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最近の世の中
最近は悲惨な事件が次々におこり、生きていくのがしんどく かんじる時もあります。正直者が馬鹿をみるというか、ずる賢く 人を蹴落としてでも自分のことしか考えないような人が、この世を 支配しているように思えて仕方がないです。 いいことを行い人のために尽くしている人間が報われるのか、 それとも人にばれなければ自分のやりたい放題で生きていくほうが利口 なのか、皆さんはどう思います?
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「馬鹿を見る正直者」 「ずる賢く人を蹴落としてでも自分のことしか考えないような人」 どちらも少数でしょう 「そこそこ常識的に正直で少しだけ自己中心的な人」 圧倒的にそちらの方が多いのでは?
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一人が皆のために尽くし、皆が一人のために尽くす。 これが実現すれば世の中は幸せになると言われています。 昔の武将の言葉だった・・・と思います。 残念ながらこれが実現された時代はないかと思われます。 人間はエゴがあります。 金や権力を手にすれば、さらにエゴを増長させる。 奸智に長けた人間は思いつく限りの悪行を重ねる。 しかし、このような人間を粛正するのもまた、人間です。 自分が行った報いは必ずどこかで受けます それが地上での摂理というものです。 実際にそれは、今までの人類の歴史が物語っているのではありませんかね? 実に嘆かわしい世の中ではありますが、できる限りの善行はしていきたいものです。 仮に生涯に亘って、酒池肉林や私利私欲を尽くせたとしても、死んでまでそれを持っていくことはできませんからね。 同じく生きるなら、清清しく生きたいものです。
- youko_may
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確かに年々物騒になっているような感じもします。しかし、それは質問者様の身の回りのことなのでしょうか?察するにテレビなどのニュースでそういう人たちを見る機会が多くなったからではないでしょうか。 例えば私はアメリカに住んでいましたが、電車の中で眠るなんて考えられませんでした。起きたら多分かばんも全部無くなっているからです。また、コンビニを利用する時、車のエンジンをかけっぱなしで行く人を見かけますが、アメリカだったらすぐ盗まれます。また、夜8時以降外を1人で歩いていたら撃たれるか、窃盗に会うか、誘拐されるか、強姦されるか、、、これらのリスクがつきました。(そして警察にも呼び止められます。「こんな時間に1人で歩いて何をやっているんだ?」と。) まだまだあります、学校では銃を持ってきている生徒もおり、実際私が通っていた学校では発砲事件もありました。(興味本位で発砲したみたいで、死者、けが人はいなかったのでニュースにはなりませんでしたが、もし誰かに当たったら・・・恐ろしくて仕方ありません。)このようにアメリカでは危険は身近なものだったので、本当に物騒でした。 それでもバスや電車の中でお年寄りが居れば席を譲る人は居ましたし、目が合ったらニコッと笑い、デパートなどの扉は他人でも必ず次の人が扉を持てるよう待っていたし、(そして渡されたほうは必ず「ありがとう」と口にしていました)男性は他人でも女性をレディーファーストだと言って先に行かせてくれました。 どの国でも悪いことをするのは一部の人たちだけです。その比率がアメリカの方が多いのにアメリカでは他人への善行は日本より多かったです。 正直者は馬鹿を見る、確かに私もそういうことを経験したことがあります。しかし、本当に傷ついているのは悪いことをしている人であって、その傷にすら気づかない人たちはもっと最悪なのではないでしょうか。ホリエモンは「愛はお金で買える」と公言していました。しかし、彼がお金で買った愛(恋人)はお金が無くなったと同時に彼を捨てました。それが因果応報なのです。 自分のやりたい放題に生きている人が、一生ずーっとやりたい放題生きていけるとは私は思いません。いつかそのやりたい放題に行き詰まる時がきます。そしてその時、人生でお金より大切(だと私は思っています)な人財(友達、家族、愛する人など人の財産)が全く無いことに気づくでしょう。やりたい放題やっている人には同人種しか寄り付かないわけですし、その寄り付いた人達もまたその人を蹴落とそうと考えているのですから。
- bouhan_kun
- ベストアンサー率19% (1032/5208)
良心と法の問題でしょうね。 普通の人は、良心の呵責があって、悪いことはしないでしょう。また、善行をこなえば、少なくとも心休まるでしょう。 で、悪いとわかっててその領域に行く人は、法律や罰則によって報いを受けるリスクを背負っています。 本当に悪人で、でもその罪によって罰が下りないというのは、ごく一部の特殊なケースだと思います。 また、法には触れなくとも、そういうことでの仕上がった人間は、まず周囲の批判を浴びます。たとえばホリエモンや村上ファンドみたいに。(ま、最終的にはどちらも法で裁かれましたが)また、そういう人の取り巻きは、似たような人間が多くなる傾向があるので、あわよくば主人を切り捨ててでものし上がろうとする連中がほとんどです。そういう中で、果たして心休まるときがあるのか。まあ、言ってみれば、それが因果応報ってことです。
- LUMIELE
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必ず因果応報・・。 巡り巡って凌駕されます! 信じるしかありませんが、私は信じています。 ばか者でも良いのです。 いつか陽の目を見ますから! 嘆かないで、元気出して下さい!
- wulong
- ベストアンサー率36% (299/826)
>ずる賢く人を蹴落としてでも自分のことしか考えないような人が、この世を支配しているように思えて仕方がないです。 いまの時代に始まったことではありません。古来書物にはそのような記述がたびたび現れます。小説や寓話などでもありがちなシチュエーションですね。つまり人の性として普遍的なことだといえます。 >いいことを行い人のために尽くしている人間が報われるのか、それとも人にばれなければ自分のやりたい放題で生きていくほうが利口なのか、 そもそも対立要素でもないことを二項対立として考えるのは不毛です。どちらかしかないのではなく、人はどちらも、もっと言うなら他のあらゆる性質を持っているのです。 他人も自分自身もそういうものであるということを念頭に、後は自分がいかにあるべきか考え行動するしかありません。 強いて言うなら人に感謝されるよう利口に立ち回るというのが処世というものです。