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「科学」ってなに?・・
化学とか数学、物理学とかいう範囲はまだ明確な範囲があるきがします。 で・・「科学」ってなんですか??? 僕の思う「科学」は ・「自然の事象を観測し」「分析し」「理由付け」「予測する」手法のことだと思っています。 本当の定義もあるとは思いますが、 あなたの思う「科学」ってなに?ってことで募集。
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三度ハリセンボンでございます。 「科学」を「手法」とするならば、「手法」は今も昔も同じでしょうか? 自分は統計工学を専攻しています。手前味噌ながら、確率論に基づく統計的推論という「手法」は他の多くの分野で利用され、その発展に寄与してきました。でも、この統計的推論理論がフィッシャーによって確立されたのはたかだか一世紀ほど前です。 前提となる知識が違えば「手法」の実行結果も違ってくる。その通りだと思います。でも知識が「手法」を作り出すこともまた事実ではないでしょうか? 私は「科学」を「客観性のある知識の体系」としましたが、今も昔も変わらないのは「知識」でも「体系」でもなく、「現象(自然現象や社会現象など)に対する人間の関心」と「それに客観性を求める」ことではないか、と思います。科学的な態度というものでしょうか。 つまり、「科学」の本質は「科学的な態度」であり、それは昔も今も変わらない。そして「科学」の総体は、その時代の人間の知識や関心によって多少は変わっていくもの。これが私の回答かな。 その意味では、魔術や錬金術も科学である時代もあった。という解釈もできると思います。(もちろんSF作家が作り出す独創的な世界観は科学ではありません) 最後に・・・ 私はこういう議論は楽しいし、大好きです。でも楽しいお祭もいつかは終わるもの、その膜引きを決めるのは主催者の務めです。ご自身の思うとおりになさいませ。
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No20のハリセンボンです。 >昔の科学が本当に今も科学なのか? 「科学」というものが、ある思想や概念を表す言葉とするならば、言葉の定義なんて時代とともに少しづつ変わっていくものだと思いませんか? 電気も無く(正確には発見・利用されてなく)、天動説を皆が信じていたときの人たちが、科学として認識していた概念と、ナノテクだのクローンだのってものが研究されている時代の科学の概念がはたして同じか、というのはどうしても考えちゃうことですけどね。
お礼
再び有難うございます。 おっしゃる様に思想や概念は変るというのはよくわかります。 そして、科学的知識もだんだん変っていると思います。 っていうか、変らない知識体系じゃ科学じゃなさそう。 で、「昔の科学が本当に今も科学なのか?」っていう命題が出てくる前提は、 「科学」を「客観的知識の体系」とした場合なのです。 つまり、「僕定義」な「科学」では、当時の知識に基づく「手法」なので、 いつまでたっても「科学」は「科学」なんです。 土台になってる知識が全然ちがえば「手法」の実行結果も全然違います。 「理由付け(論理)」も全然違うでしょう。 まだまだ微妙な話がありそうですねぇ・・ この質問・・そろそろ締め切った方がいいのかなぁ・・ どうしましょう。(笑)
「客観性のある知識の体系」だと思っております。 同じ条件でやれば、誰でも同じ結果が得られることが、大事だと思います。 人によって違う結果になるのでは、その知識を他の人が使うことが出来ませんから。 (「やる」って部分は分野によって実験だったり観察だったり論理展開など) 完全に証明されていないことでも、再現性があれば、とりあえずは他人にも使えますし。そういうものを生活に役立てるようにするのが工学だと考えています。 科学のすばらしいところは、何百年も前の人の知識が、時代を超えて磨かれ、今に生きていることだと私は思います。 時を越えた知識のバトンタッチ・・・っていう表現はぜんぜん科学的でないですかね?
お礼
ご回答ありがとうございます。 「客観性」+「知識」+「体系」っていうなのですねぇ。 「知識」にポイントがあると考えられうる事は否定しようがないとも思います。 ところで、この場合の「客観性」ってなんなんでしょう? 「僕定義」的には「知識」は「理由付け」なのだと思いますが、 「客観的な予測」ができれば、「理由付け」はある意味 どうでも良い気がするのです。 ハリセンボンさんがおっしゃる「再現性があれば、とりあえず使える」です。 「人間が居る」という観測は「神が創った」でも「猿から進化した」でもどっちでも・・・(^^; で、ちょこっとなやんじゃうのが昔の科学が本当に今も科学なのか? ってな感じがしませんか?
