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家族、または親しい知人が余命宣告されたことのある方に色々聞きたい事があります
私は、自分の親が余命宣告を受け日に日に弱っていく姿を見ながら、日々を過ごしています。私は今自分がすべきことは何か、聞いておくべきことは何か色々考えています。 先日の事です、当人がお金の事を少し心配しているように見えたので、私は、当人が入っている生命保険の生前給付の手続きをしたら、当人が喜び、安心するだろうと思い、保険会社に行って用紙をもらってきて本人に渡しました。そしてその後後悔しました。 生前給付とは本人が余命数ヶ月と正式に判断された場合にでる保険金の一部です。 私は本人が1%の希望にしがみついている時に、私のとった行動は、まるで望みなしと決め付けているような、そんな風に見えたのではないかと、本人を傷つけたのではないかと、後悔しました もし、あなたが病気の人によかれと思って言ったことで、後悔している事、エピソードがございましたら、参考にさせていただけないものでしょうか また、少々本人の気を悪くさせてでも、この事は聞いておくべきだった、と思うことがあれば教えてください 私は以前テレビか何かで余命宣告された方用の日記が本屋さんかどこかに売ってあると聞きました。それには、今、本人が思う事はもちろん、お葬式の希望、入っている生命保険の種類を書く欄があり、便利な日記らしいのですが、私がそれを購入し本人に渡すなんて、それがいいことなのか、悪いことなのか、分からないのですが、私としては書いてほしいと思いますが、気を悪くするでしょうか 聞く事自体不謹慎かもしれませんが、がんは末期になると、苦しいのでしょうか あのときああしておけばよかったと思う事、今私がすべきことを、教えていただきたいです また、こんな事に大変喜んでくれたというエピソードもよろしければ教えてください よろしくお願いいたします
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9年ほど前に父が癌で亡くなりました。闘病生活わずか5か月・・・その期間は本人にとっても、また家族にとっても非常にツライ時期でした。 昭和ひとケタ生まれの父はギリギリまで我慢していたようで、ある日突然「お腹が痛い。医者に行ってくる。」と言い近所の小さな医院へ行き、そこで「そのまますぐに行ってください。」と言われた病院へ行きそのまま入院。重度の腸閉塞。検査をして大腸癌があることがわかりました。腸閉塞の症状が緩和するのを待って手術となりました。 病院の先生から症状のお話を聞くときには父は必ず同席しました。母と先生が内緒で話をすることもできたのですが、それは決して許しませんでした。ですからはじめから父は自分の病気についてすべてわかっていました。 手術までは「手術すれば元気になる」と本人も家族も希望をもっていましたが・・・短くても5時間はかかるでしょうと言われていた手術が1時間で終わったときに、すべての希望が失われてしまいました。開腹したけれどそのまま閉じる・・・それしかできない・・・という状態でした。癌細胞が大腸だけでなく腹部全体に、腹壁までに広がっており手の施しようがない状態・・・ 仕事上医療知識がかなりあった父に隠し通すことはできません。余命をどのように生きるか前向きに考えられるようになるまで、私たち家族は時間がかかりました。父の気持ちを想うと苦しくて辛くて・・・ 術後しばらくして退院。2か月ほどは比較的元気でした。その間に父の希望する場所に旅行も行きました。 私は車で3時間ほどの道のりを小さい子供たちを連れて毎週通いました。子供たちの無邪気な笑顔を見るのを楽しみにしている父がいるので。 その後再入院し、2週間あまりで父は生涯を閉じました。 もっとこうしてあげればよかったと考えることはたくさんあります。でも父にはできる限りのことをしてあげたと思うことで、遺された家族は今生きています。今でも父の命日が近付くと、私は精神不安定な状態になります。今もパソコン触りながら涙が止まりません。 父は元気なころに母と「自分たちの葬儀はここで」と決めていましたので、その通りにすべて進めました。