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カトリックの勉強会での悩み
勉強会参加、2か月目です。 教会通いそのものが嫌にになってきました。 原因は勉強会のスタッフです。(50代女性) 始めからカトリック教徒になるという意気込みで参加しましたが 不快な気持ちになる事が非常に多くなりました。 勉強会と言っても、2/3が雑談で、 身の回りの話をさせられ、その話に対してスタッフや勉強会に参加している人が何か言うのですが 毎回聞かなくていいことを聞いてきて、辛いです。 ただでさえ、言いたくないのに根掘り葉掘り聞いてきて、 意を決して言うと、それはいいとは思わないわ。 と、そのスタッフの主観性で物事を言われ、ここに来る意味があるのかと思うようになりました。 勉強会終わるまでまだ何か月とあり悩みますが、 度々なので、ストレスで足が向かなくなってきました。 洗礼を受けなくとも通う手もありますが、 洗礼受けてない人間は幼い子供位なもので、 場違い感じや、居たたまれない気持ちもあり、 ストレスを溜めに教会に行ってる気がして、教会自体を引退しようかと思ってます。 カトリック信者の方、どうすればよいのでしょうか
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- ttaro
- ベストアンサー率39% (37/94)
カトリック信者です。 確かに、自分のことだけいう歳いった信者さんが、自分の人生を語りたがる。自分の信仰生活はすばらしかったといいたがる。そんなことが僕にもありました。そして、そのことはカトリック教会を構成している私たち信者自身の問題でもあります。そういう意味では申し訳ありません。 で、私自身は洗礼を受ける前に神父さんに文句をぶちまけました。 返ってきた答えは、 「たしかにその通りですね。でも、そのような人たちも含めて神様が愛されているのですよ。そのことが救いなのです。そして、その神様の弟子になるという気持ちでいることが大切です。神様との関係が一番重要です。」 という答えが返ってきました。 もし地理的な条件が許すのであれば、ほかの教会に行ってみるのもおすすめです。 別にその教会で洗礼を受ける必要はありません。ミサで読まれる聖書の箇所は世界中どこの教会に行っても同じなのですから。 洗礼を受けるかどうかは質問者様の自由意志ですが、素敵な人生を送れるように祈っています。
- Yutaka_Shimizu
- ベストアンサー率0% (0/0)
はじめまして、こんにちは。カトリック信徒です。 私は教会活動にたずさわりながら、 あなた様と同じ問題意識を持っておりますので回答したいと思います。 参考になれば幸いです。 実際、教会に熱心に聖書の勉強をしに来るというのは、教会にとっては大変喜ばしいことですし、信徒にとっても、このご時世の中で、むしろ励まされる思いです。 ところで、この勉強スタイルですが、私の所属している教会の聖書勉強会とやはり似ているところがあります。私の私見ではありますが、どうも最近は定年退職をした信徒は、自分自身のライフワークということで、教会奉仕という形で何か役に立つことを行ないたいと考えているようですね。現役時代は政治や経済でバリバリ活躍し、年をとれば、人の話を親身になって聞くこともありますが、どちらかというと今まで苦労した経験をたくさん語って伝えたいという思いがあり、それが「分かち合い」といったスタイルになって表れてきます。(50代女性)と言っておられるので、この例は多少異なりますね、おそらくは井戸端会議の陰口のようなものに似ておりますね。女性に大変失礼だと承知しておりますが、教会内にも残念ながらそうした、嫉妬や妬みによる葛藤が見られます。優れたスタッフならば絶えず聞き手に回ると思いますが、自分から沢山喋りたくってくるというのであれば、カテキスタであることも疑わしく思われます。カテキスタであれば決してライフワーク程度の教育者ではないと思うのですが、カテキスタ自身の養成が、そうした人とのかかわり方を中心にしてしっかり行われていなければならないと思います。信徒の勉強会奉仕者が増えてきているということを鑑みて、一泊二日の研修などが行われていますが、私が思うに、そうした短期間では、とてもカテキスタのような専門的な教育者にはなれないと思われます。実際その場の研修は、司牧者の数時間のお話と、後は信者同士の分かち合いをして終わりです。「一日や二日で医者は務まらない」のと一緒です。そして勉強会の背景で支えている委員会などがあっても十分そこまで監視し配慮はできていないというのが実情だと思います。つまり教理を教えられる優れた信徒が必要だというのは今の教会の課題であると思います。けど、心配せず安心してください。