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制度と実践
福祉を学んでいる者ですが、「制度としての福祉とは何か」「実践としての福祉とは何か」という疑問を抱いています。やはり、制度と 実践は切り離すことは出来ないと考えますが、なぜ社会関係の不調整状態が起こるのでしょうか(生活保護の打ち切り問題など)。 自分自身考えに詰まってしまい、皆さんのご意見を聞かせて頂けたら幸いです。参考になるURLでもかまいません。 お願いします。
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- acorn_001
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すいません、いい年した大人なのに政治経済にみごとに無知な者です。 ですので、単なる勘。 制度を作る行政区の単位と、実際に予算を捻出する行政区の単位が違うからではないでしょうか? 例えば 国が制度を作って、必要な費用をひねり出すのは各都道府県。 だとすれば予算の少ない都道府県では実践するのは難しく、 ”水際作戦”が行われるのでは?と考えています。 障害者福祉の充実度の地域差から想像してみました。
- apollon061
- ベストアンサー率10% (22/214)
ご質問者様の仰るとおり、切り離せない問題だと考えます。 #1様とは逆に、実践から考えてみましょう。 例えば、ご質問者様の仰る生活保護費の問題。 全員が、ある特定の時期のみ税金で生活費まかなわれ、 その間自立に向けた努力を全ての人が行い、 かつ不正受給もなくなれば制度は完璧になるでしょう。 しかし実態は、保護受給者は将来の展望を持つわけではなく、 不正受給はなくなりません。当然自治体の財政も悪化します。 自治体倒産を防ぐためには、支給している(せざるを得ない)制度を 改正するしかなくなります。 制度の悪化によって、実践する(できる)方が減るのも確かですし、 実践できる人がいないために、制度を改悪せざるを得ないのも確かでしょう。 制度としての福祉とは、全体の目的でしょうし、 実践としての福祉とは、個々の目的でしょう。 支離滅裂な上、長文で申し訳ありませんでした。
仰る通り、制度と実践を切り離すことができないからです。 制度が完全に整っていれば、実践も8割~9割がた追いついてきます。 そのことにより不都合が生じる分野(財政難など)があり、両方を満たす策が現実的に存在しない以上、どちらも中途半端なままにしておかざるを得ない、ということでしょう。 過去、日本には「姥捨て山」や「口減らし」がありました。 村や家の共倒れを防ぐための、あれも一種の制度と言えるでしょう。 高齢者問題を抱える現在の日本において、「難病患者及び80歳以上の高齢者は全員安楽死」などという法案が出たらどうなるでしょうか。財政難を切り抜けるためには極めて有効な政策であると私は思いますが、確実に受け入れられないでしょう。 他方の問題を無視するという点において、「完全なる福祉」と「病人高齢者全員安楽死」は同等と言えるのではないでしょうか。
お礼
貴重なご意見ありがとうございます。制度が不十分な所に実践は伴いませんね。しかし、なぜそこまで制度に注目しなければならないのかとも感じてしまいます。
お礼
ご意見ありがとうございます。血の通った社会福祉行政と実践を行うことは難しいですね。