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他動詞と自動詞の違い

こんにちは。taked4700 です。 英語文法について、普段からいろいろ考えてきましたが、他動詞とか自動詞の考え方について、一つの理論を以前から考えていました。 この考え方が正しいか、または、これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか、それを知りたいと思います。 aim は、「目指す」と言う意味です。ということは、「そこにない、今無いこと・まだ出来ないこと」を目指すということだと分かります。 ところが、doing は、すでにやっている、すでにわかっている、または、すでに出来ている、のような感覚があり、そのため、He aimed climbing the mountain. のようにすると、「すでに出来ていることを目指す」のような感覚になってしまい、おかしな文だと感じられてしまうのです。 また、aim at doing は、OKですが、これは、at と言う前置詞が入ることにより、「目指す」と言う動作が直接 doing に働きかけていず、at が入ることにより、「目指す対象が」doing なのだと感じられるからです。 一般に、他動詞は、目的語への直接的な働きかけを意味します。そして、「直接的」とは、目的語が「そこにある、今、目に見え、手で触れる」と言う意味なのです。つまり、aim の場合、その対象は、「遠くに離れている、まだ実現できていないもの」なので、aim at doing の形が一般的なのです。また、他動詞によりその目的語が何らかの変化を受けるという側面もあります。 このことが一番簡単に分かるのは、serch と言う単語の使い方です。「僕は公園を探した。」では、I serched the park. と言う形で、直接目的語としてthe park が来ます。これは、「公園」が実際にそこにあり、「探す」と言う動作の対象になるからです。 しかし、「僕はバックを探した。」は、I serched for the bag. となります。なぜ for the bag かというと、「バック」がその場に無いからです。「探す」と言う動作自体と「バック」というものが、直接かみ合っていないからです。 そのほかにも I go to the park. も「行く」と言う動作は、その出発時点も意味として含むので、出発時点では「公園」は遠くにあり、to が来るわけです。leave もそうで、I left the station. は、出発地点が「駅」です。I left for the station. は、目的地が「駅」なのです。 同様に、reach と言う単語は、他動詞として使われることが多いですが、arrive と比較して、目的語に影響を与えると言う意味合いがあります。だからこそ、「これらの言葉は彼の心に届いた。」は、These words reached his mind. と reach を使い、arrive は使わないのです。 しかし、これでは解決しない他動詞もあります。つまり、I know that he is a nice guy. のような場合です。ここではknowに目的語に対する働きかけのようなものは感じられません。そこで、他動詞概念を拡張して、視覚の問題にするのです。視覚と言っても実際に外界にあるものを見ると言うわけではなくて、心理的にあるものとあるものを視線を動かさずに、言い換えれば、意識の焦点が動くことなくある動作とその対象が一緒に捉えられれば、それは、他動詞的な直接性があるとするわけです。knowは、「知る」対象があってこそ「知る」と言えるわけで、そういった「動作との一体性」があります。また、最初に述べたaim,searchなどの使い方も説明できます。 つまり、他動詞は、視覚的な、または、意識的な「動作と目的語の一体性」がある動詞ということでまとめることが出来ます。 翻って、自動詞は、概念の混乱が見られます。つまり、I sleep. のように完全に主語だけの動作を示すものもありますが、I eat (something). のように、単に目的語が省略されて、自動詞化したものもあるからです。この区別をしないと、本来的な自動詞、他動詞の感覚が混乱すると思います。 以上のような、視覚の一体性ということは、一般的な前置修飾についても言えると思います。それについては、http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2119239.html の「補足」の部分に、以前、自分がyahooの掲示板にした回答の引用と言う形で述べてあります。 以上です。大変長くなり、申し訳ありません。

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  • yoohoo_7
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回答No.1

>この考え方が正しいか、または、これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか、それを知りたいと思います。 仰せの内容はそのとおりであると思います。 これと同じような考え方が以前に誰かによって言われていたかどうかについては、浅学のため定かではありませんが、他動詞は目的語に直接働きかけ自動詞は前置詞を通してのみ働きかけるという点だけに関して言えば既にいくつかの文献において指摘されていると思います。「動作と目的語の一体性」については、私はそのような指摘をした文献を知りません。 自動詞、他動詞の区別でよく気になるのは、makeのように「作る」という本来の意味では自動詞として用いないものとeatのように「食べる」という本来の意味で自動詞として用いるものを区別していちいち覚えなければならないのがたいへんで、これを区別、識別できるルールがあると有り難いと思っています。仰せの「I sleep. のように完全に主語だけの動作を示すものもありますが、I eat (something). のように、単に目的語が省略されて、自動詞化したものもあるからです」のあたりに鍵はあるのかと思うのですが、はっきりしません。あるいは、私が知らないだけで既に見出されているのかもしれないのですが...。 「目的語駆動力」とある意味で関連するように思い、興味深く読ませていただきました。有り難うございました。