教会にはもっとたくさんの信者がいて中には話ししていて心地の良い信者さんもいると思います。是非探してみてくださいね。―信者になりたいという意思は、当然信者が妨げることはできません。とても嬉しいことです! さらに付け加えたいのですが、自分に合った霊的同伴者を見つけたいということになると、もっと難しいです。一般的に認められた霊的指導者のうちで、自分に合う同伴者は千人に一人、いや一万人に一人であるとさえ聖フランシスコ・サレジオやアビラの聖テレジアの霊的著作に書いてあったと思います。実際多くの信徒は未だに見つけられず妥協している人が多いのではないでしょうか。探し出すことができたら、あなた様はとても恵まれていると思いますよ。 読んで下さりありがとうございました。
- alwen25
- ベストアンサー率21% (272/1253)
>その殆どがその人の身の上話ばかりしてくるし 本当に飽き飽きしてました。 初めてならばともかく、 入門講座は、通常 公教要理(カテキズム)を学ぶ場です。 私のときは、コンペンディウムではなく カテキズムのまとめを教科書として使っていました。 >そのスタッフの主観性で物事を言われ、ここに来る意味があるのかと思うようになりました。 洗礼を受ける意思がはっきりしていないと思われているのですか。 入門講座とミサに通い続けていれば、たとえ秘跡と しての洗礼を受けられなくても、望みによる洗礼を 受けたことになります。 私も実は、受洗後 精神状態が悪くなり(現代の正しいカテキズムを 理解していなかったのが原因です) 1,2ヶ月教会から離れていたことがありました。 しかも、神父様は、よく体調を崩します。 こんなことが認められるかどうか分かりませんが 「そのような入門講座は、精神的負担になるので シスターか神父様と一対一で勉強したい」と 言ってみてはどうでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 運が無かったようです。 別の教会も通えないこともありませんが、 そこまでして通う理由が無くなりました。 勉強会での不愉快も度々続き、 そういった理由から、キリスト教に対する不信感も募り、 教会にすら通う気持ちが無くなったので、引退します。
- 大空 二千翔(@oozora2000)
- ベストアンサー率48% (296/616)
No.4です。 No.2さんもひとつ相談場所を書いておられますので、私も一つ挙げておきます。 疑問に思ったこと、日頃感じていることなどあれば、お気軽に聞いて見られては如何でしょうか? 私も日頃色々相談し、大変親身にお答え頂いています。 女子パウロ会 http://www.pauline.or.jp/ 相談はこちらから→ http://www.pauline.or.jp/contact.php
お礼
もう燃えつきました。 引退です。 ありがとうございました。
- 大空 二千翔(@oozora2000)
- ベストアンサー率48% (296/616)
どういう動機、理由、ご縁でカトリック教徒になろうと思われているのかはわかりませんが、 いずれにしても、初めから目的意識を持って、真剣に勉強されているのは素晴らしいことですね。 それだけの意気込みがおありなのに、やる気をなくさせるものがあるというのは残念ですし、これでやめてしまうのも勿体ないですね。 あなたもご承知のことと思いますが、カトリック教徒だからと言って、皆が皆素晴らしく、非の打ちどころの人間かというとそうではありませんよね。聖職者の中にも我欲が強かったり、共感性に乏しいなど、人間的に?の人はいくらでもいると思います。あなたの勉強会のスタッフのように、勉強会の意味を忘れ、自分だけ一方的にしゃべったり、自分の意見を押し付けたりして、受講者に配慮が足りない人もいるでしょうから、ご不満が募ることもあるでしょうね。又、相性の問題もあるでしょう。 そこで、もう一度出発点に帰って思い出して頂きたいことは、あなたがそれでもやはりカトリックの洗礼を受けたいかということです。その「目的」、思いが強いのなら、やはり「手段」である勉強会の場所を変えられるのが一番だと思います。 あなたがどこにお住まいかにもよりますが、教会や関連施設は他にもあると思います。 又、神父様やシスターなどは各所におられますので、ご自分と相性のよい方とお近づきになれればいいですね。 東京教区(東京都・千葉県)の例ですと、カトリック東京教区ニュースに「VIVID欄」というページ http://www.tokyo.catholic.jp/text/diocese/kyoukunews.htm http://www.tokyo.catholic.jp/text/kyokunews/2011/kn284.htm があり、色んなミサ・黙想会・祈りの集いや講習会などが載っていますから、興味があるものに参加されればいいと思います。