- First_Noel
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>うーん・・「数学」と出会うと幸せなんですかねぇ・・ 例示が狭すぎたかと後悔しております. モデリングをするのは生の人間が行う自由な思考活動ですが, 数学と巡り合った為に物理学では検証と予測がやりやすくなったと 思います.でも飽くまで手法のひとつであって,数学があるから, 自然のモデリングを行われると言うものでもありませんよね. 全ての科学に数学と言う手法が有効である筈ないですし.. 金槌ではキャベツの千切りは出来ないってところかな. ><「科学」は数式で表記が可能な物>っていう発想を誘発 この語弊はよくありそうに思います. 辞書にも狭義には「自然科学」を指すって,ここら辺ではないか,と.. 教えて!なのに議論みたく何度も書いてすみませんでした. 勉強になりました.
お礼
検証、予測がやりやすくなったというのはかなりありそうですね。 在るか無いかの二値的な判断よりも数値によるリニアな値の方が 柔軟な評価が可能ですしね。 数式で表記が可能っていう部分は自然科学の中でも一部に限られる気がします。 No.7でnikaさんがおっしゃる様に、 「分類」というのも「科学」の重要な部分だと思いますが、 その分類は数値化できない部分も多いと思います。 まぁ、画像とかで数値化出来るっていう話は無きにしもあらずですが・・(^^; 「教えて!」であるからこそ、 わからない部分を詰める必要があったと思います。 うーん・・数学って・・本当に自然科学なんですかねぇ。 ちょっと疑問。
- red-orgel
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「科学」って、扱われる対象が広いと思いますから、 百人に質問すれば、百通りの回答があるのではない か、と思われます。 ということを踏まえまして、人が経験的に知りえた ことについて、なぜなのかを説明することができる 知恵・知識であって、体系づけられているものと 答えさせていただきます。もちろんこれが正解とは 考えませんヨ。 なお、acacia7さんの思う科学は、当たっていると 思います。やっぱり、自然が相手で、自然と対話 する試みがないと、科学は発展しないと思います。 おそらく、いままでの諸先輩方と、同じ方向の内容 かと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おおよそのイメージは同じ物みたいですね。 自然科学は自然を相手に「対話」が必要なんですね。 実験やら実測ですね。 全然余談ですが、大学の先生に 「実験をする前に予測値を決めておけ。 予測値も求まらない実験をするな」 といわれたことを思い出しました。 ここにもサイクリックな科学が見えますね。
- First_Noel
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acacia7さま なるほど.やはり一般論としては, 「科学では「普遍的な知識」は得られるとは限らない」 なのですね...ありがとうございました. Winoさま >数式などで表記が可能な物だけを「科学」に定義してますか? 私もそれについて日ごろメディアの中での使われ方を危惧しているところです. しかし, >こじつけ理論でも、科学的風に解説ができれば科学なのでは? についてですが,いわゆる「似非科学」に代表されるところ等では, 反証や矛盾があっても無視している場合が多いと言う点で「科学」の手法に 違反している場合があると思えるので,多分「検証」して「自己修正」される ことが「科学」の手法の中には必要不可欠だと思います. その点「物理学」は幸運ですよね,「数学」と言う, 「足せとあるけど足したくないから足さない」 なんてことが絶対に許されない,明確な「手法」と巡り合えたから...
お礼
いえいえいえ・・ こちらこそ、さまざまな視点からのチェックがはいり、 考え直すことができました。 ありがとうございます。 そうそうそう・・「自己修正」ですね。 それが科学の要素ですよね。・・・「再現性と自己修正」のセットかな。 うーん・・「数学」と出会うと幸せなんですかねぇ・・ その見解が<「科学」は数式で表記が可能な物>っていう発想を誘発するんじゃないですか?・・(^^; 自然を直接相手にしていないだけに、数学の方が 「足さなきゃいけないわけじゃないけど足したいから足してみる」 っていうような不用意な拡張を許しそうな気もするんですが・・(^^;
- Wino
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もしかして、過半数の方々は、数式などで表記が可能な物だけを「科学」に定義してますか? >>「論理的」かつ「普遍的」である必要が… というものもありますが、 現在の(または、その社会における)非論理的な事柄ででも(霊とか?) 普遍的でないものでも、仮説的(僕定義?)理論もまた科学かと思います。 なんとなく、有ったら良いなぁみたいな こじつけ理論でも、科学的風に解説ができれば科学なのでは? 化石から復元するのも、じつは全然違う… って何年もたってから並べ替えてみたりしてるしぃ (なんか、ちゃぅかぁ?)
