- ベストアンサー
whereとwhich
こんばんは。 よろしくお願いいたします。 He showed me the place (where,which) had once been the churchyard. ( )から適語を選ぶ問題です。 私はwhereだと思ったのですが、答えはwhichです。 どうしてでしょうか。 よろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 ご質問: <どうしてでしょうか。> 関係詞の中で、先行詞が主語の働きをするからです。 1.先行詞はすぐ前にあるthe placeになります。 2.関係詞節内を見ると、主語がないのがわかります。 3.つまり、先行詞the placeは主語になることがわかります。 4.先行詞を関係詞節内に戻すと the place had once been the churchyard 「その場所は以前教会だった」 となり、the placeは主語になるのです。 5.先行詞が主語になるので、関係詞は「代名詞」の働きをする関係代名詞がきます。 6.whereは「副詞」の働きをする関係副詞、whichは「代名詞」の働きをする関係代名詞になります。 6.よって、whichが正解となります。 7.文の意味は 「以前教会だった場所を、彼は私に見せた」 となります。 ご参考までに。
その他の回答 (2)
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
アメリカに住んで40年目になりました。 私なりに書いてみますね。 the placeが来ると場所だな、そうすると、関係詞のところで習ったwhereだ、と思ってしまうような教え方をされたのかもしれませんね。 英語の文法とは「言っている英文とその英文を理解すると言うこととマッチ」させるために習うことだと言う事はお分かりですね。 つまりHe showed me the place which had one been a schoolyard.と言う文章を、もと学校だったところを見せた、と「文法的に理解」出来ても、意味が分かっていないのでは大きな問題になるわけですね。 なぜなら、もと学校だったところを見せたとは言っていないからなのです。 エッ、本当? と言いましたか? はい、そう言う事です。 文法には、基本的な表現「方法の規則」を覚える事と、その文章が言っている事を理解する力を持つ、と言うことを「手助け」するものでなくてはならないのです。 この文章で、一つの文法の知識は、the place (????) had once beenと書かれている、と言う事は、He showed me the place where had once been the churchyard.と言う表現では何を言っているのかネイティブには理解できない、推測はしてもらえるかもしれませんが、文章だからなのです。 つまり、the place where had once beenと言う表現は使わないのですね。 使わない理由は、これでは、もとchurchyardであったところを、と言う意味にはならない、とするからなのですね。 言い換えると、had once beenと言う動詞句には主語が必要だからなのですね。 He showed me the place where I was born.と言うようにwhereの後が文章になっていればいいわけです。 ここにwhichは使えないのですね。 at whichと言う風にするか、which I was born atと言うように持って行く事もできないことはありません。 でも、今回の場合には主語がwhereの前にないと言うことから、whereの後は文章になっていないといえるわけですね。 よって、この一つの文法ではwhereが来なくてはならないわけです。 そしてもうひとつの文法があるのを忘れてはなりませんね。 whereではなくwhichを使ったらダメだと書きましたね。 しかし、それと同時に、分かってもらえるかもしれないとも書きましたね。 しかし、次の文法はこれがwhereでもwhichが使われても、分かってもらえないと言う大きな問題が起こる文法なのですね。 これを無視しては文法を知っているとは決していえないし、相手には言おうとしている事が分かってもらえないし、これを言われたら何を言っているのか、なぜこれを言っているのか、どんなフィーリングを持っているのかと言う言葉としての文法が生きてこないし、「通じない」と言うことになってしまうわけです。 通じない英語や通じない日本語訳では、この文章を理解していない、と言うことになるし、100%間違っていると試験ではなるわけです。 