• 締切済み

気が利く人の動機

自分の評判を上げるために気を利かせる人もいますよね。 例えば飲み会で、男の子からよく思われたいので料理をとってあげたりする、とか…。 そうではなく、天性の気遣いというか、普通に振舞う中で自然に気を利かせている人もいますよね。 そういう人はどういう気持ちで気を遣っているのでしょうか。 どういうことを考えていらっしゃるんでしょうか…。 ……こういう質問が出るということは、私は超気が利かないヤツです。 でも改善したいので、よいアドバイスをいただけたら嬉しく思います。

みんなの回答

  • tokyo-k
  • ベストアンサー率56% (32/57)
回答No.11

私の場合、簡単に言うと 「持ちつ持たれつの構築」とでもいいましょうか…。 人は、何かをしてもらうと 次は、自分がしてあげないとバツが悪くなるものです。 (例外な人もいますが…) 自分が、いつも絶好調でノーミスならいいですが、 そのような事はありませんよね。 だから、相手が困っている時に助けておけば 自分が困った時に、助けてくれるかもしれない… という思いからです。 これが「持ちつ持たれつの構築」です。 または、人をコントロールする方法でポピュラーな手法として 「恩を売って従わせる」という人も私の周りにはいました。 いずれにしても、そこには計算が働いていると思います。 究極をいえば、仏教の世界になってしまいますが、 大乗利他、つまり「他が為にという気持」を 信念にそれを実践している人もいるでしょうけどね。 きっと、幼少期などの教育が良かったのかもしれません…。

studiobb
質問者

お礼

ん~なるほど……。 ギブアンドテイクなんですね。 ある程度の計算は働くと…。 いい人すぎてはやって行けない、ということですね。

noname#132831
noname#132831
回答No.10

 男性です。僕の回答は、ちょっと理屈っぽいかもしれません。  同じ親切な振る舞いをしても、その動機は、「嫌われたくない」「良く思われたい」だったりします。その思いが強ければ強いほど、そのことで頭がいっぱいになり、他人を思いやる気持ちがおろそかになります。  「良い子でいないと自分は受け入れられない」と思っている人たちがいます。普通は、良いことも悪いこともしなければプラスマイナス0で、悪いことをすればマイナス、良いことをすればプラス、というバランス感覚な訳です。この平衡感覚は考えて作られたものではなく、自然に身に付いた感覚です。  さて、親切な振る舞いの動機ですが、親切なことをすると他人が助かります。自分の行動で他人が助かる訳です。すると、自分の行動には影響力が有ると感じることが出来ます。大げさに言えば、自分の存在には意味がある、と感じられます。もっとも、これは裏の面で、本人はその人の為になると思って親切な振る舞いをしています。  不幸にも、バランスの崩れた感覚にとらわれている人たちは、親切をしてもマイナスの値が少し減るだけで、プラス(自分の存在には意味があるという快感)に傾かない(また、そう予測してしまっている)のです。この快感は、実際にその他人がお礼の言葉を述べなくても、人の役に立つだろうと予測(喜ぶ顔が想像)できた時点で発生します。たしか、マウスの実験か何かで、そういうのがあったと思います。  人は快感が得られた体験を繰り返そうとします。だから、自然に親切な振る舞いをするのです。これが、僕の現在版“性善説”の理論です。

参考URL:
http://www2s.biglobe.ne.jp/~musimusi/coach18.html
studiobb
質問者

お礼

>同じ親切な振る舞いをしても、その動機は、「嫌われたくない」「良く思われたい」だったりします。その思いが強ければ強いほど、そのことで頭がいっぱいになり、他人を思いやる気持ちがおろそかになります。 そうそう、そうなんですよね。 私も気遣いのある人になりたいと思っていますが、自分の動機を正直に見つめてみると、そこには「良く思われたい」っていう気持ちがあるから、なのかなあ、と思えてきたりして。 そういうのは相手にも何かしら伝わってしまうだろうし、嫌だなぁ、と思ったので、質問させていただいたんです。 でも、……悪い事も良い事もしなければプラスマイナス0とは、私は思えないんですよね。 自分にできる良い事を差し控えることが、「悪い」ことになってしまう場合もあるのでは、と。 う~んなんか難しいですね。 回答ありがとうございました。

