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活字離れから影響得る社会とは

活字離れは社会の将来に何か影響あるの?よくわからないので、みんなさんの意見を聞きたい!

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回答No.6

それほど影響は無いと思います。 あるとすれば、出版・新聞業界が縮小するということでしょうか。 これらが縮小すれば、雇用などに大きく影響はするでしょうが…。 まず、昨今言われる「活字離れ」とは、「活字」ではなくて、「新聞離れ」を指している、ということが重要な点です。 現代の日本人の活字に接する機会を調べたところ、「新聞・書籍を読む時間」であると、中高年が長く、若い世代ほど短い、と言う傾向が出ています。 ところが、これを「新聞」と「書籍」にわけ、「書籍を読む時間」直すと、今度はもっとも読んでいないのは中高年になり、10代、20代の方が沢山読んでいる、と言う結果が出ました。また、ある都立図書館での本の貸し出し実績も、もっとも本を借りているのは若者世代と言う結果が出ています。 つまり、ここで判るのは、現代の若者は「活字離れ」ではなくて、「新聞離れ」をしている、ということです。 では、新聞はどのようなものであるか、を考えます。 すると、新聞は、社説・コラム・連載小説などの「読み物」としての側面と、事件記事や経済情報など「情報速報」としての側面があります。しかし、インターネットなど情報機器が普及した今、後者について新聞の価値は下がっています。それらが、若者の新聞離れを招いた、ということは否めないでしょう。また、現在、新聞を読んでいる人々も、新聞を何の為に読んでいるか、と情報収集と言う人も多いことでしょう。すると、新聞を読んでいる、と言うことと、文章を読んでいる、は一概につなげるわけには行かなくなります。 そうすると、ますます、日本人(特に若者が)活字離れしている、という言論に疑問を抱かざるを得なくなります。 よくメールなどのギャル文字、顔文字などを「言語能力の低下」と見做す人がいますが、これもよく考えると一面的な見方といえます。 これらは、これらであるルールに沿って形を成し、それに基づいて読み解かなければならないものです。確かに、既存のものと形は違います。しかし、そこにはそこのルールが存在しているわけで、読み為には論理的思考が要求されます。それを無視することは出来ません。 また、インターネットでは気軽に調べられるから、頭に残らない、というようなものもあります。これも、かなりの極論といえるでしょう。 確かに、簡単に調べられる分、一度に頭に残ることは少ないかも知れません。しかし、その分、何度も調べることが出来ます。 ある物事を覚えるのに、苦労して1度で覚えることは良いことでしょう。しかし、何度も何度も繰り返して覚えることだって、一つの方法としては十分に良いことです。「覚えること」が重要なら、その人にあった方法を取ればよいのであり、どちらが良く、どちらが悪い、などと言うことはありません。 むしろ、気軽に調べられるようになったことで、「わからなかったら調べる」と言うクセをつけるのは良いことです(ちょっとわからないからと言って、重い辞書を引っ張り出して調べる、と言うのはなかなかしづらいですからね) 「活字離れ」について語る際、その活字というものが主に「新聞離れ」であることを考慮していない場合が多い。 そして、その影響について語る際、かなり一面的な見方がなされていることが多い、というのがこの問題について語られる大きな問題点だと思います。

5gogogo5
質問者

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回答ありがとうございます! すばらしい意見とおもいます! 「活字」はなんだろね?人によって違うと思う。それに基づいて意見も違うと思う!

その他の回答 (6)

回答No.7

>しかし、ネットを使って情報を手に入れることは便利ではないでしょうか! 確かに便利です。 しかし、人間は楽なほうへと流れてしまいがちです。 楽な方法があるのに、わざわざ難しいことはしません。 このサイトの質問を見ていると、回答で「自分でぐぐってみたら」という答えを見かけます。 同じことは実生活でもあります。 自分で調べもしないで直ぐに教えを求めたり、「教わったことがないのでできません」と平然と反論したり。 指示されたこと以外、できないのですね。 しかも、その指示は、丁寧にわかり易く、理解できるまで教える必要があります。 自分で考え、判断し、実行する。 その根源を失ってしまっていると思います。 >それから、そういう読解力と想像力は、電子ブックを読むときに、いらないでしょうか! 前提が異なっています。 初めて本を読むのは、子供の頃、図書館の本だと思います。 子供がいきなり電子ブックは読まないでしょう。 子供の頃、本を読むことを覚え、そして読解力や想像力を養うのです。 子供の頃、読書の楽しみがわからなかった人が、大人になって本を読むとは思えません。 最近は、漫画すら読まない子供も増えているそうです。

5gogogo5
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 意見は人によって違うと思う。そして「活字」に対して、理解の範囲によっても、結果が違うと思うので、それはこのサイトの存在の意味である!

  • 63ma
  • ベストアンサー率20% (265/1321)
回答No.5

 活字離れという意味は、書籍や新聞等の文字を読まないという意味ではないと思います。  映像や漫画に興味を持ち過ぎている事への、一種の警鐘例かと思います。  つまり、映像や漫画は、思考に関しては一方的で、自分で状況や意味を考える必要がないので、物事を分析する思考力が低下します。  思考力の低下した国民の社会は、破綻します。  その事を恐れての比喩が「活字離れは社会の将来に何か影響ある」だと思います。  しかし、現在のようにPCで各種の情報が容易に入手出来、文字に拠る情報は、正に活字であり、その情報の真偽を判断するのはPC利用者の思考能力です。  従って、必ずしも書籍や新聞の活字に拘る事はないと思います。

