• 締切済み

活字とメールの違い

昨今は若い人のあいだで活字離れだといわれていますが、これは問題があるのでしょうか? 若者はメールをしてるので「字」自体は毎日のように見てるはずです。 本を読むこととメールを読むことではやはり違いがあるのでしょうか? 文章の理解力に差が出るとか、そんな風に言われることもありますがこれは実証されていることなのか、それとも出版業界のプロパガンダに過ぎないのでしょうか? 本筋とは離れますが、名作を読んでいると常識人であってマンガ・ゲームに詳しくても社会的に価値がないのはどうしてでしょうか? ボキャブラリーや知識はマンガ・ゲームからも得られるような気がするのですが…

みんなの回答

noname#37852
noname#37852
回答No.4

>本を読むこととメールを読むことではやはり違いがあるのでしょうか? 科学的にどうだかは知らないのですが、 実際問題として「文章の長さ(量)」は違いますよね。 長さや構造の複雑さは全然違います。 長い文章は読み慣れないと辛いと思います。 簡単な内容の短文を理解するのと、書類や文書を読むことや、さらに長い「本」を一冊読み通すのは同じではありません。 (これって英語勉強なんかでもそうですよ) >名作を読んでいると常識人であってマンガ・ゲームに詳しくても社会的に価値がないのはどうしてでしょうか?  今時そんなことはないと思いますけど。 何を常識とするかにもよりますが(世間の常識を破る本だって多いのだから)、読書好きの非常識な人間もいると思いますよ。 マンガやゲームに詳しくて社会的に活躍している人、評価されている人だっています。それこそ、マンガやゲームに関して本を出してる人たちだっているでしょう? もし「本のどこがエライんだ? マンガやゲームにもいいところがあるのに」と思うなら、そんな「名作=常識、マンガ=価値がない」なんて堅い考え方をしてたらダメだと思いますけど・・・・。 >ボキャブラリーや知識はマンガ・ゲームからも得られるような気がするのですが… 得られると思います。けっこう勉強になりますよね。 ただ、マンガやゲームには出てこない語彙も世の中にはあります。

noname#57390
noname#57390
回答No.3

厳密に言うと「活字」とはワープロが生まれる前からある日本語タイプライターで使う金属か木製のハンコのようなものです。 この言葉ができた時代の出版は今みたいに気軽に自費出版できる時代とは重みが違っていたのです。 だから「出版できる人はプロの作家」という意味での「活字」です。 「作家の文章は優れている」→「活字=文学」です。 ワープロなら誰が打っても活字風のキレイな文字で印字できますが、それは「活字離れ」というときに使われる意味での活字とは意味が違います。 「活字=字の形状」ではないので日常会話と変わらない文章は活字ではありません。 今ではホームページやブログで素人の文章を読むこともできますからそれを「活字を読んでいる」とは言わないことは当たり前のことです。 名作と言われる小説を読んでいても文学として研究しなかったら常識人や知識人ではありません。 深く研究したものを大学の論文なども含めて「発表する」からこそ知識人なのです。 逆にマンガやゲーム、ライトノベルに詳しいだけでは誰も何とも思いませんが、その知識を活かして自分で書(描)いたりプログラミングしたりと職業にするのなら認められます。 あとはその作品のレベルと評価で決まります。 どんなものでも知識を得ただけで使わなかったら意味がありません。

回答No.2

あまり、変わらないと思います。 ただ、書籍などの場合、プロの文章家が文章を書き、それを編集者がチェックします。一方、素人が書く文章は稚拙な場合が多いでしょう。また、メールなどの場合、知人・友人同士などの場合が多いわけですから、正式な文体をしていない、ということもあるかも知れません。 ただ、それは、だから書籍が優れている、とかいうことではなくて、単純にメディアの持つ特色であると思います。 少なくとも、このようなものについては、相当、大掛かりな調査を行わなければならず、信頼性のある調査は行われていません。 >本筋とは離れますが、名作を読んでいると常識人であってマンガ・ゲームに詳しくても社会的に価値がないのはどうしてでしょうか? 単純に、評価する側が理解していないから、でしょう。 今、小説などを読むのは社会的に認められた「立派な趣味」のように語られていますが、そうなったのは最近のことです。かつては、小説などを読むと、ロクな大人になれない、などと批判されていた時代だってあります(例えば、現東京都知事の石原慎太郎氏の作品の愛好者などは、太陽族と呼ばれ、PTAなどから強烈な批判を受けていました)。 新しい文化というのは、大抵、どんなものでも「良識派」を名乗る人から批判をされるものです。浮世絵だって、歌舞伎だって、皆、かつては批判され、規制されていたものです。それが、ようやく、今になって「伝統文化だ」などといわれるようになったのです。 マンガやゲームなどに関しても、同じような経緯をたどっているだけ、といえるでしょう。

noname#42776
noname#42776
回答No.1

難しい言葉を見なくなる、というところに問題があるのではないでしょうか。 漫画やメールやゲームは、大抵分かりやすい言葉が使われています。 ふり仮名がふってあるものも多く、「読めるけど書けない」 「なんとなくしか意味が分からない」という言葉が増えていくのでしょう。 漫画やゲームは絵と共に展開されるものなので、すべてを文章で 詳しく説明しているわけではありません。文章を流し読みしても セリフや絵でなんとなくストーリーが分かるものです。 だから、小説に触れるのと漫画やゲームに触れるのとでは少し違いがあります。 小説は最低限のセリフで、状況などは文章で表されています。 「名作を読んでいると常識人であってマンガ・ゲームに詳しくても社会的に価値がない」 なんてことはありません。漫画、ゲームでもボキャブラリーは得られます。 文章力はあまり培われないと思いますけどね。 中高生が好む小説は、漢字が少なくて行間が開いていて、セリフと効果音が多いもの、 だといわれています。例えば法律の本や憲法を読むとして、 本をまったく読まない人と読む人ならば、後者のほうがきちんと理解するでしょう。 本も漫画もゲームも好きな人が一番語彙も多く理解力も知識もあるんじゃないでしょうか。