- ベストアンサー
「愛し合う」と「依存しあう」の違いについて
20代前半 女です。 きれいな言い方をすれば「愛し合う」だけど 実際は「依存しあう」に過ぎないと思ってしまいます。 違いがわかりません。 親を見ていると、お互いが依存しあってて 何かあればお互いのせいにして でもお互いが必要でと言う感じで 愛なのか依存なのかわかりません。 家族仲はよくありません。 私も一度だけ恋愛をしたことがありますが「愛」だったのか「依存」だったのかよくわかりません。 でも大好きだったけど、 ドラマみたいに「この人なしでは生きていけない!」とは思いませんでした。 それは私自身が相手をそこまで好きではなかったのでしょうか? 支離滅裂な文章ですいません。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
大きな違いがあると思います。 相手に、何かをしたい思うのか 相手に、何かをしてほしいと思うのか の違いではないでしょうか。 言葉のニュアンスですが、何かをしてあげたいは、依存だと思います。 「してあげたい」は、したのだから、何か自分にもしてくれるはずと言う見返りを無意識に期待をしてるからです。 好きも同じではないでしょうか。 自分が好きなのだから、相手も、自分を好きだと思ってくれないと、なぜ、自分が想っているほど、自分を想ってくれないのかと 片思いをしたことがあれば、そのときのことを想い出してください。 相手が、喜んでいると、自分が嬉しい。 これが、相手を好きだと言うことだと思います。 そんな人と会えることを、お祈りしています。
その他の回答 (7)
- venus2367
- ベストアンサー率6% (52/834)
依存って「離れられない事」 愛は「お互いを認め合えて繋がっている。信頼があるから相手を受け入れられる」 依存って常に頭から離れられずに縛っていたい。 物であれば、無くなると不安になる。 愛って見守る事が出来る事ですから、御両親の姿は依存なのではないでしょうか? この人なしでは生きていけない恋愛をした事がないから、そこまで好きではなかったか? 人を好きになったから「この人なしでは・・」の感情にたどり着くとは限りません。 そこまでの辿り着けなかった相手ではあったかも知れないですが。
お礼
大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
- himawari00
- ベストアンサー率20% (169/818)
私も貴方様のように感じた時期があります。 依存しあうのに「愛」を感じられない両親を見て離婚すればいいのにとさえ思いました。 でもそれは早計だったようです。 現在父は寝たきりですが母はとても献身的に介護をしています。 父は自分が寝たきりなのに私たちに「ご飯は食べたのか?」と気遣ってくれます。 機嫌が悪く甘えた日もありますが(笑)。 それらを見るにつけ若いとき両親の夫婦仲を厳しくジャッジしている自分に気づきました。 私は結婚していません。 だから理想の夫婦像と照らし合わせて見てしまいがちです。 ですが現実はもっと複雑にいろいろな情がない交ぜになり成り立っていると思います。 そして両親が年老いるまで同居しそばで見て来て、夫婦がどのように絆を深めていくか、もしくはお互いをやり過ごしていくかを目の当たりにして来た事が見れた事に感謝しています。 本当の所は実践してみないと判りませんが、「愛」とか「依存」とかに分けられる物ではないと感じます。 恋愛が良く判らなかったのならそのままで良いと思います。 一期一会で相手が違えば道理も違うので分析は役に立たない事もあるからです。 あと10年すればご両親様も今のままではないと思います。 可能なら傍で見てとって見て下さい。 ウチも家族仲はいいとは言えませんでしたが、両親は良くしてくれたと思えるようになりました。 時間が経て経つほど過去の恋愛は正確に判る様になります。(思い出を美化する人もいますが) 後になって気づく優しさもあると思いますよ。
お礼
大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
- hamakkotarou
- ベストアンサー率24% (222/908)
自分の思い通りになることだけを求めることが依存。 自分の思い通りになることと思い通りにならないことをどちらも 受け止めることが出来るのが愛だと思います。
お礼
大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
愛と依存ってぜんぜん違いますね。 ただ混乱なされる原因の一つに愛していてさらに依存もしている関係って場合も多いですね。 基本的に愛って見返りを期待しない、お互い何かを与え合うものです。 依存は何かしてもらって当たり前、してもらわないと困る。って関係です。 これが混ざり合うと、何かを与えるがそれを受ける方はしてもらうのが当たり前になってしまい、 逆にその人がそれをしてもらわないと生活が出来なくなる。 良くあるのが旦那さんが働き給料を家に入れ、奥さんは自分が今働いているかいないかではなく、自分で働いてお金をもらう気持ちが一切無い。 生活費が足りなくなっても自分でパートに出る気がなく旦那さんにもっと稼いでこいと言うだけ。 奥さんは家事をやるが、旦那さんは奥さんが旅行に出ても洗濯も掃除も飯を作ることも出来なくて、 奥さんが帰ってくると洗濯物はたまっている、部屋は汚れている、飯は出前かなんか取っていてそのお皿を洗っていなければ外にも出していない。 これでお互い愛し合っていれば、愛し合っているけど異存もしている状態ですよね。 これで愛情がなくなっていれば、お互い打算で依存だけしている常態です。 普段は旦那さんが働いて稼いでいるが、いざ何かあれば奥さんはすぐにパートに出たり、どっかに就職して自分で稼ぐ気持ちがあり、行動力もある。 だんなさんも普段は家事は奥さんに任せているが、奥さんが旅行に行ったり、病気をすれば旦那さんが火事を変わりにやれる。 これは依存してない関係です。 