その話をしていたのはもちろん病気がわかる前の話です。病気がわかってからは、生命保険や葬儀の話は一切父の前ではしませんでした。家族が「死」を受け入れられなくてできなかったからなのですが。。。 kerurunnさまがテレビでご覧になったのは「エンディングノート」と言われるものですね。ネットで検索すると、出てきます。書いてほしいというお気持ち、とてもよくわかります。私の場合は父が生前に言っていたので父の希望が叶ったのですが、もし聞いていなかったらどこで葬儀をするのか悩んでいたと思います。でも、今どういうわけか葬儀業界で仕事をしていますが、こういう本人の意思による生前予約的なものって元気な方にしかなかなかお勧めしていません。余命宣告された本人にはいくら家族とはいえ、それはタブーではないかと。本人は余命宣告を受けたとはいえ、たとえば3か月と宣告されたのを半年生きるぞ、1年生きるぞ、とわずかな希望をもって残された人生を過ごしておられると思います。ですから本人から何か話があるまで言わないほうがいいのでは。。。と私は思います。もちろん自分の終焉をきれいに整理しておきたいという考えをお持ちの方もたくさんおられます。そういう方は何かしら家族にお話しされたり、書き残していたりしていると思います。 今のつらい時期、kerurunnさまが何をすればいいのか、それはkerurunnさまにしかわかりません。たぶん何をしたとしても後悔するかと思います。ならば思いつくことはなんでもしたらいいと考えがちですが、しなかったことでよかったと後で自分を納得させなければならないこともあります。何をしてもしなくても「これでよかった」と納得させなければ遺された者は気持ちを切り替えることができません。 私は子供たちの学校や幼稚園で毎週週末しか父のそばにいることができませんでした。本当ならば子供たちを休ませて、毎日そばにいたかった。でも父からすれば自分のために孫たちの生活を犠牲にするのは許せないことだったと、そう自分に言い聞かせています。 あとご質問にありました、「がんは末期になると、苦しいのでしょうか」。あれほどまでに忍耐強かった父でさえ、亡くなる少し前は痛みに耐えれませんでした。モルヒネの座薬の使用を自ら申し出ていました。精神的にも限界だったようで、「また週末にくるからそれまで生きていてね」という私の言葉に「それまで生きているかな。。。」と悲しそうにつぶやいていました。言葉どおり、週末まではもちませんでした。 kerurunnさま、まだまだ戦いは続きます。自問自答しながらの日々です。できる限りそばにいてあげる、食べたいものを食べてもらう、行きたいところは付き添ってでも行かせてあげる・・・など本人が望むことを叶わせて、少しでも安らかな日々であることをお祈りしています。
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- kyokyo41
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3年前に父は大腸癌に。 しかし、オペにより治ったのだけど 昨年、肝臓に転移。 オペをして癌は治ったけど・・・。 父の効き目は訳アリで失明。 父は目を何よりも大切に生きていたのだけど・・・・。 失明して鬱病になり 退院後わずか5日目の誕生日の夜 お祝いして自殺でした。 癌で亡くなるよりも辛いです。 目の前で父の遺体をよそにおまわりさんに呼ばれては 父の遺体を横切って部屋へ入る・・・何度も何度も。 余命何日とか何ヶ月とかの宣告のほうが何とか 私の精神力はもったと思います。 父の名誉のために今まで伏せてきた事実を つい書きたくなり書きました。 辛いですが・・・・。
お礼
ご回答ありがとうございます とてもおつらい経験を思い出させてしまい申し訳ございません。。 一度治ったのに転移することは、一度もった希望を何度も失うことですから、精神力がふだん強い人でも、やりきれない思いになられたことでしょう。。また違う病気になってしまった時はおつらかったことでしょう。本人、また、残された方の気持ちは私などには、想像することすら容易な事ではなく、ただお父様のご冥福を祈るばかりです。 目を大切にされていたということは、特に目を使うお仕事かご趣味をお持ちだったのでしょうか。おつらかったでしょう。。 遠くからご冥福をお祈りいたします また、残されたあなたの心が癒えることを心よりお祈りいたします ありがとうございました