お礼
ご回答ありがとうございます。 とりあえず、「僕定義」では数式表記などの制約ははいってません。 「つきに傘がかかったら明日は雨っぽい」も科学に分類してます。(笑) うーん。非論理的なものまで科学ですかぁ・・ ちょっとつらいかなぁ。 非論理的っていうのが若干明らかじゃないですが、 「論理的」には推論可能性も含めているつもりなので・・ 推論不能なものから「予測」は引き出せなさそうです。 また、普遍的でないものはこれまでのところ容認される方向で・・ 仮設的なものは・・・というか・・あれです。 「僕定義」に置ける「理由付け」の多くは「仮説的な理論」です。 実のところ「絶対的に理論が「真」であることの証明」は 無理なんじゃないかと思う今日この頃です。 こじつけ理論であってもそれを否定することができなければ「科学」である と考えています。 ただし、推論と観測に大きな誤差を含むものは その「理由付け」に大きな誤りを含む可能性が高いとも考えます。 ですから、従前の「科学的知識」に明らかに否定されるものは 「科学的知識」と認められない可能性が高いです。 化石の復元の件は、「観測」が不足しているために「予測」を誤ったものです。 「観測」「分析」「理由付け」「予測」を繰り返すのが「科学(僕定義)」 ですので、古い誤った化石の復元もその当時には「科学」ですし、 その後に修正された場合は「科学」から排斥されるわけです。
- First_Noel
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ちょっとここで矛盾が出て来るかも知れません. と言うのも... 天動説は当然「(いわゆる)自然」を扱ったもので,「自然の事象を観測し」 「分析し」「理由付け」した結果,幾つかの円盤の上に天体が配置されていると 言う幾何学的知識を用いて当時でもある程度(当時の「誤差」範囲で), 天体の運動を予測することが可能でした. それは「実験」「観測」を通して「検証」された為に,宗教家に限らず 思考の強制を受けた経験の無い天文学者にまで広く長く信じられていました. (宗教暗黒時代は天動説の歴史の中ではごく一部です.) 天動説は科学の手によって「自己修正」を経て,現在では「地動説」ですが, 当時の天動説信者は「科学者」でしょうか? 天動説に基いて天体の運行を演繹的に予測したことは「科学」なのでしょうか? ただ反証を得なかったと言う見方をすれば,YESのような気がします. つまり私思うに,「科学」とは「手法」を表す言葉であって, 「科学」にのっとって得られた知識が「普遍的な科学知識」とは限らない, と言う気になって来ました. 心理学など,手法としては科学ですが,得られる結果は科学ではなさそうですよね.. と言うところで行き詰まってしまいました...
お礼
ご回答ありがとうございます。 星の運行を観測して分析し、「天動説」という理由付けを行い、 ある程度の予測をおこなっていましたし、 当時の賛同を得ていました。 こういう点からすると少なくとも「僕定義」の「科学」であると思います。 また、辞書定義的にも科学でしょう。 「僕定義」の中では「科学的な知識」は「理由付け」という形にしてありますが、 この「理由付け」が「真理」であるか否かは <「予測」と「観測」の差異>からしか垣間見ることはできません。 つまり、どんな予測を立てようと観測による実証が得られなければ、 肯定もできませんし、否定も出来ません。 いくつかのご回答からも感じられますが、 科学では「普遍的な知識」は得られるとは限らないと思っています。 得られそうなものは精度の高い予測だけです。 まぁ、これも漸近的な近似として得られるというだけなので、 もしかしたら、収束する先が「真」とはかぎらなかったりもしそうですけど・・(^^;;;;
- Singollo
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> 『血液型性格判断』 | 『医学』、『天気 > 予報』、『数学』だとおもいますよぉ。 > 血液型性格判断はまだ経験則の蓄積が足り > ないとおもうのですよぉ つまり十分な実験結果の蓄積が無いから『血液型性格判断』は仲間外れ、という考え方ですよね? でも、それって、どれだけ実験結果を積み重ねれば『十分か』、どれだけ再現性が高ければ『十分か』という、絶対の規準の無い、『程度』の問題に過ぎないと思いませんか? 『数学』は実験を必要としない、という本質的な点で、『血液型性格判断』、『医学』、『天気予報』 | 『数学』だとわたしは思うんですよ(勿論左の3つの中で『医学』と『天気予報』を括るのにはやぶさかではありませんが)
お礼
なーるーほーどー・・・・・ そんな風にも見えますねぇ。 ちょっと考え直してみますぅ。
