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供養 と お線香やお鈴
こんにちは。 供養についてお聞きしたいのですが・・・ 特に熱心な宗教を持ってはいませんが、 亡くなった家族を想う気持や供養したい・する気持は十分あります。 毎日仏壇を整え、仏壇に手を合わせ、お供え物をしたり、お花を飾ったり、 時に般若心境を呼んだり・・・相手を想っています。 しかし、お線香についてですが、 最初の頃は必死になってお線香をしていましたが、 例え、香りをアロマ風にしたとしても、 マンション住まいの我が家は、 家中(洋服も)がお線香の香りになってしまう事があり、 亡くなった人を想う気持は変わりませんが、 毎日のお線香は止めてしまいました。 (特別な日だけにしました) それなので、お鈴を鳴らす事も少なくなりました。 それでも、心の中では、ひたすら、 「どうかあの世で幸せでありますように、 私達は大丈夫ですから、ゆっくり休んでくださいね」と 想い祈っています。 ところが、、、 法事をお願いしたお坊さんに 「お線香は毎日。それが供養になります」 親戚に 「お鈴を鳴らすと、一瞬にしてこちらに来れる。 しょっちゅう鳴らさないと、可哀想。 お墓でも、お鈴を持っていって、鳴らすように。 足を引っ張るから、話しかけるな。お供えもするな。」 (矛盾では?) またある人は 「お供えやお花を上げているだけが供養じゃない。 あなたがやっていることは供養にならない。」 等・・・色々言われて、困惑しています。 もちろんお供えをしたから供養だとは思っていません。 私の中では、お供えと言う形を重んじているのではなく、 朝になれば喉が渇いただろう、お腹すいただろう・・・ 向こうで困らないように・・・そんな気持があって、 お水やご飯をお供えしています。 そこでお聞きしたいのですが、 お線香を毎日しないと、お鈴を鳴らさないと、 供養にならないのでしょうか? もしそうだとしたら、その根拠は何でしょうか? 周りでは色々な意見が飛び交っていますが、 どうしたら、供養になるのでしょうか? 教えていただけるとありがたく存じます。 宜しくお願い致します。
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- sgm
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曹洞宗の僧侶です。 実際問題として「何が供養になるのか」という事は、それを実践する個人の主観も入る事柄ですので、一概に「これは正しい」「これは間違い」と決めつけることはできません。 しかし、一般的に言ってお線香と鈴はセットになっているわけではありませんので、「お線香を上げなければ鈴を鳴らしてはいけない」ということはありません。ご飯やお水を上げた時に鳴らしてもかまいません。 仏具としての鈴は、もともと大勢のお坊さんが一緒にお経を読む時に、お経の始まりや終わり、途中で礼拝するタイミングを知らせるために鳴らしたものです。 一般のお家の仏壇にも置かれるようになり、「よい音」を供養する、という意味も含まれるようになっていますが、本来はそれによってご先祖さまを呼んだり呼ばなかったりというようなものではありません。「あの世のインターホン」ではありません。 「供養」は、サンスクリット語のプージャナに由来していて、仏さまに香・華・燈燭・飲食などを奉げるという意味がありますが、この場合の「香」は「よい香り」であって「煙」ではありません。 最近は無煙のお線香もありますが、それでも香りはでますので、衣服に移ると困る場合もあるでしょう。 毎日上げる事ができれば、それにこしたことはありませんが、お家の都合などで特別の日だけに上げられると決められているのであれば、それでもやむを得ません。それで「供養にならない」ということはありません。 宗派の礼拝作法や地域の習慣には、それなりの理由があり、その通り実践できればそれにこしたことはありません。しかし、一般の在家の方が、内々で行う日常の先祖祭祀の方法について、お家の都合を大きく曲げてまで添わなければならないわけではありません。 あまり気にされることはありません。
- magga
- ベストアンサー率15% (56/359)
仏教の大元であるテーラワーダ仏教を学んでいます。 形は特別にこだわることはないと思いますよ。 供養がしたいなら、功徳を積むような生活をして、功徳を回向(あげる)することで供養になるのではないでしょうか。 具体的には八正道という実践法があります。 慈悲の瞑想などをしてもいいでしょう。 何より人格高く穏やかに仲良く楽しく暮らすことが一番の供養になると思いますよ。 スマナサーラ長老の書籍など読まれると何か参考になるかもしれません。
故人の供養とは残された人の安心感・満足感であると思います。 貴方が安心・満足出来る方法が最良の供養であります。 お墓や仏壇、お寺・お経などはその手段であります。 作法や手法に拘る必要は無いと思います。 西方に向かって手を合わせるだけでも十分であると思います。(一例ですが)
- simakawa
- ベストアンサー率20% (2834/13884)
形式から言えばそれぞれ必要な理由があります. 気持ちの問題だけですから,あえて人に言わなければいいのです. 最近は,煙の少ない,臭いの無いお線香もありますので用意だけはしておきます. http://www.tenkundo.co.jp/database/butsuji/memorial_service.html http://www.daianzi.com/howa/datadata/howa2003.htm
- ougen26
- ベストアンサー率0% (0/7)
私の家は門徒です。 門徒、物知らずと言われるくらい、行事ごとはありません。 しかし、私も同じ供養する気持ちはあります。 気持ちがあっても、供養のやり方を間違えれば、確かに仏側から見れば足をひっぱるかたちになってしまいます。 まず、お鈴の役割は、呼び鈴・インターホンと同じです。 子供に「ご飯よ~」と呼ぶのと一緒です。 お線香は、仏様は、お線香の煙を食べると言います。 仙人が雲を食べるのと一緒なのかな? 一番の好物だと聞きました。 もしお線香の香りがダメなら、香りの少ないお線香も市販で売っているので、そちらを使われるのも良いかと思います。 あとは気持ちでするのが一番ですよ。
>毎日仏壇を整え、仏壇に手を合わせ、お供え物をしたり、お花を飾ったり、 >時に般若心境を呼んだり・・・相手を想っています。 私のうちには仏様はおりませんが、これでも十分かと思います。 一番大事なことは、形式にとらわれず仏様を想う気持ちにあるのではと思います。 お金がない経済的に貧しいお宅では、仏壇もなく、位牌に手を合わせるだけのところもありますが、 想う気持ちがあれば、これだって十分に供養と言えるのではないでしょうか。 同じ仏教でも、宗派が違えばやり方も全然違いますし、唱える念仏も違います。 考え方や儀式的なものなどに至っては、個人的な主観や亜流も入って細かいところが その人その人で少しずつ違っており、全員共通の同じやり方というのはないように思います。 そうした中で、皆さんの意見を参考にmi-dさん家の供養のやり方はこういうものだというのを 見つけていけばよいのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 宗教宗派でそれぞれ違うので、これ!と言う信仰がないと、 定まりませんね。 我が家なりのやり方が、仏様からみても供養になっていればと思います。
お礼
ありがとうございます。 お線香をしないといけないのでしょうか・・・ ご飯の湯気ではいけないのでしょうか・・・