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「失敗=惨め」というイメージを取り払いたい

幼い頃から、「失敗」が大嫌いでした。 だいたい誰でも多少「失敗はしたくない」とは思っているのでしょうが、 私はどうしても「失敗=かなり惨め」という強いイメージが拭えず いつも失敗が怖く、一度失敗するとかなり落ち込みます。 少しずつ改善しようと努力してきたためか、昔よりは気持ちが少しは軽くなりました。 でも特に苦手なこと(運動、料理)の失敗から来る惨めさ、気持ち悪さ、恐怖からは未だに抜け出すことができません。 例えば実際、小学生の頃マラソン大会で最下位になり、周りが拍手する中やっとゴールしたという経験があります。 そのとき本当に本当に惨めで泣きそうでした。 周りは「この子なりに頑張ったんだね」と励まし、暖かく迎えてくれていたのでしょうが。 「この子にはマラソンの能力がない」という前提で一度見下した上で憐れみ、拍手をしたのだろうとしか捉えられませんでした。今、まったく同じ状況に置かれてもそう捉えると思います。 現在大学が春休み中のため、ほとんどの家事をしています。 母も勤めていますし、自分のためにもこれから覚えていかなければという思いから始めました。 しかし洗濯・食器洗いなど料理以外は何の苦もなくできるのですが 先程挙げた「苦手なこと」である料理が正直苦痛です・・・。 一応レシピ通りにやってみるものの、やっぱり失敗ばかり。 「失敗=惨め」のイメージが強く、失敗するたびに料理に対する苦手意識、苦痛はますます増しています。 家族はいろいろフォローしてくれているのですが、先程挙げたマラソン大会の時のような捉え方をどうしてもしてしまいます。 家族であっても、「応援=憐憫」とまず捉えてしまう自分が情けないし、家族にも申し訳ない(家族の本当の気持ちは理解しているつもりです)、直さなくてはと考えるようにはしています。 失敗しない人なんかいないし、失敗は成功のもとだと自分に言い聞かせているのですが・・・なかなか「惨め」のイメージが払拭されません。 燻ったり落ち込んだりしても時間がもったいないし、そのぶん努力すれば失敗も減らせますよね。 その努力をより進めるためにも、まずは「失敗=惨め」のイメージを取り払いたいと思っています。 これが直ればもっと頑張れる気がしますし。 厳しい言葉でも構いませんので、このイメージを取り払うことについて 助言・喝などよろしくお願いします。

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回答No.4

質問者様はご自身とはっきり向き合ってらっしゃいますね。 これはとっても素晴らしいことだと私は思いますよ。 そして、一番辛いところだとも思います。 以下、私の「失敗=惨め」についての考え方です。 まず、失敗と成功って何なんでしょうか? 私は、料理は得意なほうですが、それこそ卵焼きひとつで 「塩いれすぎた」だの「硬さが中途半端だ」だの 「中がとろっとしてて生焼け状態だ」だの。 日々精進、日々鍛錬、日々反省です。 人それぞれの考え方にも寄りますね。 たとえば徒競走で1位になったからといって 自己ベストにならなきゃ「成功」と思えない人だっています。 逆に、ビリだったけど、自己ベストなら 「成功」と思える人だっています。 私の中で、成功というのは「成功=自分へのご褒美」です。 どれだけ塩を入れすぎたって、 今日は凄く焼き加減が絶妙だったのよ!と。 だから、今日は成功なの!と、自分を褒めてあげること。 成功のハードルは自分で変えられる自由自在なものです。 今日は上手に出来た、と思えれば思えるほど 次からもいい方向で頑張ろうと思えますよね。 「成功」と「失敗」て、 対極にある、決して相容れないものだと どうしても思いがちですが 「成功」も「失敗」も1つだけ共通することがあります。 それは「経験」だと私は思ってます。 どっちに転んだって、チャレンジした事実、行為は 必ず未来へ通じています。 「失敗」はマイナスじゃないんですよ。 「失敗」も「成功」も同じ1歩なんです。 変わるのは、どっちを感じるかによって、 次の一歩を踏み出しやすいか、出しにくいか、それだけです。 踏み出しやすいように、自分にご褒美をあげながら 経験を積んでいくんです。 だから、失敗も成功も、 「経験」や「チャレンジ」だと思って 料理を楽しんでみたらいかがでしょう? もし的外れなお話になっていたら 申し訳ありませんが、どうぞお聞き流しくださいね。

ruri645
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「成功のハードルは自分で変えられる自由自在なもの」 というお言葉が印象に残りました。 そういえば自分を貶すことは多々ありますが 褒めることはそうないような気がします。 少しずつ、自分の中での合格点を調整していって 苦手意識を減らし、楽しんでいけたら・・・と思います。

