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好みの像
少し前、個性化がはやっていて自分としても、家事も多少しますし、アイスクリームも食べます。また女性が着ている服っていいなとも思います。自分の分化したもし、女性だったらこうするといった像が好きになっているきがします。統合して自分一人になるような気がします。好みの女性だと親密性が課題になると思います。アニマ・アニムス(心理学でいう自分の中の女性像・男性像)は一つな気もします。外にむくか中にむかかともいえるとおもいます。自分の分化したものと異性像の差を教えてください。像の形成の仕方の差などどういった差があるか教えてください。またそとにむくにはどうすればいいですか。
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自分の分身に惚れるのは「ナルシスト」です。 理想の女性像は必ずしも、「自分のアニマ」とは限りません。 人間には「憧れ」というものが存在します。 自分には「無い」ものを求める気持ちです。 「異性」というのは、ただ、それだけで「自分ではないもの」なのです。性別が違いますから。 つまり、異性というのは「憧れ」の対象なのです。 自分が「女性だったら」と考えるのは想像力です。その「自分」は「想像の産物」であり「実在」しません。 対して、「理想の女性」は「実在」します。 「自分の分化したもの」は「自分に内包されたもの」です。 「異性像」は「自分に無いもの」です。
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人間は当初、男女が背中合わせでくっついた物でした。 男の要素も女の要素も持った、完全な人間だったのです。 でも、神様が男と女に分けてしまいました。 お互いがお互いを求める不完全な存在になりました。 でも、向かいあって抱き合えるようになりました。 自分に内包していたものか、まったく新しいものか、判別する方法は簡単です。 関わったときに「不快に思うもの」は、すべて「まったく新しいもの」です。未知なので気持ち悪いのです。 逆に「快く思うもの」は、すべて「自分の中にあったもの」です。 異性、といっても、誰でもいいわけではありません。 自分とペアになるべき人間は、この世にたった一人しかいないのです。 ご自分の半身を見つけられることをお祈りします。
お礼
再度ありがとうございました。快・不快が大事ですね。確かに誰でもいいわけではありません。まるっきり外のものはいけないということですね。
お礼
ありがとうございます。つまり自分の異性をえて、かけたものをあわせて完成に近づくということですね。自分の反対性はそれをあわせても別に完成するわけでなく、ただすてたものをあつめているのにすぎないということですね。違いがなんとなくわかった気がします。
補足
すいません。納得しました。自分の場合は完全に向かおう。欠けたのをうめようとするとき自分を個性化して、すてたものを集めて対応しようと思います。でもあるべきは外からかけたものをとるのが理想だということだと思います。間違えないための心がけや判別など教えてください。異性にたよるとあこがれでうめようの違いとかおしえていただければと思います。多いので、答えれる範囲で御願いします。