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一度逃げたカウンセリングを・・・

自分は、境界例、妄想性人格障害、躁鬱、その他色々持ってます。 大事な人を失いたくないのに、自分で切り捨ててしまう悲しさの中で、どうしても、これ以上、もう大事な人を自分の手で失いたくない思いで、通院を決意し、半年前まで一年間、精神科に通院していました。カウンセリング毎週30分受けていました。 人格障害に対応してくれる医師も少ない中、とても信頼のおける病院と医師に出会い、カウンセリングを行ってくれていました 毎週決まった曜日、決まった時間に30分。これが通院契約として、約束でした。 しかし、人格障害のある自分は、自分の心を覗かれている不安と、医師から改めて、「言葉」としてズバリと言われた「愛情飢餓」という言葉にものすごく傷つきを覚え、医師に対しても不安と恐れを感じ、境界例における、人間関係の中での切り捨てをしてしまいました。 しかし、医師は、勿論、私が境界例のその一連で切り捨てをしたことを理解していました。 私は完ぺき主義のために、切り捨てをするときも、通院を辞める電話を自分からしました。 医師は、電話口で、「通院を辞める行動は、いつものあなたの循環なのです。必ず、来週、また来てください。私は待っています。」と言われました。言われれば言われるほど、私は、医師から離れたくなりました。これ以上自分の中に誰かが立ち入ることが怖かった。全て読まれてしまっていることに恐れを感じました。だから、私は、断固として、もう行かないとい何度も言い続けました。 医師はそれでもしつこく、「来ないと言われても待ちます。」と言っていました。言われれば言われるほど、私は医師を突き放したくなり、とても冷たい口調で、もう二度と行かないと告げて電話を切りました。 それから半年。 やっぱり、人格障害等の苦しい自分との葛藤の中、生きてます。 これ以上もう大事な友人、家族を傷つけたくない、切り捨てたくない。 だから再度通院をしようと考えています。境界例を受け入れてくれる病院は少ないです。だから、もう一度同じ医師に頼むか迷ってます。 あのとき、治療を切り捨てたのは、医師との相性が悪かったのか、それとも、自分のいつもの切捨て行動の性なのか。 ただ、「愛情飢餓」という言葉はとても苦しかった。自分でも理解しているけど、他人に言われることはすごく辛かったです。 それと、境界例の自分は、相手の言葉の期待に答え様とする癖があるので、先生からは何も発言しない、クライアント中心療法を先生が提案して進めていました 基本、自分が思ったことを話す時間でした。そのため、だんだんと話すことが無い日が苦痛だったのと、全く前に進めている感覚が無かったことが治療断念の一つでもありました。 長くなりましたが、このような自分は今後どのようにしていくことが一番好ましいでしょうか 助言お願いします

みんなの回答

回答No.1

 自分の心の内を医師に話せずに、後になって考え直して、言いたいことが有ったという経験がありますか?  なかなか医師を目の前に自分自身について語るのは難しいのですが、自分の苦しさを次の回でも良いから医師に「前回は、言えなかったけど」と改めて言うはいかがでしょうか。  残念ながら貴方の苦しみを僕には共有できません。  ただ話すの辛いのは、相手から何か回答を期待している気持ちがあるのだと思います。それは貴方が治りたいという意志だと思います。  診察は1回切りでは無いでしょうから、焦らず少しずつ進めたらいかがですか。辛いときは医師に辛いと言うほうが良いと思います。

noname#46719
質問者

補足

その医師とは一年間診察受けてましたので、一回きりの診察ではないです。 他の方のご回答お待ちしています よろしくお願いいたします