  • ptyfsu
  • ベストアンサー率14% (52/371)
回答No.9

質問の回答にはなりませんが、天性の気遣いじゃない人がそれになるのはそもそも無理があると思います。 「自分の評判を上げるために気を利かせる人」になり、それをあからさまに誇示して「自分の評判を下げる」ことにより「自分の評判を上げる」ような感じを目指すのはどうでしょうか? 例えば「料理とってやるぜー!気が利くだろ、おれって?( ̄ー ̄)キラーン」と仁王立ちで腰に手を当てながらわざと大声で言いながら料理取り分ける感じです。 気が利くことを必要以上に誇示して自分の評判を落とすことで逆の効果を得ることができると思うのは私の勘違いも甚だしいでしょうか?(笑) (注)こんな内容ですが真面目です

  • casio_27
  • ベストアンサー率35% (7/20)
回答No.8

難しく考えずに、気がついた事は自分の負担にならない程度でやる、その積み重ねが気が利くということに繋がるのではないでしょうか。 たとえ気がついても実行するのが面倒くさいと思う事もあるのですが、 気づいたのに放置する自分に対して自己嫌悪をしたり、 後に自分の代わりに面倒を引き受ける人の事が心配になったりするので、 うだうだ悩むぐらいだったらさっと動いてしまった方がいい。 自分はこんな事を考えています。

  • sunsum
  • ベストアンサー率13% (23/169)
回答No.7

観察力、洞察力のある人は気の利く人が多いですね。 周囲の情報収集能力が高いのでしょう。 studiobbさんが「超気が利かない人」ということで、書かせていただきますと、気を利かせたかったら、視野を広げて、周りをよく見て、「気づく」ことが第一歩だと思います。 簡単に言うと、朝会社へ来て仕事に入る前にどれだけのことに気がつくか? 気の利く人だったら、落ちてるゴミに気がつき拾ってポィ。 机の消しゴムカスに気づいてササっと掃除。 掃除中に隣の机のほこりに気づき、ついでに拭いておこうか。 となります。 たとえばトイレに行ったときのメイク直し、髪もとかしてばっちり持ち直した、洗面台に落ちた抜け毛に気づき、始末する。 気がつかなければ、できないことですよね。 「やれない」より「やらない」ほうが救いがあるそうですよ。 気づいていてもやらないのは、いつかやれるだろうが、気づかないのはいつまでたってもやれないからです。 がんばっていろいろなことに「気づいて」みてください!

noname#61622
noname#61622
回答No.6

私ももともと「超気が利かないヤツ」です(笑)。 家族にはいつも怒られっぱなしでしたが、 接客業のアルバイトや、ボランティアなどをやってみて、 ちょっとだけ「気配りのコツ」がわかるようになりました。 さりげなく上手な気配りで相手を心地よくしてあげられる人は、 「天然」そうに見えて、実はそうでもないんです。 どうしたら相手が喜んでくれるか、心地よい空気を作ることができるか、 常に頭を働かせて、細かいところまでよく観察しています。 そのココロは、「相手を楽しくさせることで、自分も楽しい時間を過ごしたい」ということだと思います。 自分を良く見せたい、評価して欲しい、と思っている人は、 仕草のいちいちにどこか押し付けがましさが感じられて、 リラックスとはほど遠いムードを作ってしまうんですよね。 気配り上手な人は、プライベートな空間の演出も上手な人が多いと思います。 いつも心地よいスペースで、心地よく過ごしているから、 自然とバランスの悪いところに目がゆき、 それを整えるにはどうしたらいいか、常に考えているのだと思います。 いずれにせよ、一朝一夕にできることではありませんが、 「自分のいる場所は、その場にいる人も含めて、 常に心地よくあって欲しい」という願いが、 気配り上手への第一歩なのではないかと思います。 私もがんばりますっ。

