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プロ野球 : 今のような応援はいつ頃から?
メジャーリーグを見ていて気が付いたのですが、日本のように鳴り物や太鼓を使ったり、あるいは全員が同じような掛け声を合唱したりするような応援は、アメリカではやっていません。 メジャーリーグから日本の球団に入った選手は皆驚くと聞きます。 一糸乱れない姿に、丁度、軍隊か合唱団のように感じるらしいです。 ところで同じプロ野球のある韓国や台湾の応援のスタイルって、どうなんでしょうか? アメリカのように一人一人が単独で応援? あるいは日本のように集団で? それと今の日本式応援のスタイルなんですが、これは一体いつ頃から始まったのでしょうか? 戦前から? あるいは王・長嶋の巨人全盛の頃から? それとも、つい最近?
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日本での野球の歴史を調べれば何となくわかってきます。 日本の野球は明治の頃に始まった学生野球(旧制の大学や専門学校、高等専門学校など)にルーツがあります。そしてそこから早慶の対抗戦が始まり、六大学野球の前身の対抗戦が始まり六大学リーグが結成。一方で今の高校野球の前身の中等学校野球大会の都道府県対抗戦も人気を博しました。中でも六大学野球はプロ野球が出来る前からものすごい人気で、初期の頃はプロ野球よりも人気がありました。 要するに学校の対抗戦の競技として(かつ初期の頃ほど今と違ってエリート学校の学生が行う競技として)野球が日本国中に浸透していったわけです。したがってその応援スタイルも母校の名誉などをかけて行う精神の下で行われたので、自然と集団応援になりました。 そういうものが主流であったので、その後、六大学のスターがプロに進んで、プロ野球のほうが人気が出てきた後でも、自然に高校野球や大学野球の応援の雰囲気を引きずった集団応援・鳴り物応援が日本では定着することになったのです。 応援にも競技の雰囲気にも日本では軍隊的な要素(巨人"軍"とかみたいな)が入り込んだのは、日本人の集団として何かやるのが好きだとか、かつての国家体制の影響もあるでしょうし、野球の発展に学生野球が強い影響があったこと、またそこに国家教育とからめた精神がどうこうが取り入れられたことなど色々なことが影響しています。かつては、野球は遊戯や競技というより、柔道や剣道のように「野球道」という言葉さえ用いられていましたから。 プロ野球とかメジャー野球がどうこうとか一言・一面的なものに閉じた話だけではありません。
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- eroero1919
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韓国のプロ野球はあの韓国伝統の太鼓あるじゃないですか、なんていうのか知らないですけど。あれで応援していますね。感じとしては日本以上に「試合は見ていない」感じがします。サッカーなんかでも、他の試合に勝っていても日本戦に負けると必ず監督解任論が出るそうです。 集団応援は、北朝鮮のマスゲームなんかもそうですけど、アジア人はああいうのが好きみたいですね。かくいう私も北朝鮮のマスゲームを見るたびにある種の気持ちよさを感じます。 台湾なんかあの国会の乱闘が有名ですけど、国会が乱闘しそうになると背中に自分の名前を書いたベストを着た議員が出てくるんですよね。で、派手に暴れるんです。かの国では国会で暴れれば暴れるほど票に繋がるそうでして、いやはやお国が違えば国民性もまた違うってことですね。 私もかつては外野スタンドでメガホンを振っていたことがありますけど、確かに試合を見に行ったのではなく、ただ単にお祭り騒ぎがしたかっただけだと思います。そういえば、確かに昔の西武の応援団は一糸乱れなかったですねえ。でも、それを見てこっち(あえて球団名は伏せます)のファンは「西武の応援団はよくまとまっている。あれを見習わなければダメだ」ってみんないってましたよ。まあ良きにつけ悪しきにつけ真面目な国民性なんですなあ。
お礼
有難うございました。 そうですね、たしかに日本人は真面目な国民性のように思います。 何というか、他人と違う事を嫌うというか、集団で同じ事をしていると安心感を覚えるように思います (自分にも同じところがあるかも知れませんが ・・)。 でも台湾の乱闘国会ですが、名前入りのベストを着てくる議員がいるんですね。 テレビ写りを考えているのでしょうが、本当に国民性の違いって大きいですね。
- tounosu24
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コンバットマーチの応援を広島球場からの中継放送で始めてみたときの「何これ?これじゃあ高校野球と同じじゃん」という驚きと衝撃は今も覚えています。これはとても支持されないだろうとの予測に反してどんどん広まって行きました。同じ頃、甲子園球場で「カ・ケ・フ!、カ・ケ・フ!」という掛布コールが始まったと記憶しています。直接的にはこの二つが今の応援スタイルの原型ではないでしょうか。 しかし私が初めてプロ野球を見に行った(川崎球場)1962年にはすでに鉦太鼓を使った三三七拍子の応援は行われていました。さらに甲子園球場には、阪神のチャンスになると、「突撃ラッパ」を吹く元兵士らしき名物おじさんがいました。 以上は私の記憶ですが、調べてみると次のようになります。 ・戦前に大阪タイガースや阪急軍(の応援で)でブラスバンドの演奏が行われた。 ・鳴り物応援については、あのスワローズの岡田さんが1952年にフライパンをたたいて応援したのが始まりではないかと言われているそうです。(メガホンの元祖と傘も岡田さんのアイデアとあります) ・1975年に広島球場でコンバットマーチの応援。(ちなみに高校野球のブラスバンド応援は1960年頃から) ・1978年に選手別(山本浩二)の応援歌。 ・ジェット風船は1984年に関西地区のカープ応援団が甲子園球場で始めたのが最初のようです。(これもカープで、意外でした) ・スクワットは1990年代に酔った客が始めたのが最初のようで、「カープファンはスクワット応援のため自主トレを行っている」というジョークもあるそうです(笑) で、最後に余計な一言… 私は、ヤクルトの岡田さんや、進取の気性に富むと言われるカープファンに敬意を払いつつも、鳴り物(とくにトランペット)の応援はやめるべきという考えです。そうすれば日本の野球場の雰囲気は劇的に変わり、なによりもそれを歓迎する選手は多いと思います。今のところ鳴り物が禁止されているのは東北楽天のフルスタ宮城だけのようですが、少しずつでも増えてほしいですね。
お礼
有難うございました。 私も全く同じ意見を持っています。 別の方へのお礼にもコメントしたのですが、何千、何万もの人間が一糸乱れない応援を演出する姿は何か半狂乱になった宗教集団の行事のように感じる時があります。 いくら日本人は集団行動を好むといっても、程度問題のように思います。 外国人がこの風景をみると、何か怖いものを感じるかも知れませんね。
- rokko-oroshi
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日本の野球の原型はアマチュア野球、中でも高校、大学野球の影響が大きいのではないでしょうか? 応援団という考え方はここが大元だと思います。 プロ野球も永らく笛、太鼓の応援でした。でも応援団自体は私が見始めた30数年前には存在していました。 巨人の星のアニメは王・長嶋時代の作品ですが、観客席で笛、太鼓で応援してる観客の姿が描かれていたように記憶してます。 今の形に近づいていくきっかけは、広島応援団が行った「コウジコール」ではないでしょうか?これは単純に山本浩二の打席中「コ・オ・ジ」と叫び続けるものでしたが、飛び火して「カケフコール」等になりました。 球場にトランペットを持ち込んでの応援も、広島カープが最初だったと記憶しています。山本浩二選手の「コージラッパ」が最初だと思います。 確か30年ほど前じゃないでしょうか。 これが瞬く間に各球団に拡がりました。 こうやってみるとジェット風船も含めてカープの応援団というのはアイデア豊かですね。 メガホンは東京ドームになってから巨人の応援団が外野で使い始めたと記憶しています。それまでの手拍子と比べて格段に大きく響く音になり、迫力が出ました。拡声のためじゃなくてたたいて音を出すためのものになりました。確か25年位前だと思います。 韓国や台湾の野球はよく知りませんが、アジアでは受け入れられやすい応援スタイルではないでしょうか?サッカーのときの「デーハミング」コールなんかみるとよく似てるなあと思います。
お礼
有難うございました。 日本の野球は学生野球から出発したから、応援団の影響が残っているという事なんですね。 この辺はかなり日本的な部分になりますね。 でも広島のファンは本当にアイデア豊かですね。 選手たちを応援しながら、また自分たちも応援を楽しんでいるように感じました。
- yossy912
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昭和53・54年頃の広島カープ応援団です。最初は個人別テーマはなく、カープの攻撃でランナー二塁以上に進んだ時のみ「コンバットマーチ(と言われてますが正式な曲名はダッシュ KEIO)」がセンター後方の応援団より演奏されていました。掛け声は「かっ飛ばせー○○!!」ではなく「△△(相手チーム名)たおせー、オー」でした。 やがて最初の個人テーマとして山本浩二のテーマができ、衣笠のテーマが出来、やがて全球団に広まりました。
お礼
有難うございました。 今のスタイルは広島で始まったんですね。 勉強になりました。
- nep0707
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>これは一体いつ頃から始まったのでしょうか? ON現役の頃は、大きな旗を振ったりする人はいましたが、鳴り物はまだメジャーではなかったと思います。 目立ち始めたのは昭和50年代前半・広島カープ黄金期のカープ応援団でしょうかねぇ…。 そしてすぐに阪神ファンが取り入れて広がったという感じだと思います。 日本人のメンタリティに合っていたのか、あっという間に広がりました。 昭和50年代終わり頃はほとんどすべての球団の応援団がやるようになっていましたね。 中でも印象的なのは西武の応援団。一糸乱れぬ応援は薄気味悪ささえ覚えました。
お礼
有難うございました。 昭和50年代前半の広島が元祖なんですね。 おっしゃるように、一糸乱れない集団というのは日本人のメンタリティに合っているように思いました。 でも見方によっては、何か新興宗教の行事のようにも見えますね。
お礼
詳しく解説して頂いて、有難うございました。 日本の野球は学生野球から出発したんですね。 という事は、戦前~終戦前後から今のような集団応援のスタイルが確立されたという事なんでしょうね。 メジャーの応援スタイルと違うのは民族性以外にも、色々理由があるんですね。 勉強になりました。