名曲は、美しいメロディーと、心を打つ歌詞と、その曲への共感があふれ出るような歌声の、すべてがそろって初めて名曲たりうるのであり、どれ一つがかけても、名曲ではあり得ないと思います。
こうした名曲の数々は、もちろん、なんの報酬も期待しない、余暇としての「うたづくり」のなかからも、産み出されるでしょう。
しかし、高い音楽的水準を誇る名曲の多くは、「うたづくり」に人生をかけ、日夜努力を重ねた作曲家、作詞家、歌手たちが産み出してきたこともまた、歴史が教えるところでしょう。
こうした人々の努力の成果としての音楽を、その公正な利用に留意しつつ、権利として保護を図る(≒生活資金を提供する)ならば、社会全体の音楽文化は、より速く、より高く発展することでしょう。
では、誰が彼らの生活資金を提供するのか。
それは国家の責務だという考え方も可能です(旧共産主義諸国には、この種の考え方がありました。)。
しかし、そのような考え方は、国家が音楽的価値の有無を選別することを意味し、多様な音楽文化の発展を阻害することになりかねません。
そこで、我が著作権法は、音楽的価値の有無の選別を、我々一般市民に委ねる、つまり、「その音楽を名曲として評価する者が、その音楽のつくり手たちの生活資金を提供する」という考え方を採用したのです。
そして、歌詞も、メロディーや歌声と並んで、名曲の不可欠の要素だとすれば、作詞家にも、作曲家や歌手と並んで、相応の報酬が与えられるべきでしょう。
こうしてみると、歌詞カード(*)の無断転載(コピー)を著作権(copyright)法が禁じているのは、転載者側の利得が不当(≒他人が書いた歌詞で金儲けをするのはけしからん)だからなのではなくて、作詞家に、歌詞を知りたいと欲する一般市民から対価(お金)を得る機会を与える必要があるからなのです。
作詞家に無断で歌詞のデータをウェブ・サイトにアップロードすれば、サイト運営者が歌詞のデータを「売るわけではな」くとも、作詞家の報酬獲得の機会(たとえば、歌詞カードを販売するなど)を奪うことになります。
無償でのコピー提供行為であっても、原則として著作権侵害にあたるとされる理由は、まさにここにあります。
ご参考になれば幸いです。
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* CDは、音楽全体のコピーです。そして、カラオケや歌詞カードは、それぞれメロディーや歌詞という、音楽の一部のコピーです。