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人と話すのは楽しいですか?
人と話す機会が多くなればなるほど人と切り離された感じがします。 一人で家にこもって本を読んでいる時は、人とつながっている気がします。 これって変なのでしょうか? 周りの人を見ていると、人と話すことを楽しんでいるように見えます。 何がそんなに楽しいのかわかりません。 例えば、何かを人に話して共感してもらえたとしても、本当にその人が共感してくれているかはどこまでいっても謎だと思うんです。 人に自分が面白いと思ったことを話して、笑ってもらえたとしても、相手がそのことを本当に面白いと思っているかも謎です。 心からそう思っているかどうかは別として、表面上共感してくれたその人の思いやりに喜べばいいんでしょうか? もしかしたら無理してくれているのかもしれないと思うと、私は申し訳ない気持ちになってしまうことの方が多いです。 無理していることが相手の反応からある程度読み取ることができた場合には、それこそ相手と自分との間の距離が広がってしまったように感じてしまいます。話せば話すほど相手との距離が広がるように感じることもあります。 そんな時、話すのは何のため?と思ってしまうんです。 みんな話すときには多かれ少なかれ演技していて、演技している相手ごと認めている、相手に言葉を発することそのものに意味がある、ということなのでしょうか? まとまりのない文章ですみません。ご回答よろしくお願いします。
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えーっとね。 真面目に、真剣に考えたのですが。 キャッチボールで肩を温めるときは、一々どんな球投げるかなんて考えないのです。 投げてみて、ちょっと力んでいたなら「わりー」みたいなフォローです。 肩を温めるためのキャッチボールは、何も考えることなく、とにかく相手の胸の辺り(相手が一番取りやすい)を狙って、自分の肩やひじや手首、指の掛かり具合、自分なりに確認しながら、投げ合うのです。 肩が温まってきたなら、自分の体軸のブレが無く、全く力を入れずにしなる様にボール投げれる時が、一番速いボールが投げれるのです。 解りにくい例えで、申し訳ないのですが。 肩を温めるキャッチボール無しに、いきなりクリーンアップのバッターに向かっているように見えます。 絶対、自分の狙いのボールは投げれないし、第一、肩壊します。 何気ないキャッチポールで、相手の反応を見て、お互い、肩のあったまり具合を確認する。その時相手が取れないボールの時は、自分のフォームが崩れていたり、体軸がぶれていたりするのです。 それを修正しながら、笑ってウォームアップのキャッチボールの、練習した方がいいと思うよ。
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- pixis
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何そんなにむずかしーことかんがえてんだよ! そもそも矛盾してますよ! 会話というのは何も面と向かって声を出して話すことだけを 会話というわけではありません。 こうして質問と回答だって会話の一種です。 だとすれば、あなたの行為、つまりこうして質問しているという事実 はその質問内容と矛盾してますよね? 会話が楽しいということは興味があるって事ですよ。 あなたもどんな答えが返ってくるか楽しみで 興味があるから質問してるんでしょ? 返ってきた回答を見て 立派に楽しんでるじゃないですか! ならば会話を楽しんでるんじゃありませんか? ね?矛盾してませんか? ところで、 あなた、人の仕事まで自分でする気? 相手が共感するかしないかは相手のお仕事。 そんなこと気にすることはないんですよ。 相手が面白がっているかどうかなんてことは相手のお仕事で あなたのお仕事ではないんですよ。 何を勝手に相手の頭の中まで覗こうとしてるんですか? そんなこたぁ相手に任せておけばいいんですよ。 うぬぼれちゃいけませんよ! あなたがそんなこと考えてくれなくとも 相手は自分で何かしら思うところが ありますよ。 会話することで知識や教養を広める事もできます。 情報を入手することもできます。 面白い話を聞けば笑いもあり心和むこともあります。 哀しい話を聞けばなにかしら 考えさせられるっことだってあるでしょう。 つまり会話することでお互い反対給付があるんですよ。 勿論無駄な内容の話もありますよ。 それでも、人間関係が潤おったり、お互いその人のことを気にかけたり するんです。 私は少なくとも人の話を聞くのは楽しいですけどねー・・。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >会話が楽しいということは興味があるって事ですよ。 >あなたもどんな答えが返ってくるか楽しみで >興味があるから質問してるんでしょ? はい、その通りです(笑)!回答がたくさんついているので素直に嬉しいです。 でもそれは、ここが、本音を言いやすい場所だからです。 ここでの会話を楽しむことはできますが、普段の生活で会話を楽しむのは難しく感じてしまいます。特に会社は広く浅くで・・・。 >相手が共感するかしないかは相手のお仕事。 >そんなこと気にすることはないんですよ。 確かにそうですね。ちょっと気が楽になりました。
- salsa_taxi
