何年か前のことになりますが哲学カテゴリーで「女に哲学は不可能か」とかいう質問が立てられ非常な紛糾を招いていたことを思い出しました。その時の質疑応答のなかで女性の社会的立場の歴史を指摘する意見も、もちろん出ておりました。
なにしろ女性と男性では、これまで、戦うステージが別でした。こんにち戦いのステージも男女同じくする場面が増えましたしオトコには負けてられないは、時にはウッフンもナデナデもしてあげなきゃならないは、ゴハンも作らなきゃならないは、カオの壁塗りしなきゃならないは、髪とボディの手入れも欠かしちゃならないは、おまけにマニキュア、ペディキュアなんかもしなきゃならないは、でホントおんなのこはタイヘンです!女は忙しい!!(笑)
まぁヨメの貰い手がないことが困り事になるかどうかは現代では個人の価値観にもよるところ大でしょうが、パーだと思っててもらうほうが繊細な男性を無用に怯えさせず、生きやすいという側面があったのも一面の事実でしょうネ(笑)
No.1様が御紹介された「女子は数学が苦手」はステレオタイプのせい、というリンク、心理学的にも興味深いですね。
「プレテストでは約90%だった正答率が80%程度に落ちた。後者のグループは、わずかに成績が上がった。」この「90%→80%」、「わずかに」というのを、どう評価するかという問題もあるでしょうが、
「不安(という先入観)が作業記憶を低下させる」というのは要するにバイアスがかかってる状態を言うわけで、こうしたことは日常よく見受けられることでもあり、むしろ、ありふれているとすら言えるかもしれません。
No.3様が挙げていらっしゃる男女の脳の違い、これは私も理由の一つとして挙げられるのではないかと思っています。但し、脳そのものにも男性脳、女性脳というタイプ別があり、通常の性別には関わらず、個人によって違ってくるらしいです。
No.4様が仰っている教師の性別、これも見過ごせない要因かもしれません。No.1様御紹介のリンク、ついでに関連記事『男の子には男性、女の子には女性の先生がいい』というのも覗いてみました。これは教師側の先入観の問題や生徒が、いわゆる「お年頃」に相当することの影響等絡んでいるということらしいですが、それ以外にも、苦手なことを教わるのに、それを最初から得意としている人に教わるのがいいか、それとも苦手を克服した人から教わるほうがいいかという問題も指摘できると思います。
私自身の女性全体に対する印象を一言で言うと、とにかく論理能力が発達していない人が多い、ということです。これは別の言いかたをしますと、思考の妥当性を問う能力が低いということです。要するに感情が勝っている。
女性は言語能力が発達していると、よく聞くのですが、これって口が達者ということとイコールなのかな?言語能力が優れているのなら論理能力だって優れているはずなんじゃないかと思うのですが。。。
実際は、このサイトの哲学カテゴリーあたり見てたら、よく分かるように、「論理はメチャクチャ、よくしゃべる」というタイプを、よくお見かけします(笑)
女性は脳梁という部分が男性に比べ著しく発達しているそうです。このことの影響については私、不勉強にて、よくは存じないのですが、女性の、コトバというものに対する、論理よりは感性優位という一般によくみられる現象の理由が潜んでいるのではないかと思います。
それは赤ちゃんを育てるということを、主に女性が担ってきたということが大きく作用しているとか、そういった長い歴史が遺伝子レベルの影響を及ぼし、こんにちの人類の脳を形成するに至る大きな要因となったということも言えるのだろうかなと思います。
赤ちゃんの泣き声等というのは普通で言う言語の範疇には入りませんが、しかし母親というのは一般に、これをよく理解するもののようです(ある程度は慣れもあるでしょうが)。まぁ赤ちゃんは基本的に、そんな複雑な要求をするわけじゃないですけど。
これは以前、心理学のカテゴリーでも述べたことですが男性は、女性である私の目から見て、一種独特な集中力があるように感じます。これは別の側面から見ると、ある種の視野狭窄的状態を招く恐れもあるのですが(女性には女性特有の視野狭窄状態に至るプロセスがあるように思う)まぁこれは一長一短ということになります。対して女性は集中力に、どことなく甘さがある。それは、たとえば何かを正確に切り取ったり測ったり色を塗ったり、というような単純な作業にも現れやすいようで、車の運転ですとか機械や工具の正確な扱い等も男性のほうが一般的には得意としている人が多いように見受けます。(もちろん個人差があることは承知しています。女性でも得意な人は得意だし男性でも苦手な人は全然苦手です)これは、おそらく腕力の強さにみられるような瞬発力とも関係しているように思います。
哲学では、また数学分野においても、そのようであるらしいと見受けておりますが、定義ということを非常に、やかましく言う。これは、ある側面から見れば、分からない納得できない(つまり、ある意味ニブい)からこそ分析し追究して定義づけようと欲するわけで、心情的レベルで、なんとなく納得できてしまっていて、それ以上には追求する必要を感じないのであれば、そこで止まってしまいます。
ヒトが築いてきた科学の歴史というものは、自然に対する飽くなき支配欲の歴史とも言えるでしょうが、これは主に男性が表舞台に出て担ってきた歴史でもあります。では女性は男性のように支配欲旺盛ではないかというと、そういうわけではない。一般的に女性の支配欲は、男性とは発揮のされかたが違うのです。それが学問分野として確立されることにダイレクトに繋がってきたかどうかということでもあると思います。
結論としては、飽くまで一般的には女性は男性のように論理能力を発達させてこなかったということが大きいと思われます。
そしてまた単に計算能力が高いということと数学的思考によって論文を書き上げられるかということとは、別の問題になるのでしょう。