- syokocya
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叔父が癌でした。 最初は知らせないでおりましたが、本人が薄々感づいていて最後には隠し通せないと思い、先生に告知をお願いしました。 叔父は強い人でしたので、告知しても何も変わりませんでした。 私に出来ることは出来るだけ毎日、顔を見せに病室へ行き、話し相手になることでした。 本人が手術はしたくないとの希望でしたから、最後はかなり辛そうでしたが、出来るだけのことをしたと思うようにしてます。 延命が本人にとって良いか悪いかは周りの方の判断だと思います。 私は一番身近で毎日見ておりましたので、直る見込みのない延命は酷だと思いました。 周りの人は遺書などを書いてもらわないと、遺産を取られちゃうよ・・・とかアドバイスしてくれましたが、いざ目の前にすると、とても言えませんでした。 我が家の場合はとても複雑で、結果的に遺産をとられてしまったのですが、あの時言わなくて良かったと思っています。 叔母の時は”顔を見せに来てくれるのが一番嬉しい”といわれましたので、これが一番ではないでしょうか? 大変でしょうが頑張ってくださいね。
お礼
ご回答ありがとうございます 私もなるべく毎日顔を見せ、話相手になろうと思います。 延命とは、抗がん剤を続けることの意味でしょうか?私の母も少し弱気です。医師は薦めるのですが。。。私も個人的には、少しの可能性でも良くなってほしいので、薬の投薬をしてほしいのですが、投薬後のつらそうな姿を見ると、何ともいえません。あくまでも本人の意見を尊重したいと思います 遺産の話は。。遺産はあまりないかもしれませんが、遺品のことで、今日、実は口から出そうになりましたがやめておいてよかったです これからならべく話し相手になろうと思います 叔父様と叔母様のご冥福を心よりお祈りいたします ありがとうございました
- 31icegirl
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一年半ほど前に、祖父を癌で亡くしました。 発見された際には転移が広がっており、入院して数ヶ月で亡くなりました。 両親が隠し通そうと決めたようで、孫や親戚一同は「早く良くなってね」と言い続けていました。 祖父は確実に気付いていたと思います。それでも黙っていました。そういう人でした。 両親もそれが分かっていながらも、隠すと決めていたようでした。 でも、私にはそれが良い事なのかどうか分かりませんでした。 私が余命僅かなのだとしたら、それを隠してほしくありません。 私は残された時間を楽しみたいと思う方なので。 両親は私の意見を聞いてはくれず、ただただ弱っていく祖父を見ているのが辛く、 祖父にどう接して良いのか分からず、あまり会いに行かない時期がありました・・・ ほんの少しの期間でしたが、その期間にもっと接する事が出来たのに・・・と後悔しています。 祖父がとても喜んでくれた事は、手紙を書いたことでした。 昔の思い出、近況、些細な事から自然の偉大さまで、何でも書きました。 祖父は毎日のようにその手紙を取り出して、読んでくれたようです。 毎日病院には行けなかったので、写真なども同封していました。 もっと祖父がしたかった事の手伝いが出来れば良かったと思いました。 祖父が亡くなるまでにやりたかった事は何なのだろうと後になって考えました。 病状の割に、食事を食べられる期間が長かったので、 少しでも食べたいものを食べさせてあげたかったと思いました。 祖父が病んでいたのは、寒い季節でした・・・ 私は散々子供の頃に色々と買ってもらっていたのに、 病室で着られる服を買ってあげることすら思いつきませんでした。 本当に些細な事でも、後になってすごく後悔しました。 私が「ああしておけばよかった」と思った事は、書ききれないくらい沢山あります。 質問者様のすべきことは、質問者様にしか分かりません。 でも、何もしないで後悔するより、何かをして後悔した方が・・・私は良いと思っています。 