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東京裁判が日本人に受け入れられたのは
東京裁判が一部を除くほぼすべての日本人に受け入れられたのは日本人がA級戦犯をどう思っていたからですか?
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当時の人は生きていくのが、せいいっぱいでしょうし、現代の人間はそれほど教育で、東京裁判のことを教えてもらってはいないので、東京裁判はそれほど一般市民には、関心がないのではないでしょうか。 今、A級戦犯を誰かあげてみろ。と言えば東條英機くらいしか言えない人のほうが、はるかに多いのではないでしょうか。 満州の板垣征四郎が何をした人か、南京の松井岩根は何をした人か、広田弘毅は何者か。ということは特別歴史に興味がなければ、知っていることはあまりないと思われます。 したがって、A級戦犯のことにも興味が薄いため、自然な状態で何の疑問も持たず、結果だけを普通にのみこんでいる状態でしょうか。
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- AC-130V
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負けたから仕方ないのだ、という一種の諦めの気持ちと水に流すという日本人特有の考えの結果であると私は思います。 また当時の日本人が戦犯をどう思っていたか?ですが、昭和28年8月社会党が音頭をとり「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」がなされています。 これは国会の全会一致で可決され当時なおも拘留されていた戦犯1200名の釈放を関係国に働きかけました、そしてこの運動は大々的な署名運動に発展し全国で4000万人もの署名が集まっています、これは当時の有権者ほとんどが署名した数です。 さらに昭和29年6月に戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定されました、これは戦犯として刑死・獄死した人の遺族にも遺族年金や弔慰金が給付されるというものでした。 こういったものから当時戦犯がどう見られていたか?が分かるかと思います。 なおこの運動で戦犯とされた人は全員釈放されました、関係各国もこれに了承済みなため本来はどの国であろうと戦犯が云々と文句を言う権利は無くなっています。
- igaiga1967
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東京裁判で有罪とされた方々は、A級戦犯を含め、国内では犯罪者ではありません。ですから、独立とほぼ同時期に、全員保釈されているはずです。(当時、ほとんど受け入れら低なかった証明と思います) 受け入れられたのは、戦前の世界中が植民地だったことやハルノートの知識を持っている人が現役世代から少なくなってきてからと思います。 東京裁判で少数意見を述べたパール判事の判決では、「時代が経てば、この裁判の誤りが明らかにされるだろう」とされています。 当時の日本人は、「しのび難きをシノビ」という昭和天皇陛下の敗戦の詔を守って受け入れたに過ぎません。私の祖父、祖母は、植民地を失った連合国の恨みを晴らされただけだと言っていました。