日本には、江戸時代中期から「隠居」という制度、というか習慣がありましたから、定年制の骨格は江戸時代に求めることができるでしょう。
ただし、本人の意思と無関係に隠居を強制する「定年制度」は隠居制度とは似て非なる制度といえなくもないです。
私の父親の頃、昭和40年代は、確か50歳定年でした。その頃の平均寿命は70歳位になっていましたから、政府自民党も、当時の社会党とか共産党など社会主義者の提案を不承不承受け入れて、国民年金の導入を決断したのです。当時の中産階級は「税金が上がる。将来インフレになったとき、生活手段としての年金は無意味になる」という意見はあったのですが、自分達は親の老後を支えていたつらい経験のため年金制度の導入がなされたのです。(たとえば私の父親は、故郷の祖父に仕送りして、実際に祖父母の老後の生活を、祖父母の子供たる私の親が支えていました。年金がないから子に頼るしか親の老後は成り立たない家庭が沢山あったのです)
ピーター・ドラッカーの経営学書には「日本の大企業や官公庁は終身雇用制というけれども、実際の意味は、45歳までが終身雇用の範囲で、45歳を過ぎると、退職している。」(子会社や関連会社、天下り団体?)に出ている?)というような記述があったのを鮮明に覚えています。(書名は???)
本来、「本人が何歳まで働くかは本人が自由に決めるべき」という考え方が正しいでしょう。現に農業、自営業の方に定年制はなく、幾ら働いても年金が減額されるということもありません。(給与所得者は年金が減額されますが)働きたくなくなったとき隠居するのが理想でしょう。
しかし、やはり、組織で働く場合、定年制を敷かないと経営上の弊害が大きいというべきでしょう。自民党もやっと小泉首相の代になって定年制の導入に成功しました。
そうすると、働き盛りの時は、組織(会社、官公庁自治体)で働き給与収入をかせぎつつ、年金をしっかり貰える算段を講じ、定年退職後は、自営業、農業に転換して隠居するまで働くというワークスタイルが高齢化社会に最適という理論が生まれるでしょう。45歳頃から定年まで、定年後の自営業、農業への転換準備ができれば、難しい話ではないでしょうね。この理論の最大のメリットは年金制度がたとえゆらいでも、生活苦で死ぬことはなくなることでしょう。
定年制を考えることは、社会について、自分について深く考える良い機会となります。
お礼
回答ありがとうございました。 昭和22年で男性50歳ですから、60歳定年にしておけば、 生きている間に退職することはないだろう、という制度 だったのですね。 今となっては随分、異なる感覚だと思います。 ありがとうございました。