taked4700
質問者

お礼

ありがとうございます。 自分の投稿にすべて目を通していただいているようで、大変に感謝しています。 >自動詞、他動詞の区別でよく気になるのは、makeのように「作る」という本来の意味では自動詞として用いないものとeatのように「食べる」という本来の意味で自動詞として用いるものを区別していちいち覚えなければならないのがたいへんで、これを区別、識別できるルールがあると有り難いと思っています。仰せの「I sleep. のように完全に主語だけの動作を示すものもありますが、I eat (something). のように、単に目的語が省略されて、自動詞化したものもあるからです」のあたりに鍵はあるのかと思うのですが、はっきりしません。 make の自動詞用法をあまり意識したことが無かったのですが、make については、完成動詞とか達成動詞と呼ばれることがあり、ほぼ例外なしにmakeは、完成状態を目的語、または補語にとると思います。多分、この完成状態が意識されると言うイメージが、I made it. で「やった・間に合った」と言う意味になる理由だと思っています。 でも、疑問に思っていらっしゃる点とは違うのでしょうね。 実を言うと、自分の理論と言うか、切り口の大きな部分は、「一体化」、または、「焦点化」と言う部分にあります。意識と言うものを考えた時に、それがどのような振る舞いをして文章がつむぎだされるのか、それを考えていったときに、どうしても、「一体化」とか「焦点化」と言うものが出てくると埼玉で教員をやっていた当時から感じていたのです。 その意味で、「目的語駆動力」と関連があり、yoohoo7さんの「『目的語駆動力』とある意味で関連する」とのご指摘は、そのとおりなのです。 重ねてありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.3

教育面からのコメントです。 1.基礎語彙に反例の多い説明は生徒を混乱させる。 1-1 直接的な働きかけを表す群動詞は少なくない。それをいちいちこれは例外、この場合はこう考えられる、とやっていくのは不親切。 The song got to me. 「その歌は私を感激させた」 I was embarrassed because he kept staring at me. 「彼がじろじろ見るので、きまりが悪かった」 (stare at が「私」に影響を与えていると言うことになる) 1-2 「遠くに離れている、まだ実現できていないもの」を目的語にとる他動詞は少なくない。それをいちいちこれは例外、とやっていくのは不親切。 例:want, ask, demand, require, pursue 2.抽象的な言い回しは生徒を混乱させる。 「他動詞は、視覚的な、または、意識的な「動作と目的語の一体性」がある動詞ということでまとめることが出来ます。」 これでなるほどと思える生徒が何人いるでしょうか? 3.英語しか見ないと、日本語やその他の言語が論理的でないおかしな言語になってしまう。 フランス語では、chercher「探す」は他動詞です。 フランス語では、名詞を修飾する要素は形容詞であれ、現在分詞であれ、前置詞であれ、関係節であれ、原則として名詞の後ろに置かれます。 ×le dansant garcon "the dancing boy" ○le garcon dansant "the boy dancing" 日本語では、名詞を修飾する要素は形容詞であれ、後置詞であれ、関係節であれ、すべて名詞の前に置かれます。 そう言う意味では英語はおかしい。首尾一貫していない。 そう言う英語を基準にしてしまうと、誤った言語観を生徒に与えてしまう。

taked4700
質問者

お礼

ありがとうございます。 こうして回答をしていただけると、投稿した甲斐があり、非常にうれしく感じます。 >1.基礎語彙に反例の多い説明は生徒を混乱させる。 そんなことはありません。自分の質問記事に書いたとおり、go to Tokyo とtoがgoではいるのに、reach Tokyo のように reach ではいらないなど、その意味が今までは単にreachは他動詞だからとしか説明されませんでした。そうではなくて、いわゆる目的語駆動力と同じで、目的語に対する意識的な近さ、一体視ができるかどうかが、直接並ぶと言うことの意味であると言う説明で、混乱は招かないと思います。多分このことの一番簡単な説明は「~を探す」で、日本語は、「バックを探す」というとき、捜し求めている対象が「バック」なのか「バックの中に入っている何か」なのか、区別がつきません。しかし、search the bag というときは、何かを求めて探す場所が「バック」であり、search the bag for the key とすれば、捜し求めているものが「鍵」だとはっきりします。これは、search と言う動作が視覚的に一体化できるのは、その動作の対象となった場所しかないからです。 >2.抽象的な言い回しは生徒を混乱させる。 「他動詞は、視覚的な、または、意識的な「動作と目的語の一体性」がある動詞ということでまとめることが出来ます。」 これでなるほどと思える生徒が何人いるでしょうか? 上に書いたとおり、きわめて具体的にその意味を説明できると思うのですが、具体的ではないでしょうか。 長くなったので、補足のほうに続きを書きます。 ありがとうございました。

