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生活保護制度の問題点
以前にこのカテゴリの中に「生活保護の制度はなぜ人を生かさないのでしょうか?」というものがあったのですが、読んでいるうちにふと思ったことがあります。 生活保護の制度は、人間としての必要最低限の生活を保障してくれるものですよね。 しかし、その制度を受けるためには様々な制限、条件が必要だと聞きました。 では、その制限ぎりぎりのところで制度が受けられなかった場合はどうなのでしょうか? 例えば、10ある条件のうち、たった1つだけがダメで制度が受けられなかった場合は? この問題点についてのみなさんの回答――考えをお願いしたいのですが。 すべてを保障できるとは思いませんし、どこにボーダーラインを引くべきなのかということがどれだけ難しいかはわかりますが、やはり納得がいきません。 その解決策などはないものでしょうか?
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今、町役場で生活保護の担当してます。制限ぎりぎりのところで制度が受けられなかった場合はどうなのでしょうか?の質問ですが、私は仕方ないと思います。ものすごく事務的に言うと、「日本国民みなさんの税金を使うのだから、法律で決まっていることをクリアできないからダメなんです。」じゃないですか?冷たいかもしれません。でもそれが現実だと思います。 上の回答は役場にいる時の回答です。私個人の意見ですが、決定されるかどうかは、生保担当者一つじゃないのかな?って気がします。面談して資産等を調査してある程度条件をクリアしていたら認定されるような気がします。どのような理由でダメだったのかわかりませんが・・・。担当者の力もあると思いますし、担当者も人間です。人間対人間がうまくいかなかったら・・・。っ言う事も考えられます。 解決策とまではいきませんが、新規の人にも問題あるケースかなり多くなりましたが、昔に生保になった人。見直した方がいいのでは・・・。なぜ生活保護?っ言う人いませんか?新規の人を削るよりも、昔認定され、労働できる方にもっと就労活動をうながすように指導したほうがいいと思います。
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- sisobe
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生活保護に対してはいろいろな問題があり、ときどき新聞なんかで報道されますが、一つには性善説にたつか性悪説にたつかによって随分変わってくるとおもいます。何をどこでどうお金を使うかの配分にかかわることがあるかと思いますが、私はサラリーマンの子どもでした。大学には行きましたが経済的に私立はちょっと厳しい状況でした。 もちろん30年前の話ですし、我が家の支出配分がどうなってたかも知りません。でも単純な考え方をすると生活保護を受けてるのに私立大学に進学させる経済的余裕はどこから来るのか?って思いますよね。だけど子どもは逆にいえばそんな経済状態には何も関係ない(親の問題)わけだからそのことで学問の自由が奪われるべきではないとも思います。 最低限の文化的生活を保証する生活保護ですが、ある部分を切り詰めて他に流用するような自由がみとめられないのは最低限の文化的生活といえるのでしょうか?たとえば衣食を節約して子どもの教育費として貯金するとか車を買う(車を持つこと自体が制限されてるとは思いませんが、高級車を買う)とかは果して許されるのか許されないのかと言ったことが問題になります。自力で生活してる人が軽4輪に乗っていて生活保護受けてるひとがクラウンあたりに乗ってると何か違和感を感じるのではないでしょうか。 外見上目立つものはやはり非難の対象になるでしょうね。皆やはり外見にとらわれる傾向がありますから。ただ、一応算定された最低限の生活費の中でやりくりしてやった結果についてまでとやかく言うべきことでしょうか? 性善説にたてばやりくりした結果と納得できますが、性悪説にたてば裏収入でもあるのにそれをごまかして生活保護を受けてるのではないかと穿った見方もできます。また生活保護を受けるために仕事をしない人もいるかもしれません。テレビ番組でときにケチケチ生活してるひとが出てきます。月に3~4万で生活したり..こんな中で一番ケチケチに生活してる人が最低限の文化的な生活なのでしょうか。発想の問題のような気がしますが。
お礼
そうですね、あなたの考えはもっともです。 最低限の生活というものが、いったいどういったものを指しているのかということには疑問が残ります。 大学や高校にそのせいで行けなくなり、将来的な生活にまで制限を受けるかもしれない。その人の生き方、将来を選択する自由というものが狭められてしまう。 そういった問題もありますね。 何をもって制限とするのか、それは誰かが決めることではなく、もちろん自分一人で決められることでもなく、ならば国勢調査のように国民の義務としてアンケートをとり、その平均から必要最低限の生活というものを明確に提示すべきだと私は思います。 アドバイスをありがとうございました。
