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寛容さが美徳とされている理由は?

タイトル通りになりますが、「寛容」や「相手を受け入れる」や「(思いやりを持って)相手を許す」という言葉が、良くハウツー本にありますよね。 でも、寛容さを持って相手に接したがために、結果的に自分にマイナスになる場合もあると思いました。 実際に聞いた話で言えば、 ・自治体の作業を行うため、メンバーをグループ分けした際、どこにも入れてもらえなかったトラブルメーカーを自分のチームに受け入れた。 その問題の人物とうまくやっていこうと、メンバー全員で努力したが、結局、その人物を中心にいざこざが起きてしまい、作業自体が滞り、リーダーである自分が責任を問わされた。 ・人の好き嫌いが激しい上司の下で働いていて、自分は彼に嫌われてるようだ。部署異動も可能だが、その上司とうまくやっていこうとしているため、それは考えていない。でも、同期と比べても、もう何年も出世から遠のいてしまっている。 このような話から、寛容さは必ずしも自分にプラスにならないと思うし、時には相手を切り捨てることが必要なのでは?と思うのです。 ではなぜ、寛容さが美徳とされているのでしょうか?

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noname#254711
noname#254711
回答No.8

「得」と「徳」の違いを考えればわかると思いますが。。。 質問者の言う「プラス」とは「得」の事で 利益に繋がる・・・という事ですよね? 利益ばかりを追求する姿は、はたして「美しい」モノでしょうか? 「美徳」とは、徳を「得る」のではなく、人へ徳を「与える」ような 美しい姿(行い)を言うのではありませんか?

hamu1030
質問者

お礼

>「得」と「徳」の違いを考えればわかると思いますが。。。 確かに、寛容さが利益につながると思っていました。 寛容と損得は別物なのですね。

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その他の回答 (13)

noname#49694
noname#49694
回答No.3

 寛容さが美徳といっても、それが唯一の美徳ではありませんから、必要に応じてということですよ。昨日ローマ1000年史という番組でカエサルが寛容だったとあり、裏切り者を赦して自分の兵士にしていたのだそうですが、結局その内輪によって暗殺されてしまいました。  この事実は今日にも引き継がれる問題だと思います。  寛容さの利点は、人間に対する支配・同化の射程範囲を広くとることができ、協調的となることで平和になるということにあります。大きく国家の話でいえば、民族を抑圧し差別し切り捨てることは逆に国家の首を絞める恐れがあります。叛乱が起きて政府が逆に破壊される恐れがあるからです。そうであるなら、動乱のリスクを避ける方法は、少々マイナスでコストがつきますが、彼らの存在・文化を許容するほうがいい。  寛容さの難点は、いきすぎると自己破壊につながるということ。まあ難しい問題でいえば、同性愛を認めるかどうか。同性愛の婚姻を公認するというのは寛容さという意味では抑圧がなくなります。公認されないと、やはり国家的・社会的差別が起こります。ただのオカマはともかく生まれつきDNA上で体は男でも心は女性的に生まれる人がいます。こういう人たちまで非社会的だというレッテルをはられて、苦しめられるのです。  ですからこのように寛容と抑圧(差別)が表裏となります。これをあなたの話にあてはめます。結論はケースバイケースです。 1 自治体のグループ作業  ここで、ややこしい人を抱え込むことはまあ「実利的に」プラスはほとんどないでしょう。ただ逆にその人を排除していたとします。そうすると社会的差別につながるわけです。頭が悪いとか、動きがとろいとか。そんなの知ったことかというかもしれませんが、こういう負の連鎖(これはほんの一部となるわけですが)がその人を自殺させたり、犯罪に至らせることになりかねないというリスクがあります。  リーダーは責任を負うものなので基本的に当たり前ではあります。 2 わがままな上司との関係  再度強調しますが、寛容は同化(協調)のためにあります。自分は寛容でも相手が寛容にならない、つまり協調ができないという場合、もはや寛容という方針は無意味で空虚となります。それは寛容ですらなく、ただの「忍耐」という美徳に変わります。  たとえば労働組合。運動が活発になれば、賃金に上昇圧力がかかり、給与が増えるかもしれません。しかし逆にひどくなりすぎれば、企業の生産効率が下がり、ストライキだらけでかえって経済成長をはばみます。このように労使関係は協調と対立のバランスをうまくコントロールしないといけません。  ここの上司の関係も同じです。 3 例証  たとえば山田家と鈴木家が向かいに住んでいるとします。山田家は鈴木家の夜の騒音が少々気になります。鈴木家は山田家の朝の庭作業が耳にさわります。このことで対立的になれば、お隣関係は絶望的となり、生活そのものに幸福感が失われるというリスクがあります。そこで寛容になれば、現状での実害はあるものの、お隣関係が良好となり、生活にもハリが出てくるかもしれません。つまり同化(協調)です。

