• ベストアンサー

今まで最高の本は?

 今までの人生経験で最高の本は何でしたか?人が一生の間に、その人に本当に合った本に巡り合うのは1~2冊と聞いたことがあります。  私は中国古典兵法書「孫子の兵法」1冊です。兵法の内容よりも、人生哲学書として人間の生きるすべを学びました。よろしかったら、皆様が巡り合った最高の本を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.2

岩波新書「ヘーゲル政治論文集(下)」ですね。 これは哲学者ヘーゲルの政治論文を集めたもので、上巻が若い頃のヘーゲル作品、下巻が円熟期のヘーゲル作品です。 下巻の中に、いわゆる「民会論文」というものが入っていて、正式タイトルは、「18XX年から18XX年のヴュルテンベルク王国の民会の議事録:代●●から▲▲うんぬん」とかいう、到底覚えきれない長ったらしいものです。この民会論文、ヘーゲルの大作の山の間でうずもれてしまっており、専門家の間でも認知度は低いという残念な作品なのです。しかし、ヘーゲルは法哲学や社会科学でも一級の哲学者であり、独自の成熟した政治理論を持っていました。象牙の塔の外で政治的に成功したのは、彼のキャリアを通じて、この民会論文だけであり、新聞に転載され反響を巻き起こしたのです。 具体的には、ナポレオン没落後のヨーロッパの新しい体制はどのようにあるべきかという議論が中心で、彼の出身国であるヴュルテンベルクでの憲法制定国会を取り上げています。当時のドイツは、ローマ法を使っていたため、ラテン語で書かれた法律を読める国民は少なく、ローマ法の書記が特権的地位を良いことに、本来支払うべき税金の7倍にわたる横暴な手数料を取っているケースすらあるなどと指摘する、義憤に駆られた熱い本です。書記と言っても三権分立以前の書記ですから、今風に言えば、司法書士、行政書士、税理士を兼ねた強力な権限を持っています。また、議会にはローマ法勢力が多く、ヘーゲルは彼らを厳しく批判し、ローマ法勢力と自然法勢力の論戦に加わっています。 哲学者の書いたものを読んで大笑いしたのは、この民会論文だけです。批判の激しさもはたから見ていると、こっけいなレベルに達しています。議会の行動は、まるで一昔前の日本の株主総会のようなシャンシャンぶりであり、ヘーゲルの皮肉や批判も、これでもか、これでもか、というほどのレベルです。他人の文章を引用した箇所では、こんなのもあります。「ヴュルテンベルクは、他のドイツ系国家ではファウスト博士以来、知られるところでなくなった特別な人間を扶養するという、悲しむべき美点を持っている。ところでこの特別な人間とは、書記である。」何のことだか良く分かりませんが、多分、ファウストのように悪魔に魂を売ったのが書記である、というもってまわったイヤミだと思います。 さてこの民会論文、ヘーゲルの大著にして他の政治哲学者の間でも著名な「法の哲学 - 自然法と国家学」の数年前に発表されており、「法の哲学」の先駆けとなる主張を多数含んでいます。世間ではこの大著は「法の哲学」という名前で知られていますが、実際は、「法の哲学」がメインタイトルで「自然法と国家学」がサブタイトルなのか、それとも逆なのかという基本的なことすら、専門家の間でも、あまり議論されないのです。 ヘーゲルは若いころギリシャ的共同体を理想像とする趣味にはまっていたこともあって、近代自然法には批判的な人物であるというイメージが強く残っています。しかし、民会論文から1817年における講義の講義録などを読んだ後になると、少なくとも円熟期に入った後のヘーゲルは、ルソーの意志論を使いこなし、自然法の系譜に入る思想を持っていたことが、明快に浮かび上がってくるのです。 「法の哲学」の序文には、理性的なものと現実的なものは一致するという有名な部分があり、マルクス主義者が誤解して、ヘーゲルは既存の社会制度を擁護する守旧派だというイメージを世間にばら撒いてしまいました。しかし、よく読むと、意味は全く違うのです。本来の意味は、「哲学は偏見にとらわれていない意識と同じで、理性的なものと現実に機能するものは同じであるという確信から出発する」という文脈なのです。はっきりと言い換えると、「理論と現実は必ず一致する。理論では正しいが現実には機能しないなどと言う人は、偏見にとらわれているだけだ」という意味であることが分かります。 私もヘーゲルと同じく、理論と現実は必ず一致するという信念で生きています。この結論にまで私を導いてくれた「民会論文」に、感謝感激です。 マルクスがヘーゲルを正しく理解できなかった理由のひとつに、マルクスの世代においては既に自然法理論のような架空性の高い理論は使われなくなり、社会科学でも実証主義的傾向が強まっていたという事情があると思います。なんという研究者のセリフだか忘れましたが、ヘーゲルは自然法の完成を見るとともに、その解体が始まる位置に立っているのです。

ADATARA
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「ヘーゲル政治論文文集(下)」ですね。さっそく読んで見ます。 自然法という言葉、30年ぶりで聞きました。学生とき自然法が大好きで講義の時間がとても楽しみでしたし、社会人になってからも、自然法的な考え方も持っていました。  長文で詳しい回答、誠にありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.3

ANo2 harepandaです。 すいません、ひとつ訂正。岩波新書ではなく岩波文庫です。

ADATARA
質問者

お礼

岩波文庫の「ヘーゲル政治論文集(下)」ですね。ありがとうございます。ちなみに、私のNO2の本は、坂井三郎著「大空のサムライ」(光文社)です。世界的に好評だった、元ゼロ戦パイロットが書いた本です。戦争のことはともなく、空中戦を戦い抜くすべが書いてあります。特に「空中戦で勝負が決まるのではなく、地上にあるとき(反省や研究などなど)決まる」というところが感銘を受けました。あとは、私の場合は該当ないですね。回答ありがとうございました。

  • ozunu
  • ベストアンサー率14% (240/1644)
回答No.1

「詭弁論理学」 付録の鏡に関する議論の中の、「左利きは人間ではないと定義しよう」という一節が笑った。

ADATARA
質問者

お礼

さっそくの回答ありがとうございます。 ネットで調べて見たら、中央公論刊380円、野崎昭弘著ですね。詭弁にだまされない、自己が詭弁に陥らないという視点でユーモア交えての論理学の本のようですね。さっそく購入して読んで見ます。回答、誠にありがとうございました。