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周りからのイメージを変えたい

私は、特に目立とうと意識していませんが なぜかいつも周りから注目を集めてしまいます。 どうして目立ってしまうのかわかりません。 噂されるのは良いことだけなら構わないのですが、あだ名や失敗談までも広まってしまい、自分のキャラクターが勝手に出来上がってしまっています。 そのせいでささいな失敗も(他の人だったら普通に流されるような)すぐネタにされてしまいます。 本当の自分はたいして面白くもないし、地味で内気、それに繊細です。 周りからのイメージと本当の自分のギャップを埋めるには 今後どうしたらいいんでしょうか。 いったん定着してしまったイメージを払拭するのはやはり難しいんでしょうか。 教えてください。

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回答No.4

はじめまして、こんばんは。 私も、ずい分前に似たようなことで悩んだことがあります。 友達も多く、人を笑わせるのは結構好きなのですが、それでも少し度が過ぎて、ばかにされているのか?と感じてたことがありました。 18才~20くらいの時、進学をして地元を離れた時、ふと、あ!自分を変えればいいんや!と思いやってみました。 新しく入ったレンタルビデオのバイト先で、誰も私のことを知らないので、失敗したりしてもあたふたしない、とかしゃべりすぎない、とか…自分らしくない「こうしたら落ち着いてみえるかな?」というふうに振舞って過ごしていました。そうしたら、「しっかり者」「大人」という評価をされました。意識的に自分を変えようなんて考えたのはその時、初めてでした。 そのバイト先には同い年の女の子がいたのですが、その子は他のバイト仲間からとてもからかわれやすく、からかわれると、あたふたしたり、顔が真っ赤になったり、でも、いいかえしたり。からかわれている方は「いやだ」といいながらも、ムキになっているのがかわいらしく見えるし、からかっているも人達もその子がかわいいからからかっているんだな、というふうに感じました。そういう子がいて、そういうやりとりをすると、場が和むというか、仕事とは直接は関係ないけどいい雰囲気を出してくれるということもあるかもしれません。 そういうのをバイトに行く度に見ていたら「からかわれるのは私のはずなのにな…」と何だか寂しい気持ちになりました。もともと「しっかり者」でも「大人」でもないので、本物の「しっかり者」や「大人」にはかないません。私っていったいどういう子なんやろう…。 バイト仲間とは楽しく仲良くやっていましたが、「しっかり者の大人」なので仕事も、自分でできます!みたいな感じで失敗してもあたふたしてみせないので人に必要以上には手伝われることもなく…。 それから、前の自分に戻ろう!としたのですが、結構長い間、気をはって過ごしていたし、今更急に変わっても変だと思われるかも…とか気にしてなかなかうまくいきませんでした。 その時気づきました。自分が価値がないと思っていた「からかわれやすい自分」って実はとても価値があるんだ!ということに。 「からかわれやすい自分」はいつもまわりに友達がいました。失敗を笑われてこちらが怒ってみたり、おまえは仕方ないなあ!と手伝ってくれたり、教えてくれたり…。からかわれることで人との関わりができていたのです。 いったん定着してしまった「イメージ」は変えられると思います。少しずつ意識的に自分を変えればいいのだと思います。でも、自分らしさを失ったり、失ってから自分が価値がないと思っていた「自分」や「イメージ」の大切さに気づくかもしれません。取り戻すのは時間がかかりますよ。 「イメージ」という言葉がありましたので、私も「イメージ」という言葉をあえて使ってみましたが、人から見た「イメージ」はあまり考えなくてもいいかもしれません。周りの人々は自分が思っているより、いつも自分のことばかり考えたり、噂したりはしていないと思いますよ。人の噂にふりまわされる以上に、自分で自分のことをふりまわさないようにね。 そのままのyamakkyさんでいいと思います。 そのままというか、yamakkyさんのままでいつつ成長(プラス)していったらいいのだと思います。噂されやすい、ネタにされやすい、プラス「それをおおらかに聞き流せる!」とか「自分は言われても人のことは言わない!」とか「話をよく聞いてくれる」とか…例えばですが。人にこう思われたいから、じゃなく自分が無理せず、自分らしく、気分よくいられるような価値観を取り入れたらいいと思うのです。 長くなってしまいました(^0^)☆

回答No.3

自分って、うまく言えませんが自分が作った「作品」みたいなものだと思うのです。 作曲家がルンルンな気分で作った曲を聴いた人のうち、ある人は「楽しそうね」と云うかもしれませんし、別の人は「なんか暗い感じ」「重々しい」「壮大だね」と云うでしょう。 美術作品だって、小説だってそうです。作者が「こういう気持ちで、これが伝われば・・」と思って作った作品を、我々はその作者の願い通りに解釈できてると言い切れますか?私はNOです。自信がありません。 自分自身を作品をみなせばまさに同じことで、自分が「こんなふうな私を見て!」と思っても、周囲は別の受け止め方をする可能性が少なくありません。思考している自分とは別に、社会の中における「見られる自分」が存在するのは、致し方ないことです。 また、そのギャップは悪いことではありません。 いつかそのギャップや、他者の中のイメージとしての自分すら武器にできる日がそのうちきますよ。

  • LOTUS18
  • ベストアンサー率31% (1807/5783)
回答No.2

無理に「イメージ」どおりにふるまうのをやめたらいいのではないかと 思います。 そうしたら周りも「あれ?」って気付いていくと思うし。 「なんか違うね?」っていわれたら「そう?」って流すだけでいいのでは。 もし普通どおりにふるまっていてそうなのであれば それはイメージではなく表面的にきちんとでている 質問者自身だと思います。 多面性があるほうがおもしろいです。 人をひきつけるのも才能のうちです。 しかも「なんか楽しそう」なオーラが出ているのだと思うので 良いことなのでは?と思いますが(^^;)

  • gyounosuke
  • ベストアンサー率20% (1446/7021)
回答No.1

あんまりジタバタしても仕方がないような。 自分が思うところの「本当の自分」なんて本当にあるんでしょうか? それすら単なる思い込みの産物に過ぎないと思うのです、 さらに「周囲が受け止めている自分のイメージ」というのも相当フィルターの掛かったものだと思います。 そんなわけで、周囲が自分をどういうイメージで受け止めているかということを考え始めること自体が自分で自分の首を絞めることにしかならないと思います。 自分自身の規範をしっかり持って行動する。 それがどう受け止められるかはまでは自分自身でコントロールできないものと割り切るべきでしょう。

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