普段の生活だけを見ると両方とも働いてお金を稼いでくるのは旦那さんで奥さんは家事をしっかりこなしている関係で同じように見えますが、 実際何か有ればぜんぜん違ってきます。 ただ、精神的な依存ってのはまたちょっと違ってきて、これが「この人なしでは生きていけない」って部分になってくる場合が多いです。 自分の存在知る意味・意義をそのパートナーと一緒にいることにしてしまったり、 自分が働くなどの活動をするモチベーションをそのパートナーが居るから活動できるんだ。とする考え方ですね。 これがあまりにも酷くなると相手から別れを切り出されたりしたら無理心中をはかってしまう行動にでたりしちゃうんですよね。 愛することは人間必要な行為ですし、ある程度の依存はあっても仕方ないと思いますが、なんでも依存し合ってしまったり、依存がお互いの関係のメインになってしまうのは良くないことだと思いますね。 愛し合っていてもお互い自立できている関係が理想だと思います。
お礼
自立は大事ですね。 大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
- kokkochann
- ベストアンサー率17% (70/400)
考えさせられる質問ですね 個人的に、自分と夫との関係考えると もう、愛するも依存もごちゃ混ぜですね なにがなにやら、境目なく、団子状態 この人なしで生きていけないとは、思います 私にとって、一番安心する人だからです 子供に対しては、愛がなきゃやってられません。 自分のことばかり考えてますから ひたすらお世話ばかり、でも、何歳になってもやっぱり大切で可愛いです。 主人の方がもっと子供に対する愛情深いです いつも、子供のためにという気持ち持ってますね 夫婦は依存してそれに応えてくれる それがあるから、良いのですよ 私は、死ぬまで、主人に甘えて生きていきたいです
お礼
大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
- goatee
- ベストアンサー率16% (14/86)
何が違うかと言われても私自身解っていませんが。。。 私個人の考えでは、「愛」とは「見返りを期待せずに相手の為を思うこと」だと思っています。 一方、「依存」の意味を調べてみると「他のものにたよって成立・存在すること」とありましたので、この場合の依存しあうというのは「寂しさや満たされない心を満たして欲しいという期待をもって、お互い相手の為を思うこと」ではないかと思います。 なので、個人的には「満たされない心を満たして欲しい」ということを(無意識も含めて)相手に期待しているかしていないかの違いではないかと思います。 恐らく、私よりも的確な回答できる方がおられるかと思いますが。。。
お礼
大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
- usap
- ベストアンサー率33% (525/1577)
愛と依存は違ってないとダメなんですか? 愛は素敵だけど、依存は素敵じゃない、ってことなのかなあ? 親子は愛情があると言われていますよね。家庭によってはそうじゃない場合もありますが。でも、一般的に親は子を愛し、子は親を愛していると言われています。誰でもはじめは親子関係から愛情やコミュニケーションを身に着けます。自分と他人の区別をするのは、そこからです。 あなたがこの世に誕生したのは、お母さんがあなたをおなかの中で育てたからです。外に出てきても大丈夫な状態まで約10ヶ月、お母さんの体の中で、お母さんに依存して育ちました。お母さんが食べる食べ物からでしか栄養はもらえなかったし、生まれてからも物心つくまでは、親から与えられる食べ物を食べて、寝る場所を与えられて、大きくなりました。子供は親に依存して育ちます。そして、あなたが大きくなれば、親が病気をしたり、老後に困ったりすれば、親はあなたに頼ることになると思う。息子夫婦の家に暮らす老夫婦は生活をその息子に依存していることになります。でも、それは育ててもらったので恩返しですよね。 愛情は依存と似ています。薬物依存のように、悪い依存ではなく、お互いが助け合うという依存です。それぞれが独立して、お互いがどうだろうと気にしない、それじゃ冷たすぎます。支えあうことは、依存に似ていると思います。それがお互いにとってマイナスになるようなら行き過ぎた愛情だと思う。何でも限度があります。物の見方によっても違ってくることはあると思います。どれくらいがお互いにとってちょうど良い愛情でちょうどいい距離なのかは、その関係にある二人が決めることだと思います。他人がとやかく言えるようなことではないと思うし、二人が納得していれば、それでいいと思います。 あなたが「この人なしでは生きていけない」と思わなかったのは、別にその人を好きじゃなかったからではないと思います。つきあいが浅かったからだと思います。長くつきあえば、なくてはならない存在になることもあるし、「この人とはうまくいかない」と思うこともあります。離婚があるのはそのせいです。恋愛結婚の場合は「この人なしでは生きていけない」と思うくらい好きな人と結婚することが多いんですが、「やっぱり違った」と思うこともあります。でも「好きなときもあった」という気持ちまで否定する必要はないと思う。現実、好きだったからこそ、つきあったわけだしね。お見合い結婚では、はじめはお互いのことを必要でも何でもなかったけど、一緒に過ごすうちにかけがえのない人に変わっていくこともあります。 あなたが20代前半なら、まだまだこれからです。「愛って何?」ってことに結論を出すのは、死ぬときでいいと思います。愛を学ぶために人生をかけてもいいくらい、誰にとっても「愛」って難しいことだと思いますよ。
お礼
大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
お礼
見返りを求めるのは本当の愛ではないですね。 大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。