これを言って人が何を言おうとしているのか、なぜ、この文章を言ったのか、と言う大切な部分について書きますね。なぜなら、これを理解していないと言う事は他の文法についても知らないのではないかと思われてしまうからなのです。 キーワードはchurchyardなのです。 教会があったところ、と言うと何か神聖なもの、と言うようなプラスのフィーリングを感じますね。 お寺があったところ、と言ったらどうですか? やぁだ、と思いませんか? なぜなら、お寺=お墓のあるところ、と言うイメージ(事実がほとんどでしょうが)がありますよね。 ここに彼と結婚したら家を建てるんだ、と言う状況であれば、何かすばらしい新婚生活ができそうだと言うフィーリングがおきますよね。 では、お寺だったところ、だったらどうですか? 人間は埋もれてはいないですが、お墓があった所、では、ここでの新婚生活は???となりますよね。 ここに大きな文法が働いている、と言うことがあるのです. 文章とはフィーリングを表現し、フィーリングを感じさせるものである、と言う文法が日本語では、敬語を使うべきところでは敬語を使う、適切な単語を選ぶ、言いたいことをちゃんと分かってもらう表現をする、と言う文法がその文章を作っているわけで、正しい文章の構造を作ると言うのがこの回答の前半にあたる部分でした。 そして、正しく適切なフィーリングをつかむと言う文法知識を日本語では「訳」と言っているわけですが、この教会と言う部分をお寺と訳したら「文法に沿っていない」つまり、言いたい事が通じない、感じて欲しいフィーリングを感じてもらえない、と言うことになるのはお分かりですね。 もとお寺であったところを見せてくれた、と言った場合と、元教会であったところを見せてくれた、と言った時では、極端なことを言えば、正反対の反応が起こる訳になってしまう、と言うことになるのは分かりますね。 これが、キーワードのchurchyardなのです。 ここに家を建てて住むんだ、と言われたら、まず100%に近い人が、特に女性だったら、いやな気分になると思うと言ったらなぜ?と思いますか? churchyardとは、教会ではなく教会に付属する土地と言う意味で、ここまではまだ問題ないですね。<g> しかし、教会に付属する土地と言う事から、「実際に、死んだ人間の体が埋もれている墓地」と言う、土葬されている土地のことを示す単語なんですね。 ここに、アメリカのホラームービーで有名な「ゾンビ」などが地面から手を突き出す場面なのですね。 灰になっていて「幽霊」と言う真理的なものではなく、死体が埋もれている場所、なのです。 どうですか? この教会の墓地があったところの上に俺たちの新宅を作るんだ、と言われたら、どう思いますか? 教会があった所、とは正反対のフィーリングを感じませんか? つまり、単語が違い、家を建てる、建物を建てる、小屋を建てる、と言うような小さな誤訳であればまだ許されるわけです。 なぜこのことを書いているかお分かりですか? 私がここに来た時に、同じchurchyardと言う表現を聞いて私は教会の土地・庭と思っていてプラス的に反応した私に首をかしげた人のことをいまだに覚えているからなのです。 今思えば恥ずかしい理解をしてしまい、この表現を日本語訳にしなくてはならなく、この非常にマイナス的な表現を出さずに訳していたら、いくら関係副詞の事を説明できても冷や汗が出るほどみっともない訳をしていた事になると思います。 私の英語力の信頼性はいっぺんに消えてしまうでしょう。 と言うことで、二つの大切な文法を、特にフィーリングを動かす一般的に感じさせる社会文法の知識を私の経験を添えて書かせてもらいました。 つまり、この文章では、ここは墓地だったところなんだ、と言う文章になりえる文章であるわけですから、墓地であった、と言う表現の持つマイナスのフィーリングを感じてもらいたい、と言うことを感じとれる「本当の意味での意味合い」を感じ取れるような文法力を持ってもらいたい、と切に願って書いてみました。 参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
お礼
ありがとうございました。☆ Gさんの経験がとても参考になりました☆
- seegrammar
- ベストアンサー率25% (253/974)
基本的なこととして where や when などの関係副詞はその後の文が「完全文」になる必要があります。 つまり where のあとにいきなり had と来た時点で「おや」となるわけです。
お礼
ありがとうございました。 参考にとてもなりました☆
お礼
ありがとうございました。 とてもわかりやすかったです。 また1つ勉強になりました☆