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記憶は浄土にもっていけるの?
ひとは死んだあと、生前の記憶を極楽浄土に持っていけるんですか? 科学的に、記憶って脳のなかにありますよね。 どっかの仏教の本に、「私が死んだら、生前の思い出ばなしを、先に死んだ親などに自慢したい」とかいてました。 でも、死んでしまったら脳の機能も止まるじゃないですかぁ。 そこんとこ、仏教ではどうなっているんでしょうねぇ。 どなたか詳しいかた、お願いします。
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- p88689
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NO.1さんの回答でいいように思いますが。 仏教では、 体が死んで、脳も死んでも、 生前の記憶を極楽浄土へ持っていけると説いています。 記憶は脳の中だけにあるわけではないので。 ちなみに。 極楽じゃなくて、地獄へ落ちても 生前の記憶を持っていけます。
- Us-Timoo
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あれ?おかしいなぁ・・・ >記憶は浄土にもっていけるの? というタイトルで >そこんとこ、仏教ではどうなっているんでしょうねぇ。 というご質問だったので、ご質問者様のお尋ねになりたいことが ”「仏教での教え」に対する問い”なのだろうなと思い、 わたしの知っている範囲で仏教での考え方を書いたつもりだったのですが… >宗教では、その科学や哲学でわかったことを何に使うかを指導するものだとアインシュタインはいっています。 >科学や哲学で導き出された結論を、戦争に使うか、私たちの生活を便利にさせるかは宗教しだいです。 >「記憶」は脳にあるという科学から導き出された結論。 >しかし魂に刻まれた記憶は別。 >それがどうだこうだという問題です。 科学の観点からのお話だったのでしょうか? 科学や生物学的なご質問であれば、No.2のかたのご回答が相当すると思いますが・・・ わたしも、いろいろな宗派の住職さんやお坊さん、ご熱心な門徒さんと 関わりがあってお話をお伺いすることがありますが、ご質問者様のような 考えをもって、人の心や道を説かれる方は一人もいらっしゃいませんでしたが… まぁ、ご質問者様の意図を文面から正確に汲めなかったわたしが悪いのでしょう。 どうも、すみませんでした。
- code1134
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ある週刊誌の広告に"保険は試してから買う事が出来ぬ"旨のキャッチがあったのですが、質問者さんが"仏教に興味があるか否か?"に拘らず、質問者さんの心肺機能が完全停止後でなければ >極楽浄土へ持っていける、か? は誰にも皆目判らぬ、のが偽らざる現実ではないでしょうか? 尚、英語では「(人間の~の意の)"mortal"は死すべき~と同義ですから、早まる必要は一切ありませんが、(NO2さんの指摘通り)質問者さんの視点で納得し得る人生を歩まれたら・・・とは感じますね http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=mortal&kind=all
- shinmailg
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面白い質問ですねw 私見ですが、記憶は脳のニューロンネットワーク自体なので、死んで脳細胞が失われれば消えます。仏教でも、記憶については聞いたことがありません。 人間の脳の容量は、100TB(100000GB)と言われていますから、そんな大容量のデータをどうやって浄土に転送するのか……。最新のHDD100台分ですよ。私は魂なんて無いと思いますし、死んだらそれまでだと思います。だからこそ人生、楽しみたいものです。 おかしな宗教にはまると、「お金も時間も失います」よ。
- Us-Timoo
- ベストアンサー率25% (914/3620)
科学的・生物学的な話と、宗教という非科学の世界を同列で並べて ごっちゃに考えること自体ナンセンス。はっきり言って、話が成り立ちません。 仏教では「記憶」という概念では語られませんし、それだけを別で考えるということもしません。 「人間の根本になるもの」を「魂」という名前で呼びはしますが、それが 生命の根本というものでもなく、それとは別に記憶があるということもありません。 その人が死ぬとその人の肉体ではない部分の、意識・人格・心などがひとつの魂となって 浄土へいく・天に召されると考えられているので、その中に刻まれたものが 記憶に相当するものだと考えるべきではないでしょうか?
補足
科学とは、ものごとを分別して考える学問です。 哲学とは、物事と全体的に考える学問です。 両者もものごとの考える過程が、分別か全体かのちがいであって、思考の対象となる事実は同じなのです。 宗教では、その科学や哲学でわかったことを何に使うかを指導するものだとアインシュタインはいっています。 科学や哲学で導き出された結論を、戦争に使うか、私たちの生活を便利にさせるかは宗教しだいです。 「記憶」は脳にあるという科学から導き出された結論。 しかし魂に刻まれた記憶は別。 それがどうだこうだという問題です。