回答No.5

>そういう人はどういう気持ちで気を遣っているのでしょうか。どういうことを考えていらっしゃるんでしょうか…。 「相手の立場に立ってみる」ことが出来る人。これに尽きると思います。 (自分の自己満足で気を遣う人は、時に求められていないことまでしてしまうので、一緒にいると疲れます。そこが本当に気を遣える人との差だと思います。) 具体的な例でいうと、この間私がバスに乗っている時に、50代位の主婦の方が気分が悪くなって急に吐かれてしまったんです。そのとき、隣に乗っていた女子高生が一番近い場所の窓を開け、女性の背中をさするという行為を瞬時にしました。他の誰がかけつける間もなくとっさに。。私が男だったら絶対惚れていたと思います(笑) 背中をさするという行為はもちろんのこと、私はとっさに窓を開けた女子高生の機転に感動しました。私がもし、気分が悪くなった婦人だったら、「車内が臭くなって皆迷惑するだろうな」と多分吐きながらすごく考えてしまうと思うからです。 さすがに女子高生がそこまで考えて瞬時に行動したかは分かりませんが、私だったら、窓を開けてもらったことで安心して(?)吐けます。 「自分がこの婦人の立場だったら」と考えることが、気を遣うことの原点ではないかと思うのです。 大勢の中で、一人輪に入れない人が居たら「さりげなく」話を振ってあげる。。(決して「○○ちゃん元気なくない?」とかあからさまな声かけではなく)、重い荷物を持っている方がいたら声をかける。。等々全て「相手の立場に立つこと」から始まると思います。 ちなみに、気を遣える人か否かの判定は「他人に言ってもらって初めて価値のあること」だと私は思っています。 「オレって気遣いすぎるんだよね」と自己申告する人程、ただの神経質な人だったりします。 私も修行中の身ですが、気持ちの良い気遣いができるようにお互い頑張りましょう!

studiobb
質問者

お礼

その女子高生の方、すごいですね…! そのときにパッと、相手の立場になれるなんて、私ならちょっと動じてしまいます… 押しつけがましくなく、気持ちの良い気遣いを是非目指したいものです…! 回答ありがとうございます。

  • nagishiho
  • ベストアンサー率25% (175/692)
回答No.4

気を遣うということと気を利かせるということは別です。 気を遣うということは、相手の顔色を伺ってしてしまうことや、自分の評判を上げるためで、 気を利かせるということは、相手が何を求めているかをいち早く察知し行動に移すということです。 気を利かせられる人というのは、普段から相手が何を考えているのかを自然に考えられ、やって欲しいと思っているだろうことを これまたごく自然にやってのけられる人だと思います。 これは想像力を養うしかないと思います。 どうやって養うか?これは本を読むのが一番手っ取り早いです。 それも漫画や絵の多く入った本ではなく、小説など情景を思い浮かべながら読まなければならないものです。 現代の子供が想像力がないと言われているのは、考えなくても映像などで情景が見られるという部分にありますので 頭の中で考えなければ情景は出てこないという物を数多く読まれる事をお勧めします。

studiobb
質問者

お礼

確かに、自分想像力足りないな、と思うときがあります。 人の気持ちや求めているものを正確に察知できるようなそう増力を持ちたいです…! 回答ありがとうございました。

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.3

私の周りにおられた気の利く人達というのはなんでも、さりげなくやっておられた方が多いと思いました。つまり、人から良く思われようとか自分の存在を誇示しようとかするわざとらしさがなくて極、自然体でした。恐らく、自分のことばっかり考えている人ではなく人の心もよく分かる、思いやりのある人達だったのではと考えます。それからあまりにも恥ずかしがりやで人に親切にしたいけれどもじもじしているという方達もおられますが、そういう方達は人の話に割って入ることなく、静かに微笑んでいたりして人の話の聞き上手さんだったりして私はこういう方達も気の利く人達だと思います。動機、それは人に対する思いやりだと私は思います。

studiobb
質問者

お礼

私も同じように思います。 ほんとに皆さんさりげないんですよね……! どうすればそうなれるんでしょうか…。と、そんな彼らを見ながら思います。 気をつけていても、自分のことで頭一杯になっている自分がいて、すごく恥ずかしいです……。 回答ありがとうございました。 参考になりました。

回答No.2

自分で言うのも何ですが、私は気が利く方だと思います。 どういう気持ちというと>自分がされたら嬉しい事を他人にも という思いからです。

studiobb
質問者

お礼

ぜひ見習って、利他的な思いを持っていたいです。 ただ、自分がされて嬉しいことが他人にも喜ばれるわけでもなく…という経験が少なからずありまして…。 感覚のズレでしょうか;

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