- myeyesonly
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そういうケースは福祉事務所のケースワーカーなども大変頭を悩ますケースです。大抵の場合、規定をいろいろ’解釈’してやる場合も多いのですが、それでもどうしてもダメというケースも多々あります。また、現在は、財政難を理由にした福祉切り捨ての政策が国や東京都で大々的に進められており、その影響で各地方自治体でもそういう運用に厳しい目が向けられていてやりにくくなり、ダメなケースが続出しています。運用や解釈でだめなときは、行政としては見捨てざるを得ません。 法的な問題としては、日本の法体系が特定の事項を指定して適用する形になっていることです。 もう一つの問題としては、生活保護を始め福祉は憲法で保障された権利であるという事の認識が行政も国民も全くできていないことです。福祉の受給者を自分たちより貧しい人とみることで、自分の置かれている労働環境や経済環境を「まだまし」と認識する中流意識がこの認識を妨げてます。 これらの改善のためには、やはり政治を変えるよりないでしょう。 選挙で選ぶ議員は、大きな権限をもっていますが、その権限を本当の意味で国民のために使う人を選ぶよりないでしょう。
お礼
ふむ、政治ですか。色々と考えを煮詰めていった上でいくつか残る回答の一つですよね。 選挙において福祉に関してそれを改善してくれる方を選ばなければならないことはもっともです。 ですが、全員がそういった方を選ぶわけではないのが、残念ながら事実ということになってしまいますね。そこに全体としての意識が必要なのでしょう。 一つの問題を考えたら、まだ別の問題にぶつかる。 考えてみると、問題だらけなのかもしれませんね、この国は。 参考になりました。ありがとうございました。
- seehapy
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全く同感です。町会役員の一番頭を使うかつ、緊急解決問題です。 民政委員や、市役所の福祉士とも会見交渉もシマした。 問題は法律の杓子定規の結論と全体の公平差を特例を使用して、運用出来るか? このスキル作りで、法律改正までの長い道のりを待ってる間に、弱い花は枯れます。個人の力のもボランティアの限界点もありますが、考えられる早道は、このような、出来事を含めて、地域毎のホームページを作り、情報を集めて、公開審査を 要求する。署名活動とか、出来る援助も地域住民の活力の結集です。 この事は社会福祉や、介護だけでなく。教育面の方でも活性化する筈デス。 無関心、無気力と言う攻撃的受動態度を皆が止める事です。 攻撃的受動態度とは、次の事柄を指します。 何処にでもあるイジワル思考です。 能動的に相手を攻撃するのでは無く、「何かかを頼まれると断る」(これと言った理由もなく)「相手が困っていても無視する」(自分の利益に成らない事二は首を突っ込まない)こんなイヤな奴に思い当たらないほうが珍しい世の中には、誰でも 住めませんね。彼らは性格が悪いというより、受け身的に世の中をみてるんだと考えるほが、正確です。 ==================================== 環境がそうさせた。 学校の責任 国家のせいと他者に責任を押しつけてるのです 考えると、国会も、代議士も選挙で、私達が選んだのです。 緊急出来る事は地域の情報システムの構築からです。 受信専門ではない、送信出来る力の育成サイトの立ち上げと思います。 リホーム商品を無料で、集めて、無給のボランティアで、東南アジアに学校建設を進めたサイトとか、地域の書店とくんで、介護支援のサイトを立ち上げたり 地域商店とお釣りを地域通貨にしたり、アイデアMぽ豊富に初めてます。 私達の町会も準備中デス。 各地で、起こす野です。住民参加の情報公開をして、各種の審査のいる機関の見直しがKSDのような公益法人をなくすにも、早道デスよ。
お礼
そうですね、厳然な問題として存在する以上、それに対して何らかの手段をこうじなければなりませんよね。 どう考えてもそこに不自然なものが残るのならば、システムの改善も必要ですね。 わかりました。ありがとうございました。
お礼
残念ですが、決まりというものが厳然としてある以上、そこに個人的な意見は入れられず、事務的な物言いになってしまうのはしょうがないことですね。 しかし、実際個人的な考えとしておかしいと感じる部分があるのならば、それが真実なのでしょう。 担当者一つとのことで、それでは多少は幅もあるということなんですね。 しかし、中にはそれで認定されないという方もいるのかもしれませんね。 やはり、根底からシステム自体を考え直すべきなのですかね。 現実にそれは非常にむずかしいことではあるんですけどね。だからといって、後回しにできることではないようにも思えます。 提示してくださった解決策も一つの方法ですね。ためになりました。 専門の方の意見を聞くことができて、うれしく思います。ありがとうございました。