- ベストアンサー
神の概念の崩壊後の音楽
ダーウィンの進化論やニーチェの神は死んだ、とする発言などによるキリスト教的合理主義が崩壊した後のクラシックへの影響とはどのようなものが挙げられるのでしょうか? ドボルザークの新世界はこれに当てはまるのでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 進化論もニーチェもキリスト教も西洋音楽史もまともに勉強したことがない,単なるクラシック音楽好きの極めていい加減な雑感ではありますが。 キリスト教的合理主義,という言葉の意味がよく分かりませんが,例えば,マーラーの交響曲第9番や交響曲「大地の歌」あたりは,キリスト教的世界観への対立というか疑問というか,そんなものが音楽に現れているような気はします。 ただ,あくまでもキリスト教というベースがあった上で,マーラー個人が感じたそれに対しての葛藤の告白のようなものかな,というのが個人的な印象です。 (なお,マーラーはニーチェの著作を自作の交響曲(第3番)の歌詞に引用したりしましたし,彼とニーチェの関係に触れた著書や論文もあるような気もしますが,私は読んだことがないので実際のところはよく分かりません) 西洋の芸術的な音楽-いわゆるクラシック音楽-は『神』(キリスト教の神という意味に限らず,より普遍的な世界の法則という意味で-多くのクラシック作曲家にとってはほとんど同じ意味だったかもしれませんが)に近づくための手段,という側面がありましたが(マーラーも,大きくはそうしたくくりの中の音楽かと),「音」はあくまでも「音」として,人間の内面や精神性とは切り離して抽象的にとらえよう,という動きもあり,十二音技法やトータルセリー,偶然性の音楽,などなど,20世紀以降のいわゆる現代音楽にそうした音楽はよく見られるように思います。法則や秩序を指向するという点では同じ(西洋的・合理的)なのかもしれませんが。 これらと進化論やニーチェとの関係は私にはとんと分かりませんが,自然科学史,思想史,音楽史,等々ひっくるめて,「西洋史」という流れの中での同じような方向への動きととらえることもできるかな,とも思ったりもしました。 ところでドヴォルザークですが,#1さまが仰るとおり,「新世界」というのはアメリカ大陸のことで,彼がチェコからアメリカにわたり,そこで触れたアメリカ土着の音楽素材と故郷の民俗的な音楽との共通点から郷愁を感じ作曲されたもので,何かに対しての愛情を音楽として表現するというのは,極めて伝統的・保守的な(宗教的な,と言ってもいいかも?)ものなのかな,と思います。 また,「新世界より」と関係があるかどうかはともかくとして,彼はとても敬虔なキリスト教徒だったそうです。
その他の回答 (2)
- harepanda
- ベストアンサー率30% (760/2474)
教会音楽から派生した伝統的な西洋音楽の基本的手法を、見直す役に立ったくらいの間接的影響しかないと思います。 UNESCOの無形世界遺産になったグルジア合唱は、通常の西洋教会音楽とはことなる和声理論で出来ています。発声法も、通常のベルカントやヨーデルに加え、なんだかよくわからない技を使いこなします。シュトラビンスキーは、グルジア音楽こそが世界一だと言っていますが、私もこの意見に同意します。シュトラビンスキーの背後にグルジア音楽があることは、十分に、西洋教会音楽の革新が、世界にお披露目されるきっかけになったと評価できるでしょう。ただし、誤解なきよう言っておきますが、グルジアはキリスト教国です。ただ、カトリックでもプロテスタントでもなく、東方正教会という別流派なだけです。 現代クラシックの中に、例えばイスラム音楽の影響が見られるか?とかいう質問をされたら、「ほとんど無い」としか言いようがありません。アラブであれば、1音を半音ではなく4分の1に割り、トルコ民俗音楽では8分の1に、トルコ宮廷音楽であれば、さらに9分の1に割るという信じがたい細かな音階を使いこなすのですが、これを好んで取り入れた西洋人がいるかといわれたら、思いつきません。
お礼
ご回答有難うございました。 様々な教会派でまたクラシックにもまた影響を及ぼすのですね。とても勉強になりました。ありがとうございました。
- jupitan
- ベストアンサー率36% (227/616)
はっきり言って、進化論が一つのきっかけとなった「唯物論」やニーチェの発言によって精神の拠り所を失いニヒリズムが発生したとしても、クラシック音楽への大きな影響は無かったと思われます。 現代科学は依然と唯物論指向を持ちますが、しかし、欧米においては今日でもおよそ9割の人々がキリスト教を信奉しています。自分が物質的存在のみに過ぎないと思えば、極めて虚無的、刹那的な生き方になりかねませんから・・・ 人間ははたして物質的なものだけの生き物でしょうか?自分の精神を常に高いところに求めることで自分の姿を見ることが出来ると思います。クラシック音楽は単に古典という意味では無くして、クラス=高級、高尚、ワンランク上ということでもあります。普遍的で人間の精神世界にとても深く関わり影響を与える純粋音楽です。よって、欧米(ここではヨーロッパ)において理想とは、父なる天の神から人間に与えられた「精神」が求めているものです。よって、クラシック音楽の歴史や伝統は脈々と正統的に受け継がれています。 さて、ご質問の「ドボルザークの新世界」(1893年の作品。1893年12月16日、ニューヨークで初演)がどうしてここで出てきたのか?理解に苦しむのですが・・・ 一応、あらためて・・・後期ロマン派に属すチェコの作曲家(チェコ国民楽派)。また、スメタナと共にボヘミア楽派とも呼ばれている。アメリカに渡りアメリカの黒人霊歌や先住民の音楽を自身の作品にも色濃く取り入れたり、メロディーの取っ付き易さ、どこか懐かしさから人気が高い。宗教音楽もスタバト・マーテルやレクイエム、テ・デウム、歌曲等多数で、自身、フス派フス教徒に祖国独立運動の願いを込めていたと思われる。劇的序曲「フス教徒」や交響曲第7番はそれらが顕著で当時の批評家から「標題音楽と絶対音楽という枠組みに意味のないもの」と評された・・・ よって、「新世界交響曲」に唯物論的な影響が当てはまるのか等は全く分かりません。かつて、生涯、音楽に強い関心を持っていたと言われるニーチェがワーグナーの音楽に心酔(やがては決別したが)した事は有名ですが・・・(参考までに、R・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」はニーチェの同名の著書にインスピレーションを得て作曲されましたが、原作の思想を具体的に表現したというわけではなくて、原作のいくつかの部分を選び、そこから受けた印象・気分を音楽的に表現しています。)
お礼
ご回答有難うございました。 新世界は私の勘違いでした・・・すみません。
お礼
ご回答有難うございました。とても勉強になりました。20世紀の音楽というものにとても興味をもっていたもので。