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大食いと食糧難の関係
大食い関係の記事などが出ると「世の中には食べたくても食べられない人がいるのに~」という意見がセットで出てきます。 特に大食いをやめたからといってその分が食糧難のところに届くわけではないと思うのですが、 なぜ、食糧難~という意見が出てくるのでしょうか。 それともこの意見は食糧難ではなく拒食などを指しているのでしょうか。 推論でかまいませんので考えを教えてください。 ※同意や単なる大食い否定は必要ありません。
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考え自体は相当昔からあるようです。 いつごろかはわからないですが、アフリカなどで飢餓に苦しむ子供たちの姿がテレビなどで放映され、 それで「食べたくても食べられない人がいるんだ」という考えが出てきたのだと思います。 それと同時進行くらいで、いわゆる「大食い」や「フードファイト」といったものが現れるようになり、 さきの「食べたくても食べられない人」のイメージと相反するものなので 「大食い=けしからん」ということになったんだと思います。 どのみち、マスコミ発で植えつけられた考えられ方なんですが、 私としてはその考え方自体は、まあ、間違ってはいないと思います。
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- cherrymoon
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まずは訂正を。 大食いで中学生は亡くなったのではありません。 水分を取らずに早食いに挑んだために喉を詰まらせて亡くなったのです。 当時、テレビで早食い大会もやっていましたが、傍らには飲み物が用意されており(大食いでもそうなんですけど)水分を取りながらの早食いをしていたと記憶しています。 大食いと早食いは別物ですので訂正をさせていただきました。 ほとんどの人が大量のものを食べられないから、その羨ましさの裏返しに言うのだと思います。 あれだけ食べれる人ってそうそういないですよね。 確かに一昔前はちょっと食べ方は汚かったですけど、アメリカに比べたらまだ綺麗なものです。 自分にないものを持っている人をあえて馬鹿にしたり中傷したりして、相手を異端扱いするのと同じです。 「食糧難~」と言うけれど、自分は食べ物を粗末にしていないか?と逆に尋ねたくなります。 大食いの人たちは食べた後にトイレで吐く、という話もセットで登場しますが、今はお医者さんも同行しているので食べすぎ・体調不良で吐くようなことがないようケアされています。 そういうことも理解しないで、自分と違うからって叩くときに出てくるのが「食糧難~」だと思います。 そして、「食糧難」は拒食とか発展途上国とかではなく、飽食の国の人間がまず最初に思いつく単語ではないでしょうか。 テレビのCMでも食糧難の子どもの映像が出る啓発CMがありますよね。 それの印象が強いから用いている。 引き合いに出すわりに言っている人はそこまで食糧難の人たちのことを考えちゃいないです。 考えているなら先に行動していますし。 あまり知られていませんが、過去に大食いの人たちが賞金のある大食いチャレンジに挑戦し、それを得たお金を当時は阪神・淡路の大地震の被災者に寄付していました。 自分たちの特技を活かした善行もあることを知って欲しいですね。
お礼
大食いではなく早食いなんですね。興味を持ったので調べてみます。 羨ましさの裏返しという発想はありませんでした。なるほど、そういう考えもありえますね。 参考になる意見ありがとうございました。
- hirarno36
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なんだか未成年殺人事件があると、イコールゲームのせい、というのと何処か似ています。食糧難の方に食糧を送っているということがよく放映されていますが、事実届いて行き渡っているかというと疑問です。 食糧確保のための運動をしないかぎり根本的解決には結びつかないような気がします。 大食いは・・・単に槍玉に挙げられたとしかいいようがないです。一人や二人大食いがいたとて、毎日大量に捨てられる食糧がなくなるわけではありません。 マスコミは善玉を説明しやすくするためにときどきこういった方向のおかしな悪玉を挙げて説明しますが、はっきりいって的外れです。
お礼
ありがとうございます。 たしかにマスコミは批判する時に一箇所を集中攻撃しますね。 完全な悪を作った方が批判しやすいという考えなのでしょうか。 食糧難の考え方が多いのはテレビなどに影響された結果なのでしょうね。
- yama1998