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回答No.5

貴方は、「心」に対しての、認識が誤っているように見えます。というのは、「心」が完全に「青空」の状態で「雲が一つも無い青空」の状態でないという事に、不満を持っているように、見えるからです。誰でもそんな、理想の心の状態は、維持出来ていないからです。 貴方がこれから、学んでゆく事は、雨の日でも、嵐の日でも、皆、人生の、日々、と言うことです。調子の良い日だけを望んでも、それは、無理な注文と言うことです。人生を本当に生きてゆくという事は、不安を解決してゆくと言う事を、学ぶ必要が、有ります。不安を、解決してゆくと言う事は、「人類の永遠のテーマ」です。それほど、不安の解決というものは、難しいと言えますが、日本には、良いものが在ります。「禅」です。その中で「平常心是道」というのが有ります。その「道」と言う事を学んでください。 不安の解消は、不安を、そのままにしておく事です。不安を雑念として、そのままにして、相手にしない事です。不安を取り除こうとする時は、不安は大きくなります。一生懸命になって、取り除こうとすれば、もっと、大きくなって、終いには、恐怖になって、パニックになってしまいます。それがパニック障害、と呼ばれているものです。 不安をそのままにして、目の前の、やるべき事に、手を出してゆく生活で良いと思います。「失敗をしたら、どうしようか?」という心配ではなくて「失敗をしないようにするには、どうすれば、良いのか?」と言う事を心配する事かと思います。

ruri645
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 御礼が遅くなってしまい申し訳ありません。 確かに私は、何事も「雲一つない」状態でないと気が済まないことが多くあります・・・。けれどそれは言い換えれば、不安定な状態からの逃げでもありますね。 不安を雑念として相手にしない、なるほど・・・そういう考えもあるのですね。 禅の教えも参考になりました。 はっきりしない状態があまりよくない、という認識をもう少し改めようと思います。

  • yon101
  • ベストアンサー率74% (219/294)
回答No.3

私はサラリーマンですから、こういう世界もあるんだ程度に聞いてください。 私が職場に入って一番に研修に参加させられたのは、社会人になるための研修でした。いろいろな職場から20代ばかりが集まって、「恥をかく訓練」が行われました。内容は教室でみんなの前で大声を張り上げて一曲歌ったり、ゲームの講師をやって説明力を付けたり、要は人前で恥をかいたり、しゃべる訓練をして、これからの職場でのあらゆる困難に精神的に打ち勝つ訓練でした。30代ではリーダー研修に参加し、そこでまた恥をかくことによる落ち込みをなくす、もしくは最小限度に抑えるカリキュラムを受講しました。 人生において誰しも失敗や赤っ恥をかくことはあるものです。それを乗り越えるか立ち止まってくよくよするかは、もちろん性格にもよりますが、そこまでの人生での経験や周囲の環境によると思います。 私は人生において努力だけではなく勇気も大切だと思います。自問自答するより、いろいろな人に出会い、外に出て体験を積んでください。 また嫌なものを無理にして失敗して悩むより、好きなことを思いっきり楽しんで、そこで失敗するともっと頑張ってやろうとなるのではないかなと思います。料理はお母様のためにも大切ですが、まずは自分の好きなメニューを試みるなど好きになる努力もしてみてくださいね。 昨日も私は仕事上で相手に訴えてやるぞと因縁を付けられました。公的機関に近い職場ですらこういうことはよくあります。まともに考えたら明日にでも弁護士を連れてやってきて私の首は?と思い悩むところですが、私は来週月曜日なるようになると開き直っています。 きつく言うなら過去より未来ですよ。失敗を数えきれないくらいしてください。本当、ポジティブでいきましょう。 以上参考にならないなら、読み飛ばしてくださいね。