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>一人で家にこもって本を読んでいる時は、人とつながっている気がします。 これって変なのでしょうか? 俺も読書は好きですが・・・・ 俺は世間から離れる=自分の世界(本の世界)に入り込んでいる状態と思いますが・・・ >みんな話すときには多かれ少なかれ演技していて、演技している相手ごと認めている、相手に言葉を発することそのものに意味がある、ということなのでしょうか? 親しくない人となら。でしょう。 「気心の知れた友人」といえる人なんて、一生のうち数人いれば多いほうだと思います。俺も、片手で足りるほどですね。 本音で笑い合えるような友人は。 質問者さんには、そういう人がいなかった(いても気づかなかった?)のかもしれませんね。 「学校や会社でも、仲のいいグループはいる/いた」といわれるかもしれませんが、単に、閉鎖された空間でもとりあえずの付き合いなだけかもしれませんからね。 「仲のいい人とペアを組む」という状態になったら、質問者さんとペアを組みたいという人は、その仲良しグループの中にさえいない可能性はあります。 まあ、鶏が先か卵が先かの話になりますが、質問者さんが最初からそういう見方で人と話をしていたのなら、俺なら「友達」付き合いはできないです。 「線を引いているな」と感じ、顔見知りとしての付き合いしかできないですね。 まあ単純な第三者からの推測ですが、そうやって感じるのは「本当の友達がいないから、心を閉じて相手と接しているから」なだけな気がします。 「他人(それも相手が線を引いている、心を閉じているような)」相手に心から共感するのも難しい話ですからね。
お礼
>俺は世間から離れる=自分の世界(本の世界)に入り込んでいる状態と思いますが・・・ わかりにくくてすみません。3の方の補足欄に説明をつけました。 >「仲のいい人とペアを組む」という状態になったら、質問者さんとペアを組みたいという人は、その仲良しグループの中にさえいない可能性はあります。 私もそんな気がします。「仲のいい人」っていうのが自分が思ってるだけかもしれない、そんな不安は誰といても消えることはありません。実際グループ作りでは、自分からは近づくことができずに向こうがしょうがないなぁ、人数足りないから入れてあげるよって近づいてくるのを待ってることが多かったような気がします(苦笑)。 子供の頃からそんな傾向はありました。学校行事の作文で、友達のことを書きたくても名前を書くのが悪い気がする・・・みたいな。 何でこんな風に思ってしまうのかはわかりません。自分に自信がないからでしょうか? 心を閉じている自覚はあります。心を開く方法がわかりません。
補足
ご回答ありがとうございます。
- drhirorin
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“仮面”の薄ら寒さに、心底怯え、 それでも生きていかなければならない現実と対峙するために 太宰治があみ出した知恵が“道化”です。 論点がずれて申し訳ないですが…。 “草食動物”のような人も、生きるために“肉食動物”のように 振舞わなければならないのが、たぶん現実社会です。 本来の自分と違う姿で“生きる”という点では、多かれ少なかれ みんな無理をしているのではないでしょうか? 偉そうなことを云っている僕も、ほんとは“引きこもって一人で読書” …とかが好きな人間ですが、会社では“明るい経営者”の振りをしています。 『人と話すのは楽しいですか?』 『人を愛していますか?』 …は、突き詰めれば 『自分を愛していますか?』 に、なるような気がします。 有島武郎の金言を贈ります。 『私は私のもの、私のただ一つのもの。私は私自身を何物にも代え難く愛することから始めねばならない。』
お礼
ご回答ありがとうございます。 「道化」になりきることも、時には必要、たしかにそう思えてきました。 >本来の自分と違う姿で“生きる”という点では、多かれ少なかれ みんな無理をしているのではないでしょうか? そうですね、割り切る部分も必要なのかもしれませんね。 >『自分を愛していますか?』 いいえ、です。 特に感情的になっている時の自分はどうしても好きになれません。 好きになれれば、何か変わってくるのでしょうか?
補足
「本を読んで他人とつながる」が分かりにくかったようなのでここで説明させてください。 ご回答に出てきた、太宰治は、前々から共感できる所の多い人だな、と思ってました。 太宰が道化を演じるに至った思い、などは、なかなか日常他人とコミュニケーションをしててたどり着ける深さじゃないんですよね。でもあの人の作品が多くの人に支持されているのは、やはりそこに何か惹かれる部分があるからだと思うんです。だから、本を読むとその多くの人とつながってる感じなんです!
- zorro
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人はこの世の中でちっぽけな存在です。一生は短く知識を得るのにも限界があります。ほかの人と話すことで人間は成長し知識も無限に広がります。自分の和歌r内事も補ってくれます。こんなに楽しいことはありません。
補足
ご回答ありがとうございます。 言い忘れていたのですが、私は、人から聞いた話をすぐ忘れてしまうという欠点があります。(読んだ本の内容は覚えています。) 素敵な店の名前、相手のおもしろ話とか、その時は面白いと思ってもその瞬間で忘れてしまって、次その話が出てきた時に聞き返して「こないだいったじゃん~」と言われてしまうことがよくあります。 だんだん、人に何かを聞くのが悪いことのように思えてきてしまっています。
私は共感してくれる、共感することが楽しいのではなく、自分とは違う部分をみつけるのが楽しいです。 自分一つの頭では考えつかない発想に出会えるところが、他人と接する醍醐味です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分とは違う部分をみつけるのが楽しい そうですね!自分とは違って、なおかつ、お互いに相手の違いを受け入れられる友達と話すのは楽しいです。 でも、自分が正しければ、相手は間違っている、という発想の人、最近多いな~と思うのですが、そんな人と話すと、なんか話し終わった後にもやもやします。こっちは必死で理解しようとしてるのにと思ってしまいます。 こっちが理解しようとしてるから理解してくれ、っていうのが勝手な発想だと分かっていつつも、なんだかそう思ってしまうんです。
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お礼
色々考えるより、とりあえずまず試しに話してみろ、ってことですね。 キャッチボールの例え、わかりやすかったです。 どんなキツい回答が来るかと怯えていたのですが、優しい例えだったので助かりました。 受け取りやすいボールをありがとうございました^^