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小さい蒸気機関車

蒸気機関車には、D51のような大きいものと、「義経号」「しづか号」のような小さなものがあります。 http://www.saboten.sakura.ne.jp/~suzu/ota_s_temiya.htm これはどのように違うのでしょうか?

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noname#182423
noname#182423
回答No.2

こんにちは。 機関車は、本来の用途や、使用される路線の状況に合わせて造られます。 「義経号」「しづか号」は明治時代(鉄道発祥時)の機関車ですから、牽引力(客車・貨車を引っ張る力)・最高速度は低いものでした。 その内鉄道への需要が高まると、より多くの旅客・貨物を早く目的地まで運べるように機関車の改良が進みます。 他の乗り物でもそうですが、一般的に大きければ大きいほど力があります。(一概には言い切れませんが) 蒸気を動力に変える仕組みの改良・動輪の大型化・炭水車(石炭・水を積んでいる貨車)の大型化により、機関車は大きくなっていきます。 しかし、支線や引込み線で働く機関車は大きな炭水車もスピードも必要ありませんから、小型のものも造られています。 大型の機関車は支線・引込み線に入れないケースもままあります。路盤が軟弱だと、重たい機関車・長大な貨車は入れません。(それは今も変わりません) そこで、小単位の列車を引かせるために、小型の機関車が必要なのです。 本線上で走らせにくくなった小型の機関車は、そうやって支線・引込み線で働くようになります。「義経号」「しづか号」も始めは本線上を颯爽と走っていたでしょうが、そういう使われ方をされたと思われます。 D51は貨物専用として、C62は旅客専用として、国鉄蒸気の決定版として大量生産されました。 ちなみに、Dとは動輪が4つある印、Cは3つの印です。 ですから、D51の方が力があるということです。 貨物列車は旅客列車の2倍ぐらい重さがありますから、貨物機の方が力持ちなのが一般的です。 「義経号」「しづか号」の頃は旅客・貨物もへったくれもなく、アノ小さな体で多くの旅客や石炭を運んだのですから、ホント頭が下がります。

nozawa2002
質問者

お礼

回答どうもありがとうございました。 小樽交通記念館ではアイアンホース号が動いてましたが、あれはレプリカではなく、昔のままのものなのでしょうか?

その他の回答 (3)

noname#182423
noname#182423
回答No.4

111-1501です。追記です。 「アイアンホース号」は調べた所、1909年製の機関車で、レプリカではなく本物だそうです。 100年近くも経っている蒸気機関車です。北海道の鉄道史・開拓史の生き証人ですね。石炭車を連ねた現役当時の姿が見てみたいものです。

  • old98er
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回答No.3

線路の幅は、基本的に同じです。 明治の、新橋-品川の開通から、現在まで1067ミリですね。 (当時は3と1/2フィートと表記していたと思いますが…) 機関車だけでなく客車や貨車が乗り入れするには、同じ軌間である必要があります。 一度開通してしまうと、別の軌間で接続する事やすでにある線路の幅を変えるというのは、非常に困難です。 もちろん、例外の実例はありますけど… (線路3本による異なる軌間の車両の乗り入れ例:箱根登山鉄道など) (軌間を変えた例:新京成電鉄や、JR東日本の新幹線乗り入れ区間など) 建設費や建設場所などの都合で、最初から貨車などの乗り入れをあきらめる(必要ない)として、別の軌間で建設した路線の場合は別で、その軌間(線路の幅)に合わせた機関車が使用されています。

nozawa2002
質問者

お礼

回答どうもありがとうございました。線路の幅は同じなのですね。

  • old98er
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回答No.1

小さな機関車には、2つの理由があります。 1.製造当時の技術力では、大きな物は作れなかった。 2.大きな物は必要ない(大きいと困る)ので小さな物を作った。 義経号などは、1の理由です。作られたのがかなり前の時代です。 2の理由で作られたのが、C12などですね。 なかには、B20のように超小型で設計された物もあります。

nozawa2002
質問者

お礼

回答どうもありがとうございました。やはり線路の幅も違うのでしょうか?