも報酬を手にしてきた実績や手にできたであろう期待はあります。特殊事情・間接的事情に引きずられて逸失利益を読み替える事になると、親族は故人の事情次第で(犯罪事実とは無関係な事情で)計算上の不利益を被ります。被害者親族に犯罪事実と無関係な事情で帰責事由を求めてしまうと、その分加害者は負担の軽減を得ることになり、犯罪行為と被害とのバランスを欠いた結果になるものと思います。 本質的には、死者の価値は金銭に換算できるものではありません。単に得ていた収入で人の価値が決まるものではなく、社会における存在の重要性が価値なのだとは思います。所得を得ていないけれど家族から深く愛されていた人がいますし、極めて高額の報酬を得ていたが家族から疎んじられていた人もいるものと思います。しかし、このような「存在価値」を金銭に換算することもまた、極めて抽象的・観念的・感覚的なもので、具体的ではありません。そこで、便宜的に得ていた報酬を計算根拠として逸失利益という考え方があるものと思います。 「逸失利益」は精神的な損害(慰謝料)をカバーするものではなく、親族にとっての失われた経済基盤の補償なのですから、私は合理的な妥当性があるものと思います。
お礼
ありがとうございました。 大変説得力があり感銘いたしました。