taked4700
質問者

補足

お礼からの続きです。 >3.英語しか見ないと、日本語やその他の言語が論理的でないおかしな言語になってしまう。 確かに、この点は、配慮が足りない表現があったかも知れません。ただ、自分のアイデア自体は、英語を学ぶ上で、非常に役立つことだと考えています。できれば、この点について、ご意見をいただきたいと思います。つまり、自分の考えが間違っているか、今までに他の方が同様なことを言ったかどうか、ということです。 また、言語観についてですが、自分の説明のしかたが、誤った言語観につながるとは思えません。自分の説明は英語を母国語としない人がどう英語の感覚をつかむか、その一助になればと言うことで書いたものです。 また、意識の流れが言葉となって文章をつむぎだすという感覚は、多分、どの言語にもあると思うのですが、どうなのでしょうか。 しかし、フランス語、面白い言語ですね。他の回答で書いていただいた「新しい車」のフランス語表現で車の件で感じたのですが、非常に社交的というか、一種用心深い表現形式になっているのですね。 重ねてありがとうございました。

回答No.2

>一般に、他動詞は、目的語への直接的な働きかけを意味します。 いわゆる Affectedness 「被影響性」「受影性」と呼ばれる現象ですね。 詳しくは検索をかけて頂いて、Anderson 1971、だとか van Valin だとかの文献をご覧ください。 一つだけ言うと、実は名詞にも Affectedness が関わるんです。名詞句内の受動化は Affected の目的語だけが可能なのです。 (1) NP Passive (Anderson, 1978): a. the barbarians' destruction of the city b. the portrait of John (2) a. the city's destruction by the barbarians b. John's portrait (3) a. John's pursuit of fame b. the knowledge of physics (4) a. *fame's pursuit by John b. *physics' knowledge 他には conative alternation といわれる構文交替も関係しますね。 He shot the bear. He shot at the bear. の違いです。 普通は前置詞の目的語は Affected ではありません。受動化も難しい。 John slept on this bed. *This bed was slept on by John. しかし、 Napoleon slept on this bed. This bed was slept on by Napoleon. これは語用論的な問題で、一筋縄ではいきません。 >自動詞は、概念の混乱が見られます。 自動詞にはもう一つ区別があって、非能格(unergative)自動詞と非対格(unaccusative)自動詞(能格(ergative)自動詞)といいます。申し訳ありませんが、この概念についても検索してください。すでに長すぎる回答になっておりますので。

taked4700
質問者

お礼

ありがとうございます。 自分の投稿の意味は、高校段階の英文法であまりにその説明が分かりにくく、もっと簡単に理解できるような切り口があるはずだという動機に基づいたものです。 そのため、 >名詞句内の受動化は Affected の目的語だけが可能なのです。 のような部分にまで議論を広げるつもりがありません。 他のことについても同様であり、高校段階までの英文法をいかに理解しやすく説明するかと言う点で、「この考え方が正しいか、または、これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか、それを知りたいと思います」という質問をさせていただいています。 ただ、ご指摘の意味はある程度分かります。非能格自動詞その他についても、ある程度、そういう分類の意義は分かるのですが、そこまでの分類は、文法のための文法と言う感覚になってしまい、現実の複雑さを表現する時の文章の技法と言う側面から離れてしまうと感じるのです。 言葉は、普通人にとってはあくまで自分の気持ちや状況などを現実に沿って表現する道具ですから、細分化したものは、その時々に、それ自体として理解することで良いかと感じます。 フォウニクスの規則もいくらでも細分化ができますが、そういった細分化した規則を覚えるよりも、全体として大きな特徴というか主要な現象を理解し、細分化されたものは個々の例外としてその時々に覚えて行ったほうが、楽に外国語の習得が出来るように思います。