あまり深く考え込むより、思いついたら実行していくのでは良いのでしょうか・・・ 質問者様がどのように何をすれば後悔しないのかは、質問者様にしか分からないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます 私も、病名を聞いてどう接したらいいのか分からなくなることがあります。悲しい顔を見せてはいけないし、かといってぎこちない笑顔も見せずらい。。病人はその辺をよく見ているような気がして。。。 私ももし自分の立場なら、隠されたくはありません。でも今、健康な時にそんな価値観でも、中年になった時、老人になった時はどうなんだろう。。と色々考えます そうですね、私にしか分からないことかもしれません。思いついたら実行していこうかと思います。 ご冥福を心よりお祈りいたします ご意見ありがとうございました
- hurasuke
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5年前に父親を肺がんで亡くしました。肺がんはあと何年生きられるというのが人それぞれ違うんですが、一般的に危ないと言われてる半年でちょうど亡くなりました。 肺がんは延々とせきをして苦しみますね。呼吸困難になり病院に担ぎ込まれる回数が増え、入院する方がマシな状態になり・・・それ以上の治療は不可能なので、最終的に暗黙の了解の上の安楽死という形がとられました。 そんな中で私の父は「若年性のガンじゃないから進行はしないはずだ」「春になったらよくなるかなぁ・・・」などと延々と繰り返していました(笑)。多少でも病気の知識があるならば、死亡が確定しているのはわかる病気ですから・・・その発言は二つの意味を持ちました。つまり、病気の知識すら持たない愚か者であるか、死を見つめたくない人間心理か・・・。 父が多少冗談好きで、また、知識が乏しい人間だったもあり・・・周囲の人々は、死亡2週間前まで煙草を吸い続けて楽観発言をする父に対して、半ばあきれ返ったように「そうだね、そうだね、春になればよくなるから、みんなで旅行でも行くか」っと言っていました。 当時はそれら双方の発言の意味を私は理解していませんでしたが、今は思います。死が確定していつつ、それを見つめたくない父の心理と、それを理解して気休めを言ってあげる親族・・・そんな微妙な心理の中、安楽死の処置をされるまで・・・父は父なりに許された最後の時間を親しい人と過ごし、最後まで煙草を吸い続けたのでしょう(笑)。 さて、あなたが何をすべきかですが、ここまで書いておいて答えられません。あなたの親御さんがどのような形で死と向き合っていくのか・・・それはあなた方だけの問題なんです。どんなに状態を隠したところで隠し通せるわけではありません。仮に一時期隠し通せたとして、病状が悪化すればその時点で隠し通すことはより困難になります。かと言って「閉ざされつつある未来」を全部説明することは、まだ余命がある人間にとってこの上なく残酷です・・・。 私は思います。私の父が特殊だったのかも知れませんが・・・余命宣告された側は本人なりに死と向き合っているんだと思います。ただ、人にそれを見せたくない場合もあり・・・その度合いをご家族・ご親族が肌で感じながら、適切だと思える対応をしていくしかないのではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます 本人は誰よりも先に、医師から直接、病名、症状を聞きました。本人にとって、それがよかったのかどうか分かりませんが、私にとってはそのほうが良かったと思います。私には隠しとおすことはできないと思います。 本人なりに死と向かい合っているのですね。。本人は死についての話題は一切しません。いつも普通の世間話をして過ごしています。でも一人夜になると、いろいろ考えているかもしれませんね。 私が何をすべきか、自分で適切と思える対応をしていこうと思います ご意見ありがとうございました。 最後にお父様のご冥福をお祈りいたします
- matey31