hamu1030
質問者

お礼

丁寧な回答をありがとうございます。 寛容さを持つことによる利点・難点が良く分かりました。 カエサルやキリストは、寛容さが過ぎて、自己破壊につながったということですね。

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  • green3103
  • ベストアンサー率30% (237/789)
回答No.2

寛容な精神は自分にプラスにならなくても、マイナスなことであっても受け入れるから美徳なんではないですか? 「自分にプラスか」と考える時点で美徳も何もないのでは? ・トラブルメーカーのせいで責任を問わされでもその人を咎めないことが寛容。 ・上司の贔屓のせいで自分の出世が遅れているとしても、上司を恨まないのが美徳。 基本的に自分の立場がマイナスになったり、相手が受け入れがたくてもそこに自分の損得など見出さずただ相手を認めることが寛容なのではないでしょうか? 寛容はいいことだからってなんでも受け入れて自分にいいことではないとわかったからって怒ってしまえば寛容でもなんでもないですね。相手の存在を本当に受け入れてない。 むしろ、2番目の話なら部署移動を願い出ても上司を恨んだりしないという話なら「寛容」にあてはまるかと。 ちなみに寛容といえばキリスト教?のような宗教的要素を連想します。 「神は寛容です…」みたいな。でもキリストってはりつけになったんですよね。「それでも神は人を許す」とあり、許されるために信仰してる?みたいなイメージがあります。 (キリスト教のことはわかりませんが、勝手なイメージです。) 自分が憤慨する気持ちになることだとしても、相手を認め、受け入れ、咎めないことでその人が拒絶されずに救われることが目的なので、「自分の損得」には全く関係ないものではないのでしょうか? 自分に被害が及んでも(嫌いな)相手のおとを思いやっての行動だから美徳なんでしょう。 被害が許せないくらいなら「寛容」なんてかっこつけてやらないほうがいいのです。

hamu1030
質問者

お礼

>被害が許せないくらいなら「寛容」なんてかっこつけてやらないほうがいいのです。 この言葉を読んで、ドキっとしました。 自分自身が職場の人間関係に悩み、自分に寛容ささえ身につけば、それなりのメリットが返ってくるものだと思っていました。 なのに、メリットより精神的疲労が多く、「どういうこっちゃ??」と不思議に思い、このスレを立てたので・・・。

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  • m_inoue222
  • ベストアンサー率32% (2251/6909)
回答No.1

寛容は自分のプラスになるからするわけでも無いでしょう 普通はマイナスに作用するでしょうね 寛容の精神が有れば自分が多少マイナスでもいざこざが少なくて済みますね 「寛容=自分にプラス」とはなりません そう言う考え方では有りませんから...。 ・弟と羊羹を切り分ける ・弟がわがままで多く取っても受け入れる そう言う感じでしょうか...。 >リーダーである自分が責任を問わされた。 そう言う人も含めて円滑にまとめるのがリーダーの職務 それが出来なかったのですから責任は有るでしょう >自分は彼に嫌われてるようだ 自分に問題があるかどうかは自分ではなかなか判りません 自分の評価は他人がします 「寛容の精神」は損得とは別物でしょう

hamu1030
質問者

お礼

早速の回答をありがとうございます。 >「寛容=自分にプラス」とはなりません 目からウロコの思いです。 >「寛容の精神」は損得とは別物でしょう 損得は、職場や家庭でうまく泳いでいこうとする人にとっては必要なものですよね。 寛容が自分にとってマイナスになるなら、上記の人たちにとっては、寛容はむしろ邪魔になるだけですか?

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