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大食いでのどを詰まらせて死亡した事件があったからでしょう。 それまでは否定的な意見はあっても大きく取り沙汰されてなかったかと思いますが、死亡事件を受けてからマスコミやメディアが大きく取り上げて問題を一気に出したのでしょう。マスコミも手の平を返したように食料不足の地域などを取り上げて批判をしたりしたわけですから。マスコミも記事を売りたいわけですから、それを利用しているのは今も昔も変わらないでしょう。相撲の力士死亡事件も今までいじめなどは日常的に行なわれていたのに取り上げず、事件がおきてからここぞとばかり、ですからね。
お礼
ありがとうございます。 マスコミの影響は強そうですね。 相撲の力士もそうですし、食品偽装なんかもなんでそこだけ?と思うくらい一点集中してますし。 死亡事件というのは知りませんでしたが、そのマスコミの批判がどんなものだったのか見てみたいです。
- kokuzo
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非難された大抵の方は飽食の国に住んでいます。では、その方は「自分の食料を半分に減らして」食糧難の地域に寄付しているわけでもない。 ならば、TV番組の人と何が違うのでしょう? 人は鏡といいますからね・・・ 自分の、気になる部分を見せられたときに 無意識に反発をします。 私が思うに「多い」か「少ない」かではなく 「贅沢」とか「豪華」とか「質素」とかでもなく 目の前にある食べ物を「ありがたく食べる」方が 尊いのだと思います。 ありがたそうに食べる、嬉しそうに食べる、 楽しく食べる、そして感謝をする。 それが「ありがたく食べる」という事だと 思います。 目の前の調理した人が喜ぶような「食べ方」が 尊いと思います。 そうすれば、調理した人は食材を提供した人に 「感謝」がうまれます。 そうすれば、食材を提供した人は生産者に 「感謝」がうまれます。 そこに「感謝」があるか否かが 真に問われるべき問題だと思います。 と言う事で私の結論としては、 大食いと食糧難は結びつきません。 よって、なぜ非難をするかという答えは 自分が食料を粗末にしている無意識の 自責の念によって生まれるのだと思います。
お礼
ありがとうございます。 自責の念。たしかにそうですね。 大食いに限らず食べ物を残した時にも食糧難を引き合いに出す人がいますが、それも同じ理屈なのかもしれませんね。
- ddg67
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今の大食いはキレイに楽しく食べますから見ててこちらは何とも思わないのですが(ギャル曽根とか、ま50歩ぐらい譲って可愛いというのがありますが) その昔のテレビ番組の大食いというのは、無理やり口に突っ込んで、食べかすがそこらに散らばりまくり、表情も鬼のような顔をして、食べるという行為を楽しむんじゃなくて、無理して食っている状況というのが主でした。 楽しく食べているのなら、それはそれでいいのですが、無理して食べているので、どうしてもそこからもったいないや汚いなどを思い浮かべます(出てくる大食い王の女性がブスというのもありますが(゜O゜)☆\(^^;) バキ! 見た目から来る違和感などが大きな要因の一つとなっている事もたしかですね。
お礼
ありがとうございます。 食べ方が汚いというところからどのようにして食糧難に結びつくのでしょう。 単に嫌いなら嫌いで済ませれば良いと思うのですが、 #2のhunaskinさんの意見のように、理由を後付しているという認識でよろしいでしょうか?
- hunaskin
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感情論なんでしょうね。 大食いと食糧難、全く別個の二つの事柄に関連する部分(ものを食べる)があることから連想し結びつけてしまうのでしょう。 また、社会全体の食べ物を無駄にしない、という考え方が食品の無駄な流通を抑制して、今より公平な分配が行われる可能性はあると思います。 そういったことを考えてみると、個人の大食いやイベントが社会全体の雰囲気を左右する、という考え方もあるでしょう。 もうひとつ、大食い自慢そのものを下品な行為だと捉えて、非難するために後付で理屈をつける場合もあるかと思います。 私は大食い番組は好きなほうですが アメリカの大食い大会なんかだとそれこそ速く大量に食べるためにおよそ食事とはかけはなれたテクニックを使うひとが多くいて楽しめません、というのは個人的感想です。
お礼
ありがとうございます。 たしかに大食いと食糧難は一見対極に見えますから結びつけやすいのでしょうね。 個人の大食いやイベントが社会全体の雰囲気を左右する、というのも納得です。 テレビに出るぶん影響が出やすいですし、真似して挑戦して残したらもったいないなと感じるかも(実際に大食いに挑戦しているところを見た事がないのであくまで推測ですが)。 そういった感情が食糧難という考えに向かうという事なんでしょうね。
お礼
なるほど、大食い=悪という考えの人が結構な数いるので何でなんだろう?と思っていたら テレビからの流れなんですね。なんだか納得しちゃいました。 ありがとうございます。