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こんばんは。 病気の方の性質やご病気にもよりますよね。 私は父が癌でしたが、最後までみんなで隠し通しました。 でも、聡い人だったし、おそらく気づいてはいたと思います。 途中から、脳の方がやられて精神がまともでなくなったとき、ほっと安堵の気持ちもありました。 これ以上悟ってほしくないな、と思いまして。 一番悩んだのは、病院を転院するときです。 ホスピス、といいますか、そういった癌患者を受け入れる病院に変わったほうがいいのか、そのときはまだ脳のほうが正常で意識もありましたので、さすがに父もそういう病院に変わったということで、どう思うのだろう、とも思い悩みましたが、結果病院はうつりませんでした。 おそらく当人は、意識があるときは、自分の余命僅かなことを知った上で私たちに対応してくれていたのですが、一番喜んでくれた、というのは、私や妹の学校でのこと、だったり、成績のことだったり、つまりは私たち娘のことを話すと、喜んで聞いてくれました。 父は、余命僅かだから、~をしたい、とか思い残すことなく・・・をとか、そういったことをいっさいせず、私たちも最後まで自分たちからは告知せず、もちろん、お葬式の希望、など一切しないまま、最後を迎えました。 それがよかったのかわかりません、私も父の性質をすべて知らないからです。 ただ、脳がやられるまでは、意識のあった父(余命を悟っていた状態)が、私たちに一切何も聞かず、問いただすこともせず、何事もないように過ごしていた、というのは、今考えても、一体、父はどんな人なんだろう、と思いました。 娘の私が言うのもどうかと思いますが、とてもできないことだな、と思っています。 参考にならないかと思います。すみません。
お礼
ご回答ありがとうございます 途中で脳に転移されたのですか、さぞお苦しかった事でしょう。ご冥福をお祈りいたします。 周囲に何もきかず、何事もないように過ごす、そんな方もおられるのですね。男性的というか、ある程度器が大きい方でないと、できない事かもしれませんね。私もとてもできないことだと思います 私も色々、喜んでくれそうな話をしていこうと思います ご意見ありがとうございました
- mekadon3xv
- ベストアンサー率18% (103/562)
約3年前、母親を癌で亡くしました。 亡くなる約2ヶ月前、一応退院してたワケですが体調が急変→そのまま入院し担当医から呼び出され”もうどうする事も出来ない”と告げられました。 その後、病室で母親と対面し”何て言われたの?”と聞かれ一瞬言葉が詰まりましたが”いいよ、言って”との母親のひと言から医者から宣告された事を伝えました。(その後父親からは怒られましたが) 仮に当方が黙ってても母親は元・看護婦でしたので、結局は最期というのがわかっていたみたいでした。 可能な限り会う時間を作って下さい。 当方の場合ですが、母親が隠し事が嫌いな人間だったので聞かれた事は辛かったですがストレートに伝えました。
お礼
ご回答ありがとうございます 個人的な意見ですが、本人が聞きたいなら、事実を伝えてもいいと思います。女性はカンが鋭いし、病気に対する精神力が強いのではないかと思います。ただ、男性の場合、どうなのか分かりませんが。。 私達の場合、医師から直接本人に告げられ、次に私は本人から聞きました。隠そうとしても、なかなかできるものではないし、投薬する薬の説明も嘘を言い聞かせないといけないし、残酷なことかもしれませんね ならべく会う時間を作りたいと思います。ご意見ありがとうございました
補足
最後にお母様のご冥福を心よりお祈りいたします
お礼
ご回答ありがとうございます お父様のご命日になると不安定になられるのですね。おつらい事を思い出させてしまい、申し訳ありません。。私はまだ身近な人の死を経験したことがありません。自分がどうなってしまうか少し不安です。。 自分から葬儀のこと等聞かないようにしたいと思います、またノートの名前を教えてくださいましたが、購入はやめておこうと思います。 もっと他の時間の使い方もあるのだから、残された時間を楽しく、苦しまず過ごしてほしいと思います。 苦しむ姿は正直見たくはないのですが、できる限りのことをしようと思います。少しでも安らかな日々を送ってほしいと思います お父様のご冥福を心よりお祈りいたします ありがとうございました