- rei00
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rei00 です。 お礼拝見しましたが,やっぱり説明不足の感があったような・・・。で,補足(?)します。 > その分類を行った際に「この分野では」という暗黙の条件設定 > が切られ、表に出て来ない場合があると思うのです。 あ,先の回答で「ある種の条件の元で普遍的という場合もあるでしょうが,」と言ったのは,そういう意味でした。私も全ての分野にわたって「普遍的」であるとは思っていませんし,それは無理でしょう。 そうではなくて,ある一定の条件の下であれば必ず同じ結果になるという意味で「普遍的」と言う表現をしたのですが,チョット不適切でしたでしょうか。「再現性」とでも言った方が良かった? と,これを書いていて院生時代に研究室の助手の先生に言われた言葉を思い出しました。正確には忘れていますが,大筋は次の様なものです。 おい,再現性はあるか。誰がやっても同じ結果になるから「科学」なんだ。お前しか出来なかったら,それは「科学」じゃなくて「芸術」だ。 > 多くの人の合意を得られるような知識の集積って「科学的」 > ですよね?(笑) お書きの僕定義 『「事象を観測し」「論理的に」「分析し」「理由付け」「予測する」手法』につながるものであれば「科学的」でしょうね。単に雑多に集めるだけであれば・・・・(苦笑)。
お礼
すーみーまーせーーん。 お忙しいところを。 普遍性についてはわかりました。 やはり、完全な普遍性のことではなかったのですねぇ。 読解力不足でした。 確かに「再現性」というのは大変重要なポイントだと思います。 で、「僕定義」なんですが、実はもともと再現性をひそかに含んでいて・・ 4つのステップを行ったきりではなく、 「予測」から「観測」に戻ることを考えていたわけなんです。 「予測値」と「観測値」の誤差からくる「分析」 そして「理由付け」の再構築・・ そして新たな「予測」がでてくる・・ これがくるくる回るのが科学なのだと思っていたのです。 僕は確かに実験してたときは「芸術家」でした。(爆) 燃料電池やってたんですけど、 電池特性が作るたびにかわるかわる(爆) いまは「科学」の意味について科学的に再構築しているところなわけですねぇ。(たぶん)
>・「自然の事象を観測し」「分析し」「理由付け」「予測する」手法のことだと 思っています。 それに付け加えることの、 「自然の構造の理解するための」手法です。 たとえ、直接に原理的に観測できない対象でも、 それがないと説明に困る現象というのがあります。 例:波動関数(観測できるのはその絶対値の自乗) ベクトルポテンシャル 蛇足ですが、そういう対象って素粒子論に偏ってますね。 もう少し身近な分野、流体や熱力学なんて分野でも そういう量ってあるのでしょうか? 数学でいうと、虚数ですか。 虚数がないと3次方程式の厳密な実数解も求まりませんからね。 > 数学、理物等の定義はどうするんでしょう?? 数学の定義は、どなたか(たしかある数学者)の定義によれば、 「数理現象の解明」だそうです。 「数理現象とは?」と聞くと、「数学者が扱っている対象」なんだそうな。 なんだかなー
お礼
ご回答ありがとうございます。 うんうん「構造を理解する」っていうのもある意味ポイントなんですよねぇ。 「僕定義」の「分析」から「理由付け」の中で機構の推定があるわけで、 そこに理解が含まれるかとは思うのですが、 問題は「予測する」ことに重点をおくか「理解」に重点をおくかなんですよね。 僕は前者に置いてしまったのですが、「理解」に重きを置く人もいるのは確かなんですよね。 ある意味、科学を目的とするか手段とするかの違いに見えなくはなく・・ 僕の信条として「科学は手段にすぎない」とした為に、「理解」は省いちゃったんです。 それこそ、古代エジプトの天文学なんかは「手法」として認識されていたのだと思うのですが・・・ 数学の定義についてはあんまり考えてなかったんですが・・(^^;;; 「数里現象の解明」となるとあきらかに「数里現象」を理解することに重きがおかれてますよねぇ。 こまったなぁ・・(笑)
お礼
またまた有難うございます。 そうですねぇ・・「手法」の中身も変ってますねぇ。(^^;;;; 「知識」の中身もかわってますしねぇ・・ 確かに・・「科学的な態度」っていうやつが示したいんです!! うんうんうん。 ただ、ここで「科学」を使っちゃうと再帰しちゃうんで・・ 「事象を観測し」「論理的に」「分析し」「理由付け」「予測し」「事象を究明する態度」てな感じでいかがでしょう。 っていうか「僕定義」なんで僕が納得すれば済む話なんですが・・(笑) ということでいろいろと参加していただきありがとうございました。