それほど影響は無いと思います。
あるとすれば、出版・新聞業界が縮小するということでしょうか。
これらが縮小すれば、雇用などに大きく影響はするでしょうが…。
まず、昨今言われる「活字離れ」とは、「活字」ではなくて、「新聞離れ」を指している、ということが重要な点です。
現代の日本人の活字に接する機会を調べたところ、「新聞・書籍を読む時間」であると、中高年が長く、若い世代ほど短い、と言う傾向が出ています。
ところが、これを「新聞」と「書籍」にわけ、「書籍を読む時間」直すと、今度はもっとも読んでいないのは中高年になり、10代、20代の方が沢山読んでいる、と言う結果が出ました。また、ある都立図書館での本の貸し出し実績も、もっとも本を借りているのは若者世代と言う結果が出ています。
つまり、ここで判るのは、現代の若者は「活字離れ」ではなくて、「新聞離れ」をしている、ということです。
では、新聞はどのようなものであるか、を考えます。
すると、新聞は、社説・コラム・連載小説などの「読み物」としての側面と、事件記事や経済情報など「情報速報」としての側面があります。しかし、インターネットなど情報機器が普及した今、後者について新聞の価値は下がっています。それらが、若者の新聞離れを招いた、ということは否めないでしょう。また、現在、新聞を読んでいる人々も、新聞を何の為に読んでいるか、と情報収集と言う人も多いことでしょう。すると、新聞を読んでいる、と言うことと、文章を読んでいる、は一概につなげるわけには行かなくなります。
そうすると、ますます、日本人(特に若者が)活字離れしている、という言論に疑問を抱かざるを得なくなります。
よくメールなどのギャル文字、顔文字などを「言語能力の低下」と見做す人がいますが、これもよく考えると一面的な見方といえます。
これらは、これらであるルールに沿って形を成し、それに基づいて読み解かなければならないものです。確かに、既存のものと形は違います。しかし、そこにはそこのルールが存在しているわけで、読み為には論理的思考が要求されます。それを無視することは出来ません。
また、インターネットでは気軽に調べられるから、頭に残らない、というようなものもあります。これも、かなりの極論といえるでしょう。
確かに、簡単に調べられる分、一度に頭に残ることは少ないかも知れません。しかし、その分、何度も調べることが出来ます。
ある物事を覚えるのに、苦労して1度で覚えることは良いことでしょう。しかし、何度も何度も繰り返して覚えることだって、一つの方法としては十分に良いことです。「覚えること」が重要なら、その人にあった方法を取ればよいのであり、どちらが良く、どちらが悪い、などと言うことはありません。
むしろ、気軽に調べられるようになったことで、「わからなかったら調べる」と言うクセをつけるのは良いことです(ちょっとわからないからと言って、重い辞書を引っ張り出して調べる、と言うのはなかなかしづらいですからね)
「活字離れ」について語る際、その活字というものが主に「新聞離れ」であることを考慮していない場合が多い。
そして、その影響について語る際、かなり一面的な見方がなされていることが多い、というのがこの問題について語られる大きな問題点だと思います。
お礼
回答ありがとうございます! すばらしい意見とおもいます! 「活字」はなんだろね?人によって違うと思う。それに基づいて意見も違うと思う!