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パドリーノ=ゴッドファーザー
外国を旅行中、息子のためにパドリーノになってくれと言われ、教会へ行き、洗礼(映画でよく見る子供の頭に水をかける儀式)に立ち会ってきました。私は日本人だし仏教徒だし…と最初は断ったのですが…。帰ってきてから調べてみると、このパドリーノ=ゴットファーザーというのは、子供の精神的な支えになると共に、父親が亡くなった場合は面倒を見なければならないそうです(法的な強制力はないですが)。こんな経験を持つ、あるいは、カトリックの方、何かアドバイス下さい。今後何をすべきでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 以前クリスチャンの方から聞いた話と私が学んだことからなのでどこまで参考になるかわかりませんが、ゴッドファーザーと言えば通常一族の信仰的にも世俗的にも尊敬されるような立場の人間を選ぶべきものです。 日本でも近世までは存在した烏帽子親・冠親のようなものと考えれば近いかと思います(こちらは元服する際ですが)。 ゴッドファーザーは例えその子の両親が存命中であっても信仰的には「師」とも「父」ともなる存在で、クリスチャンにとってはとても重要な役割を担うものである筈です。 何故それを一族とは縁も所縁もない旅行者で、しかも異教徒の質問者さんに依頼したのでしょうか。 余程質問者さんを「尊敬に値する」人物と感じ入ったとか、もしくは何かの事情で非常に急いでいたとか・・例えそうだとしてもないがしろにして良いようなこととも思えないのですが・・。 しかし質問者さんはちゃんとご事情を説明なさっている訳ですから、何か向こうが勝手に勘違いしているということでもないようですし、それほど重く考えられる必要はないのではないでしょうか。 確かにゴッドファーザーとはそのようなものですが、今は「かたちだけ」ということも多いのかもしれませんし、あちらもそのつもりであると考えられます。 ですから例えば旅先でたまたま縁があって「今度生まれた子に貴方のお名前から一文字頂いても宜しいでしょうか」などと言われて承知したと考えてみて下さい。 その場合そう言われたほうがその子の後々のことまで考える必要はありませんよね(また何か縁でもあれば別かもしれませんが)。 そのような感じだと捉えていたら宜しいではないでしょうか。 何しろ旅行者に依頼した訳ですから、あちらもそのくらいのつもりだと思います。 向こうのものを読んだりしますと諸事情により急いで「かたちばかりでも」結婚式を挙げねばならない二人が、「結婚」という「契約」に関しては兎にも角にも「第三者」の見届け人が必要であるということで、その場に通りがかった見も知らぬ他人にそれを依頼するようなことが結構あったりするそうです。 日本にはそのような慣習がない為頼まれたりすると驚きますが、あちらの人々は「そんなこともあるだろう」と快く承知してくれるとか。 そのような感覚なのかもしれません。
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- mapato
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#1です。 >ただ別れ際に、この子を将来、日本語のスペシャリストか○○(私の職業)にしたいと父親が言っていたので、始めから日本に対する憧れのようなものもあったのでしょうか? なるほど、そのようなことでしたか。 十分有り得ることだと思います。 余程日本人が「またとない珍客」に思えたのでしょうね。 そういうことであれば本当にその「記念」として質問者さんに依頼されたというだけのことでしょうから、あまり深く考えられる必要はないと思います。 もしその子が大きくなって本当に父親の言っていた通りの生き方をすることにでもなれば、ひょっとすると「伝手を頼って」というようなことがあるかもしれませんが、そうなる可能性はあまり高くないでしょうし「万が一そんなことがあったら出来る範囲で力になってやろう」というくらいの心構えで十分でしょう。 何にしてもずっと先の話ですが、とりあえずは「旅の思い出」の一つという風に捉えられておかれて良いと思いますよ。 かなりの確率で「結局それだけのことだった」ということになるのではないでしょうか。
お礼
マパトさん、回答ありがとうございます。 式の後、一族揃っての食事では主賓扱い。料理も一番最初に運ばれてきました。親族の方のちょっと戸惑っている感じは少し感じましたが…。 不思議な経験でした。 ただ別れ際に、この子を将来、日本語のスペシャリストか○○(私の職業)にしたいと父親が言っていたので、始めから日本に対する憧れのようなものもあったのでしょうか?ありがとうございました。