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刑事と民事の判決の乖離をどう理解するの?

10月28日に草加事件(女子中学生殺人)の民事裁判の判決があり、無罪となりました。地裁・無罪⇒高裁・有罪 ⇒最高裁・差し戻し⇒高裁・無罪との流れですが、一方で 少年審判(刑事裁判・相当)では最高裁まで行き,有罪が 確定しています。当時,少年だった被告の弁護側は今回の 民事・無罪で「刑事」についても実質無罪⇒冤罪との理解 とマスコミ等にありました。 米国では高名なフットボール選手の妻・殺害事件や服部君 事件等で刑事無罪・民事有罪との「食い違った」判決をよくききますが、日本でも別にめずらしいことでもないのでしょうか? 罪を犯したと司法が認定したから賠償もさせる、賠償させないのはそもそも罪をおかしていないと認定したからというのが「常識」かと思いますが、刑罰の中身が違う「別々の裁判」ということで、判決の乖離は議論の必要がないというのがプロの「判断」なのでしょうか? お教えください。

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  • kanarin-y
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回答No.2

一般的には刑事と民事の判決の乖離する理由は,回答No.1の通りです. 判断の基準が違うと言うことです. 大雑把に言えば, 刑事→検察官の言うことにほぼ間違いないか 民事→どっちの言ってることがより真実らしいか 証明すべきハードルの高さが違いますので,刑事無罪,民事有罪と言うのは間々あります. しかし,今回の草加事件はちょっと特殊です. 刑事(厳密には少年審判ですが)有罪,民事無罪と逆ですよね. 普通であれば刑事について再審をして無罪となる可能性が高いと言えます.したがって刑事と民事の判決の乖離は解消されます. しかし草加事件では少年事件であり,少年審判では再審を認める規定がありません.「非行事実あり」と言う審判を覆すことはできないのです. いわば法の不備を民事で補わざるを得ない状況は議論の余地は十分にあります. ちょっと詳しい話をすると,保護処分の期間中であれば保護処分の取消しという事で事実上の再審を認めていますが,保護処分が終わってしまえばできません.

omoshiroku
質問者

お礼

有難うございます。 本件、「普通であれば刑事について再審をすれば無罪の可能性が高い。再審のない少年審判である以上、法の不備を民事で補わざるを得ない状況。」は理解できました。 仮にこのまま確定しても原告・被告とも納得いかないでしょうし、「法」が人を裁く限界といったものを感じます。

その他の回答 (1)

  • teea
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回答No.1

 刑事事件と民事事件の判決に乖離があるのは、日本でも過去に 幾度もあります。(無茶苦茶多いわけではありませんが、そんな に少ないわけでもありません)  なぜ、そのようなことが起こるのかは、刑事と民事の考え方に 違いがあるからです。  刑事事件では「疑わしきは罰せず」という考え方で審理されて いきます。  従って、裁判官が「こいつは怪しいなぁ」と思っても、確固た る証拠がなければ「無罪」判決を出さなければなりません。  これは、「有罪」=被告の自由を拘束(場合によっては死刑) することになるため、慎重に審議しましょう!という考え方に基 づくものです。  それに対し、民事事件に関しては、裁判官は自由心証主義を採 用しており、ようは「こいつは怪しい」と思えば「敗訴」させる ことができることになります。  これは、仮に誤った判決が出されたとしても、人の自由を拘束 するものではなく、後でその損害を回復することが可能だからで す。  上記が、民事事件と刑事事件で間に乖離が生ずる理由となって おります。  私が知っているだけでも、結構ありますよ。このような判決は。  実際にあった例として、強姦事件ですが、刑事事件では無罪な のに民事事件で損害賠償を命じられた事件などがありました。

omoshiroku
質問者

お礼

有難うございます。勉強になりました。 刑事事件は人の(身体的)自由を拘束しうるから慎重審議、一方で民事は裁判官の自由心証主義というのはよく理解でき、特に刑事・無罪、民事・有罪の場合はいかにもと 思えます。ただ、本件のように刑事が有罪(民事・無罪)となると、審議を重ねた上で有罪にしたのだから、よほど 刑事担当の裁判官は確信しているはずなのに・・・という 素朴な疑問はあります。 「一市民」としては犠牲になった中学生の親御さんは、ただ混乱するばかりで、やり切れない思いが残るのではと感じています。 法律とはつくずく難しいですね。