お礼
確かに洗礼を受けるつもりでした。 しかし、キリスト教そのものに不信感も募り 辞めることと決定しました。 ありがとうございました。
- Francesco1962
- ベストアンサー率0% (0/0)
こんにちは。 苦労して勉強会に通ってらっしゃるのですね。とても立派な事です。 洗礼は入り口の秘跡と言われる事があります。 その入り口を通ると、地元の教区の教会だけではなく、世界中に広がるカトリック教会と、地上におけるキリストの代理者である教皇、そして、枢機卿、大司教、司教、司祭、助祭、信徒の皆さんとのつながりが、洗礼の秘跡を受け、主イエズスを証する事を通じて、出来ることになります。 地上を旅する教会では、実際に、debmikanさんの体験されたような、人間関係の悩み、的な事と無縁であるわけではありません。そういった現実が、色々なレベルであるのも事実だと思います。そういった意味合いでは、(地上を旅する教会には)自負するものがあるとは言えないかもしれませんね。 それにも関わらず、私としては、debmikanさんが、困難をくぐり抜けて、まずは洗礼を受けられるまで、堪えるところは堪えて、進んでいって欲しいと願います。またそうなるようお祈り申し上げます。 主日のごミサにおいて、日々の労苦から一旦解放されて、主をご自身の中にお迎えする事が出来る、というのは、人生の様々な困難に立ち向かう勇気と力を与えてくださるものと確信いたします。 地上の事は全て過ぎ去って行きます。今味わっておられる困難を乗り越え、洗礼を受けて、ご聖体を受けられるようになって、主との本当の一致、ご聖体の神秘を、この地上で先取りして味わえるよう、お祈り申し上げます。 カトリック教会の霊的資産は、おそらく想像していらっしゃる以上に、豊かで素晴らしいものです。そうした苦労の後には、必ず霊的な成長とまた聖寵があると確信いたします。 今通っている小教区の教会が教会の全てと思わず、まずは目先の苦労を受け止め、謙虚に天の父、主イエズス、聖母マリアにその苦労をお捧げする気持ちで、勉強会に臨んでみてください。 また一緒に勉強している方達にも声をかけてみてはいかがでしょうか。一緒に勉強した仲間というのは、後々もいい信友になれることが多いものです。 自学自習という意味では、「カトリック教会のカテキズム要約(コンペンディウム)」をお勧め致します。教区にあるカトリック書店にお問い合わせいただくか、参照URL経由でご注文されることをご検討いただいてもいいかもしれません。 世の中にある様々な教会の中で、ローマカトリック教会という普遍教会とつながった教会と関わりになれたのは、お導きだと思います。 嫌な事もあるとは思いますが、どうか、迷う事なく勉強会を通いきって、洗礼の秘跡に与れる事を心よりお祈り申し上げます。
お礼
励ましありがとうございます。 当初はその意気込みでしたが、これがあと半年近く続くとなると 最早、行く意味がないと思い始めました。 これ以上は通うつもりもないので辞めます。 ありがとうございました。
- ちあき(@Chiaki-F)
- ベストアンサー率49% (576/1153)
別の教会に行ってみてはどうでしょうか 個人のプライベートは教会や他の信徒には関係ありませんし 洗礼の有無なんて関係ありません 教えを信じて守っていくだけでいいのですけれど 残念な事に個人の考えを押しつける信徒がいるのも事実です 疑問等は下記にメールなり連絡されてみてはいかがでしょうか http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/
お礼
そうですね・・・ありがとうございます 教会を変えるのも考えることにします 少なくとも、今までの場所にもう通おうと思ってません。
- alwen25
- ベストアンサー率21% (272/1253)
教会を変えてしまうのがいいと思います。 私は、カテキスタのシスターと一対一で 勉強したので、雑談などはほとんど無かったです。 (一回10-20分で終わりました) ちなみに、そのスタッフは、カテキスタの資格を 持っているのですか。
お礼
羨ましい限りです。 1時間弱拘束されて、 その殆どがその人の身の上話ばかりしてくるし 本当に飽き飽きしてました。 カテキスタの資格を持ってるかどうかは知りませんが、 その教会はとりあえず辞めます。 ありがとうございます
お礼
ご回答ありがとうございました。 おっしゃる通りだと思いました。 退職して教会に奉仕したいからそういう、分かち合いというものになっている のですね。納得しました。 そして、個人的な考えの押しつけもあり非常に不愉快でした。 私もいろいろと考えましたが、キリスト教自体を引退することにしました。