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接客に見出す喜びと現実・労働と充実感

どうもこんにちは、そろそろバイトを始めて1年間になると思います。 塾の講師ということでサービス業になると思いますが、最近になり悩みが出てきました。 1.接客に見出す喜びと現実 講師ということで当然人前で話す機会が多くなりました。 生徒の前で授業を展開する時があれば社員や他講師の前で話す時もあります。 自分ではプレゼンテーションが少しはうまくなったのではと思います。 1回の授業で生徒にぜひ自分の担当になって欲しいと言われた時は感動も覚えました。 しかし、最近になって現実が見えてきてしまいました。 問題のある保護者、生徒もいることです。 塾は成績を上げたい子供が通う場ではありますが、成績を上げさせたいという保護者が「通わせる場」でもあります。 すると当然何しにきているのか?というような生徒が来ることもあります。 その生徒一人のせいで辞めた生徒、逃した生徒も多いです。 保護者に問題を伝えても逆切れするような人がいます。 また、何でもないようなことで突然大声を荒げて塾に乗り込んでくる人もいます。 辞めてもらうのが一番なのでしょうが、「数字」のしがらみがあるので辞めさせることはできないそうです。 正直なところそういった生徒、保護者はどうでもいいというのが本音です。 冷たいかもしれませんが自分の信念で思っています(文字数制限で詳しくは書けませんが) これは自分が「仕事の現実」から目を逸らしているからでしょうか? ハッキリ言ってこれが仕事の現実であるならこういったサービス業には将来就きたくないなと思います。 人前で話すのは大好きですし色々な人と触れ合うのも好きですが、そういったマイナス部分に目を向けるのが嫌なのかもしれません。 真摯に向き合うこと、うまくかわすこと、どちらが大人になることなのでしょう。 また、大人にならなくては労働社会に出てやっていけないのでしょうか? 2.労働と充実感 1.の考えから転じて労働とはなんだろうと思いました。 正直、儲かり合法ならデイトレでも何でもいいのでは?と。 デイトレなど自分で使える時間が多すぎると精神的に辛いところがあるそうですがどうなのでしょう。 自分も春休み、バイトがなかったら仲間との麻雀に明け暮れていた気がします。 それと人と触れ合う場が無いというのも怖いかもしれませんね。 例えば極端ですが5億の資産+無労働と約40年の労働、比べれば当然前者ですが 充実感を得られるのはどちらかという問題ですね。 前者の話というのは学校でもなかなか聞けないので気になります。 何が言いたいのか書いていて自分でも分からなくなったのですが、 タイトルと内容を見て色々教えていただけたらと思います。 自分はまだ若く、正直モノを知らなさ過ぎたのかなと思っています。 よろしくお願いします。

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回答No.2

>これは自分が「仕事の現実」から目を逸らしているからでしょうか? その通りです。 奇麗事ばかりで現実が片付けば誰も苦労しません。 >真摯に向き合うこと、うまくかわすこと、どちらが大人になることなのでしょう。 どちらが、と考え込む時点で子供なんですよ。 どちらもです。答えになってないと思われるかもしれませんが、それが大人のずるさです。 大人の基準は自分です。考え込む必要はないんですよ。 >大人にならなくては労働社会に出てやっていけないのでしょうか? 多少出遅れますが、出てから大人になっても間に合います。 >儲かり合法ならデイトレでも何でもいいのでは? その通りです。 リスクはきちんと学んでください。 暇なデイトレが儲かるという話は聞いたことがありません。 それと麻雀は常勝でしたか? 長時間楽しく打って、尚且つ常勝だったというならデイトレも向いてるかもしれません。 >5億の資産+無労働と約40年の労働 5億の資産をうまく使えば、約40年の労働とは比較にならない充実感を得られるでしょう。 必ずしも働いてれば充実ってわけじゃないです。

nodnon
質問者

お礼

>大人の基準は自分です。考え込む必要はないんですよ。 とても納得させられました。なるほど・・・。 >暇なデイトレが儲かるという話は聞いたことがありません。 もちろん研究が大事ということはよくわかっています。 開いている時間を有効利用できるかで結果は変わってくると。 麻雀はセットでしたが、勝率は7割~くらいでしょうか。 >必ずしも働いてれば充実ってわけじゃないです。 それが現実でしょうかね。なにを根幹に据えるかってことでしょうか? 全体的にとても答えてもらいたいポイントを押さえて答えていただき わかりやすかったです。回答どうもありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#60420
noname#60420
回答No.4

現在のアルバイトはサービス業の中でもB to C(個人消費者向け) であるがため、様々な細かいことに悩みがちなのだと思います。 サービス業にはB to B(会社向け)の業種もありますので、 (例:経営コンサルタント、広告代理店など) そのほうが向いているかもしれません。 私の経験則的には、B to BのほうがB to Cよりも理不尽な苦労を する可能性が低いと思います。

nodnon
質問者

お礼

なるほど、B to Cの仕事はやったことがないですしね。 一度インターンシップなどでやってみようかと思います。 相手も企業ですしね。 回答ありがとうございました。 もう少し締め切らずにご意見いただけたらと思います。