ruri645
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「自問自答するより、いろいろな人に出会い、外に出て体験を積む」 というお言葉が身に染みました。 ずっと「自分を叱るのも甘やかすのも自分」だと、他人に怒られる前に自分から自分の直すべきところを知り、直そうと思ってきたので・・・はっとさせられました。あまりベストな方法ではないのかもしれませんね。 もっと「外」を吸収してみようと思いました。 料理は母の帰宅時間が遅いこともあり、無理にしているというよりは半ば「せざるを得ない」状況です(苦笑) (なぜそういう状況なのかはNo.1様のお礼に書かせていただいているので、お手数ですがそちらをご参照ください) そしてできるだけ楽しめるように、ネットで見て自分の好みと自分の今の技術と照らし合わせた上でメニューを選んだり工夫をしているつもりでしたが、根本にある苦手意識に勝てず(作れない、できない、どうせ失敗する、と思いこんでいるようです)そして失敗したとたんテンションが下がる・・・。といった感じでした。 ポジティブな考え方がなかなか難しいのですが、少しずつ前向きになれたら、と思います。

  • sicco
  • ベストアンサー率27% (134/486)
回答No.2

あなたにはぜひ、我が家の女房の料理を食べてもらいたい。 そんなにグルメではなく、コンビニ弁当だってふつうに食える僕ですらときどき、「無理・・・これは、無理!」と、あまりのまずさに箸を置くことありますから。 それでも女房はガハガハ笑って何ともない顔してるんで・・・。 まあ、料理はダメでもそれ以上にいいところあるから、いっしょに暮らしてるわけで、人間ってそんなんでいいんだと思いますけどね。 別に苦手なことを努力する必要もないと思うし。 今日はほんとうにうまいものが食いたい、と思ったら外食します。 女房が喜んでいるのを見ると、いったい主婦のプライドはどこに!と思ったりもしますけど。

ruri645
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「食べてもらう」側からのコメントが新鮮でした。 自分一人のために作る料理なら、失敗してもあまり気にならないのですが (食べて「被害」に遭うのは自分だけだから) 家族を被害に遭わせるのがかなり嫌で、だから失敗するとより落ち込んでしまっていました。 家族ってそういうものなんでしょうか。なんだか「家族らしさ」を忘れかけていたような気がします。気付かせてくださり、ありがとうございます。 美味しいものを食べてもらおう、と思うこともポジティブに繋がるんでしょうか。まだまだ苦手ですが、頑張ります。

  • holly130
  • ベストアンサー率59% (32/54)
回答No.1

文章から、ruri645さんはとても真面目な人なんだなと感じます。 現在は家事をほとんどなさっているとの事、なかなか出来るものじゃありませんよ。 立派です。自分をほめてあげてください。 かの発明家トーマス・エジソンは「失敗は成功の母である」という言葉を残しています。 「失敗=惨め」では無く、失敗によってこれをしたら駄目なんだという事を知ったというプラスに考えてみたらいかがでしょうか。 料理にしても、その失敗が新たな成功に結びつく筈です。 何も失敗無く作る人より、よっぽど創意工夫が出来る人になれます。 作ってみて味がうまくいかないなら調味料の量が違ったんだなと分かった訳ですし、焦がしてしまったとかなら火加減が駄目だったんだと知ったんですから失敗ではありません。 頭では分かっていてもイメージを払拭するのは大変な事と思います。 少しずつでも、ポジティブに捉える事が出来るようになれるといいですね。

ruri645
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 推察されたとおり、自他共に認める、融通がきかない真面目です(苦笑) 諸事情あってバイトができない家庭なので、何もせずだらだらと過ごしていてはだめなんじゃ・・・という思いから家事をしています。だからそれほど立派な行為でもないような気がしますよ。 家族からも「失敗は進歩に繋がる」とよく言われます。 たぶん私は失敗という言葉のイメージが強すぎて、失敗から学ぶという概念が薄いのでしょうね。まずは「学ぶ」ということから始めていこうかと思います。 できるだけポジティブに考えていくようにはしたいです。