- ベストアンサー
この季節が秋?
40度過ぎが続き、犠牲者が多発しているこの季節。立秋過ぎだから秋と言うのは傲慢に過ぎると思うのです。 私は俳句をやりますがどうしても秋の季語は使えません。 歳時記を改変しようという動きはないのでしょうか
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
> 歳時記を改変しようという動きはないのでしょうか あります。 http://www.linelabo.com/bk/2004/bk0406b.htm (6月26日の欄をごらんください。) 他にも、 「現代歳時記 3訂版」金子兜太 (他)編 3,780円(本体3,600円) たちばな出版 http://www.manah.net/book/product.jsp?sku=B4813314511 など。 伝統(旧暦)を重視するか、現実(新暦)を重視するかですね。 yahoo!、google等で「季語 新暦」などで検索をするといいと思います。
その他の回答 (3)
- Tacosan
- ベストアンサー率23% (3656/15482)
そもそも「秋が立つ」だから, 「そろそろ秋っぽくなるね~」って意味だよね? 暑い中に「秋の気配」を感じるからこその「立秋」じゃないかなぁ?
お礼
今年は本州南部ではまったく感じないですね。秋よ来い。
- luune21
- ベストアンサー率45% (747/1633)
立秋とか夏至という区分を決めている二十四節気というものです。二十四節季は新暦・旧暦には関係しません。それは二十四節気が太陽暦だからです。 新暦は太陽暦、旧暦は太陽太陰暦です。新暦の時代であろうと旧暦の時代であろうと春分、秋分は太陽が赤道上(太陽視黄経0度、180度)に位置するときのことであり、立秋は135度のところに位置するときのことを指します。 したがって、新暦・旧暦のどちらの時代でも、立秋は現在と同じ猛暑の時節になります。 二十四節季というのは、そもそも、中国の中原地域の季節感を天文学による基準で厳密に区分したものなのですから、日本に会わないの当たり前なんです。この季節についての違和感は平安時代の日本人でも感じていたものなのです。 江戸時代までの日本人にとっては、本を読む、といえば漢籍をあたることですし、学問をする、といえば中国思想を学ぶ、という意味でした。その意味では、違和感があるといえども二十四節気を捨てるわけにはいかなかったのです。 これらのことから「合理的には改変したい、しかし、1000年以上続いてきた習慣を安易には変えられないという事情もあるので、慎重にならざるをえない」といったところでしょう。 日本人はずっと昔から、二十四節気の秋と日本人が実感している秋とを自然に使い分けてきたのです。ここでも日本文化特有のダブル・スタンダードなのです。 個人的には、季語を二十四節気から実季節感へと再編するのはかまわないと思います(芸術の1ジャンルのことですし)。しかし、二十四節気を実季節感に合わせることには大反対です。 むしろ二十四節気における「秋」と、日本人が実感する「秋」とは別のものである、ということを理解することのほうが大いに重要であり、有意義なことだと感じます。 http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/24doc.htm
お礼
ありがとうございます。 もちろん二十四節季は変える必要もないです。 天文学は唯一絶対的なものですから。 ただ中国の友人も8月中旬が一番暑いと言ってました。
- c22360679
- ベストアンサー率33% (221/651)
歳時記を改変する必要がないと考える立場の者です。 俳句の季節(暦の上の季節)は、寒暖を基準に区分しているのではありません。基準になっているのは太陽の運行です。夏のピークは夏至、冬のピークは冬至ですので、これを基準に1年を4等分すると新暦8月7日頃が秋の始まりとなります。別の言い方をすれば、日照時間が長い時期が夏、日照時間が短い時期が冬です。暑いのが夏、寒いのが冬ではありません。 季節のずれの原因が、旧暦と新暦の間に1ヶ月のずれがあることを挙げているものを多数見かけますが、これは誤りです。立秋が1ヶ月後(新暦9月7日頃)にあるべきと考えるならば、夏至も1ヵ月後(新暦7月22日頃)にずれないと辻褄が合わなくなります。旧暦を使用しても新暦を使用しても、立秋の時期が暑いのは同じです。 季節の区分の基準を理解していただければ、歳時記を改変する必要がないことがお分かりいただけるかと思います。
お礼
それはわかっているんですよ。 でも終戦記念日が秋で、紅葉の季節が冬だとしたら 実感ないですよね。 本州南部では紅葉のほとんどは11月下旬ですので実感のある紅葉の歌は一切歌えないことになるのでしょうか
お礼
ありがとうございます。金子先生の意見を知っただけでも質問した甲斐がありました。