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申請主義というもの

マスコミの言い分として、今回の年金問題において、 社保庁の怠慢からなのか、未統合記録が5000万件存在している理由として、役所が「申請主義にあぐらをかいている」というのを原因としていました(それだけではないのかもしれませんが)。 一方、 その前に、国民年金保険料の免除申請において、不適切な処理を行ったというのが全国的に見られる問題が発生しました。 その時は、本人の意思とは無関係に免除申請を行うことは法令違反だとされました。 現在は、申請主義なので、勝手に行うのは当然だめですので、理解できますが、昨今の問題で、なぜそこまで申請主義がおかしいという話が出てくるのか理解に苦しみます。 申請主義を貫いているのは、役所全般に広く前提となっていると思いますが、このことは本当に悪なのでしょうか? 国民が自分で物事を考え、自分のことは自分で必要なことを行う。そういう方向に成長し、レベルが発展していくことが前提となり、自由な選択を行えるようにという意味で、その判断を国民に任せているというのが、現代なのだと思うのですが。 年金の問題にしても、払うべき保険料をそのままにしている国民がいる。判断できない人間がいるならば、そういう人が現代で増殖しているならば、国が免除を独自に付与できる権利を付けたら良いのではないでしょうか?申請主義を取り払っていく意味でも。 マスコミが批判する申請主義について、皆さんどう思われますか? また、例えば年金問題に関して、未統合問題が起こらないようにするにはどうしたら良かったのでしょうか?

みんなの回答

  • uoza
  • ベストアンサー率39% (326/827)
回答No.4

年金制度もそれなりに諮問委員会などで検討されながら法律改正されていくものですから、民意を全く反映していないものではありません。そのため、複雑になっているという一面があります。複雑な制度は、複雑な国民意識を反映しています。色々な考えがあればあるほど、大変複雑になりますし、またその時代時代ごとに大勢が変化していきます。民間の保険事業でも、「社会人になっから入る」程度でしたが、もはや給付がきちんとできるのかという似たような疑問が出ています。 ただ、如何せん、長妻議員が忙しくなるまでは、国民も国会も政府も関心がなかった。人気もないのに頑張るわけがない。往年の厚生省では、健保担当がエリートコースで年金担当は島流しという扱いだったと聞きます、多少オーバー表現ですが。 さて、「申請主義」。色々な考えの国民があり、そして色々な「選択肢」もあります。年金の繰り上げ、繰り下げ。受給する年金の選択。これらは自身で選択してもらわないといけません。 「ねんきん特別便」の相談では、場合によっては40年くらい昔のことを思いださねばなりません。会社の手続きが通常であれば記録に大体残っているのでまぁ問題ありませんが、会社の手続きも微妙だと思われます。試用期間は入れなていなかった、未適用だったのではないかとか。今の状況を踏まえると、本人の記憶と記録とが合わないことは結構あると推定できるでしょう。昔も今もあまり変っていないということです。ただ、長妻議員の登場で、国民は年金に関心を持ち始め、受給者も今後増加傾向なので、国民の自覚という面では大きく前進していると思います。

yourvoice
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 勉強させていただきます。

  • naocyan226
  • ベストアンサー率55% (564/1018)
回答No.3

マスコミの記事は見ていませんから、申請主義批判がどのような文脈かは分かりません。恐らく、5000万件の件は役所のミスを訂正せずそのままにしていた怠慢を、国民からの申し出が無いことから、責任転嫁をしていることを批判していると思われます。 そもそも年金制度は日本に住む国民の老後の最低の生活保障として、憲法で国に命じた制度です。いわば、国民の権利です。その権利を行使するかどうかは国民個人個人の自由意志に委ねられるべきでしょう。それが、申請主義の主旨だと考えます。 質問文の「国民年金保険料の免除申請」に触れていますが、これは5000万件とは問題を異にします。とんでもないことです。何故なら、上述の国民の権利を役人が勝手に放棄させている結果を生み出すからです。いうまでもなく、現制度かでは保険料の納入は国民の権利と考えるべきで、老後の最低限度の生活を保障するものですからです。もっとも、現制度には法定免除という申請不要の制度もありますが。 勿論国民はその権利が存在すること、その行使方法等について知る権利があり、国は知らせる義務があるのは言を待ちません。しかし若し、国民がその権利を知る努力をせず、また国がその義務を履行しなければ、年金制度は絵に描いた餅で、折角収めた国民意とっては保険料は溝に捨てる結果となります。これが現在の問題の原因であり実状だと思います。 マスコミは大衆受けを狙いまた政治家は有権者に向けて、国民の責には触れることなく、行政を一方的に悪者にしています。勿論悪いの否定できませんが、これだけでは問題の本質を解決できません。 というわけで、年金の問題は、まず政治家か党派を超えて真に国民のためになる制度を議論すべきであり、マスコミは客観的で正確な報道をし、国民も自分事として自覚し、チャンスをみては議論に加わるとかで、意見を物申すならなければいけないと思います。勿論選挙権行使の際には、その一番のチャンスであり、候補者個人の見解をよく吟味して投票するようにすべきでしょう。

yourvoice
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 勉強させていただきます。

  • sapporo30
  • ベストアンサー率33% (905/2715)
回答No.2

5000万件で出てくる申請主義にあぐらをというのは、 ミスをした側が訂正する責任を持つのではなく、 ミスをされた側が、ミスを立証する責任(申請)を負わせた ことだと思います。 申請主義自体は、そんなに悪いものではないでしょうね。 > また、例えば年金問題に関して、未統合問題が起こらないように > するにはどうしたら良かったのでしょうか? 基礎年金番号制度を考える際に、起こりえる事象をきちんと 考えなかったこと。 1人で複数の番号がある とか結婚とか そういうケースをよく考えていないのですね。 コンピュータシステムが 入力ミスをはじけないなど 高いシステムの割には、おそまつなシステムであること いい加減な入力をすることを想定していない。 生年月日を丸めて入力するとか そして、問題がきずいた際に、対策を打たなかったこと これが被害を大きくしましたね。 などでしょう。 基本的には、職業モラルの低下だと思いますが・・・

yourvoice
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 勉強させていただきます。

  • o24hi
  • ベストアンサー率36% (2961/8168)
回答No.1

 こんばんは。  yourvoiceさんのご質問を読ませていただいて,まず浮かびましたのは「自己責任」と言う言葉です。  見当違いでしたら申し訳ないのですが,それについて私見を書かせていただきます。 ・「自己責任」とは,「結果の平等」より「機会の平等」を重視した考え方と言えると思います。つまり,申請主義で言いますと,「申請(機会の平等)したら権利が得られるが,申請出来ることを知らなかったことについての救済(結果の平等)はしませんよ。」ということですね。 ・「結果の平等」と「機会の平等」のどちらが良いか悪いかは,一概に言えないとは思いますが,「機会の平等」に傾きすぎますと,「機会」があっても「機会」を生かす才覚のない方は敗者になるという「弱肉強食」の社会になると言えるのではないでしょうか。 ・勿論,「結果の平等」も行き過ぎると,「運動会の徒競走で,最後は手を繋いでゴールする」という変な平等主義に走ることになりますから,困った社会になりますよね。 ・「申請主義」は「十分な情報公開」や「情報提供」があって初めて機能すると思います。  今回の年金問題にしても,定期的に年金記録を本人に知らせるなどの「情報提供」をしていれば(他国ではしているところもあるようです)「申請主義」でも機能したと思うのですが。  すいません,取り留めのないお答えになりました。

yourvoice
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 勉強させていただきますね。

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