  • kuri-haya
  • ベストアンサー率19% (6/31)
回答No.3

職種は違っていても、仕事は仕事。 サービス業だから?ではありませんよね。 生徒が・・・保護者が・・・ 上司が・・・後輩が・・・ 環境は違っても社会に出たら必ず同じような悩みが出て当然です。 比例して、嬉しい出来事も出てきます! 何の為に働くか。 大人、子供、若い、老い、関係ありません。 働く意味、そこにいる自分の存在、そして意思です。 環境のせいにしたくなるのが人間ですが、それは自分勝手。 気になる生徒がいるなら、とことんまでその生徒と話をする。 保護者の方々にも同様に。 見てみぬふりは解決にはなりません。 職種を変えたいと思うのであれば、変えてみてはいかがですか? それも経験です。 >>例えば極端ですが5億の資産+無労働と約40年の労働、 お金があるときは暇がない。 暇があるときはお金がない。 私はそんなもんだと思います。 40億の資産でも、20万円の月給でも、5万円の月給でも、そこに意味を見出すことが全てではないでしょうか。 >>そういった生徒、保護者はどうでもいいというのが本音です。 どうでもいい人間はいません。その信念は改めてください。 何に喜びを感じたいですか? 自己中心的な大人と、どんな人でも思いやれる大人、 どちらになりたいですか? >>問題のある保護者、生徒もいる その問題が解決した時は最高に嬉しいんじゃないかな ^-^

nodnon
質問者

お礼

>生徒が・・・保護者が・・・上司が・・・後輩が・・・ 今は幸い職場に恵まれていると思っています。 ただ顧客に対する問題と人事的な問題では全く異なると思っています。 というかもちろん上司に色々と不満は持っていますが悩みとは別ですね。 それは「それ」として考えられます。 ただ塾という性格上、ほとんどが直接顧客(生徒・保護者)を目の前にしての営業なので 自分の仕事の大部分を占める、根底である部分で迷いが出ているのです。 >気になる生徒がいるなら、とことんまでその生徒と話をする。保護者の方々にも同様に。 職場の満場一致でどうしようもないという結論に至っています。 もちろんこれはダメなのかもしれませんが・・・。 例えばこんなケースがあります。 「習い事で疲れてるから授業中あまり勉強を強要しないで欲しい、でも塾なんだから成績は上げろ」 「こっちはお金を払っているんだからどんな状況でも上げて当たり前」 「できなかった場合には辞めさせてもらう。」、もちろん話し合いの場を設けました。 そうしたら金の時計やサングラスを身に着けたお父様が出てきました・・・。 >どうでもいい人間はいません。その信念は改めてください。 とのことですが、どうでもいいというのは間違っていたかもしれませんが、 どうしようもない人間はいると思っています。 もちろんそれは過程を経ての結果の存在だとは思いますが。 >自己中心的な大人と、どんな人でも思いやれる大人、 もちろん思いやれる人間になりたいとは思っています。 ただしどんな人間にもというのは考えていないです。 回答どうもありがとうございました。

noname#140971
noname#140971
回答No.1

質問者の悩みは、サービスの提供者と受け手の思惑の不一致という現象面。 これは、まあ、疎外論の入り口で右往左往しているようなものじゃないですかね。 >人は山谷を悪く言う だけど俺達いなくなりゃ >ビルもビルも道路も出来ぁしない ところで、労働とは人間の大脳を含む肉体能力をもって自然を変化させる諸活動。 山谷ブルースが言うように、この労働なしには社会は一日も存立できません。 そういうことで、労働は人間生活の基本的かつ永久の条件と規定できます。 まあ、「人間止めますか?それとも働きますか?」という位置付けにあるのが労働です。 >工事終わればそれっきり お払い箱の俺達さ >いいさいいさ山谷の立ちんぼう 問題は、労働は、労働環境の所有者が労働者を雇用することで実現していること。 例えば、建物と資金を有する塾経営者がいて質問者が講師として雇用されているようにです。 こういう関係下では、必ず、講師の理想と塾経営者の利潤重視の姿勢との矛盾が生じます。 こういう関係下では、必ず、講師の労働の対価は、必ず、一旦、塾経営者の懐に入ります。 塾という社会的な器に相応しい労働であっても、その利益の扱いは塾経営者の超私的。 そういう点では、<山谷の立ちんぼう>も塾の講師も同じ立場にあると思いますよ。 ここら辺りの、私は疎外論の本質があるように思いますね。 サービスの提供者と受け手のほとんどは、お互いに立場を同じくする者同士じゃないですかね。 そこに理不尽と思える保護者がいても、それはそれです。 「人生で成功するための教育を子供に強いる」-この誤った考えも親心のなせるワザ。 そのように考えれば、許せるでしょう。 第一、思惑の不一致は単なる物の見方・考え方の違いで、労働の本質的矛盾じゃないです。 労働の充実感という切り口で言えば、塾資本と塾労働者という関係にこそ目を向けるべきでしょう。 >だけど俺達ちゃ泣かないぜ 働く俺達の世の中が >きっときっと来るさそのうちに >その日にゃ泣こうぜうれし泣き まあ、「団塊の世代」の私は、どうしても、こういう切り口になりますね。

nodnon
質問者

お礼

>まあ、「人間止めますか?それとも働きますか?」という位置付けにあるのが労働です。 労働なくして社会が成り立たないというのはよく分かります。 >ここら辺りの、私は疎外論の本質があるように思いますね。 なるほど・・・まあ経営者には経営者の立場や事情がありますからね、 というのは理解できているのですが・・。 しかし、総合的に明らかにマイナス(数字で見ても)を招いているので ビジネスとしてみてもお断りする方が得策だとは思うのですが。 >労働の充実感という切り口で言えば、塾資本と塾労働者という関係にこそ目を向けるべきでしょう。 そうですね、自分としてもこのまま終わるというのはもちろん嫌です。 資金を貯めるために今は労働者としていますが。 問題は根底から突き詰めてみろってことですかね? 回答どうもありがとうございました。

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