回答No.4

今でも十分影響していると思います。 まず、知識の低下。 漢字は表意文字であり、表音文字である平仮名・片仮名と違い、僅か1文字で表現される意味は多彩であり、組み合わされることにより、その情報量は更に増大していきます。 「活字離れ」とは、書籍・新聞等を読まなくなるということです。 本を読むということは、読解力と想像力が必要です。 挿絵があったとしても、全てを表現できるわけではありません。 その、一文の意味するところ、そして隠された著者の意図の推理等、深く思考を巡らし、他人を思いやることにも繋がります。 そして最も影響が大きいのは、「主体性の低下」です。 本を読むには、主体性が必要です。 興味を持った事柄を本の中から探すには、まず、本の取捨選択から始めなければなりません。 そして、本の中から必要な情報を選び出すのです。 本を読む、ということも同じです。 様々な本の中から、書評や他人の意見を参考にして本を選び、読み解いていくのです。 辞書を引くことによっても、求める答えに行き着くまでに、様々な語彙に遭遇します。 そして、それらも無駄にはなりません。 インターネットの普及は便利にはなりましたが、その便利さゆえに努力が要らなくなり、携帯電話のメールの普及は、ボキャブラリーの貧困を招いています。 ギャル語などの若者言葉は、形容詞、形容動詞を覚え、理解し、使いこなす能力の喪失を表しています。 これなど、活字離れの影響の、最たるものでしょう。

5gogogo5
質問者

お礼

回答ありがとうございいます! しかし、ネットを使って情報を手に入れることは便利ではないでしょうか! それから、そういう読解力と想像力は、電子ブックを読むときに、いらないでしょうか!

  • phantom1
  • ベストアンサー率24% (184/748)
回答No.3

No1です。 確かにネット社会の拡大で文章を読む機会自体は増えたかに見えますが、ネット上に流布されている文章と活字媒体である書籍の文章には、明らかな違いがあります。それは、長さです。メールやブログなどの文章は、多くの場合非常に短いセンテンスの、言い棄て型のものばかりです。多くは400字詰め原稿用紙一枚分の字数もないでしょう。メールやブログ等の文章は(例外はあるとしても)概ねインフォメーションであり、本の形態を取る活字媒体はインテリジェンス、とでも比較しましょうか、質が違うと言うよりも、種類自体が違うと言って良いものだと思います。前者の文章に慣れ過ぎてしまうと、長い文章を理解する能力が発達せず、言葉の前後の因果関係を把握する能力も弱体化します。それだけ複雑な事柄を理解する能力が低下する、と言う事です。

5gogogo5
質問者

お礼

再びありがとうございます! 確かにネット上に流れている情報に、誤っている情報はたくさんがある。しかし、本と新聞など「活字」の文章や情報に間違いも少なくないでしょう。間違っている情報か正しい情報か、判断力がとても重要と思う。 もしながら、小学生から電子ブックを読ませたら、この世はどうなるだろうね?

回答No.2

E-メール全盛ですが、これは活字離れというときの”活字”には入らないでしょう....”活字”というのは、新聞、小説等書籍、雑誌(コミック誌じゃない)を限定的に指していうのでしょう。。。。 いまや多くの人が、PC、テレビを媒介に文字、映像、音声が複合した情報を入手する時代です。情報量というだけでなく、情報に浸る時間も圧倒的にこれら”新メディア”が占有してしまっている時代になったわけです(これに対して紙面を前提にしたメディアを旧メディアとします)。 こんな時代になりましたが、文章の読み書きに関わる機会、時間は減っているのでしょうか? わたしは以前に増して増えている、、、というのが実情じゃないか、と思います。キーボードへの慣れ、携帯電話の普及、掲示板やブログなど気軽に(匿名で)投稿できるフリーのアプリケーションが豊富に整備されたため、いまや小学生以上のだれもがいっぱしの物書き、評論家を気取れる時代になりました。(文章の)読み書きから疎遠になってるなんていうのは世間一般の感覚からほど遠いんじゃないでしょうか??? とは言うものの、、やはり紙面で出会う文章と、ネットで出会う文章は質が異なる気がします。。良質な文章に出会う、、という経験は旧メディアにおいて圧倒的であると思います。人は数千年にわたって文章を記してきましたが、旧メディアはその中でも多くの人の支持を得ているモノを(良きにつけ悪しきにつけ)選別してきた媒体でもありました。この5~6年でかつての数千年分を超えるまで(ホントかいな?)にふくれあがった”情報”というのは、粗悪情報、重複情報がボリュームの大半を占め、もはや良質な情報を選り分ける”コスト(時間や労力など)”も馬鹿になりません。 わたし的には”活字離れ”というものが、具体的にいったいどのようなものを指して言われるものなのか、、、実はよく判らないのです。ですが、”活字離れ”と称される新メディアの台頭(現象)に依って、良質な情報収集にかかる”コスト”が(旧メディア時代に較べて)上がってきている、、というのが隠れた問題点じゃないかな、と考えています。

5gogogo5
質問者

お礼

回答ありがとうございます!

  • phantom1
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回答No.1

文章を読んで内容を理解する事は、頭の中で文脈を把握する事です。文章の読解力は即ち論理の構成能力でもあります。活字離れで人々が文章を読まなくなると、この能力が弱体化し、考えをまとめる能力が低下する、と言う事です。そうなると、自分の考えを他者に伝える能力も同時に低下します。話すべき内容を言語としてまとめる事が出来なければ、適切な言葉を発する事も出来ません。人間が思考する際の共通の決まり事が言語ですので、これを駆使する能力の優劣が思考力の優劣を決定する、と言っても差し支え無いでしょう。読めない、と言う事は、喋れない、と言う事でもあるのです。

5gogogo5
質問者

お礼

回答ありがうございます。 ということは、活字離れの社会になると、人は喋れない、交流できないことだよね!

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