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どん底から這い上がったことはPRになるか

例えば、幼児期にIQ40だった人が成人になったらIQ120になって大学で優秀な成績を取ったとか。そんなことってPRにならないですよね。逆に、経験や学習によって得られた能力は高くても、生まれつきの能力が低いと見られたり、する可能性大では。生まれつき能力の高い人ってオールマィにできるけど、生まれつきの能力が低いと経験がないことはやれないんだよね。

みんなの回答

  • isora99
  • ベストアンサー率37% (303/805)
回答No.9

はじめまして。 私は小学生の時のIQは120でしたが、勉強嫌いの落ちこぼれでしたよ。PRって、どういう意味なんでしょう?よく解りませんが・・・ 生まれつきの能力が低くても、一所懸命生きている人はたくさんいますよ。勉強が出来なくっても、絵の才能があったり、音楽の才能があったり、数学の天才だったり。突出した能力をもっている人達は、あなたの言う「生まれつき能力が低い」人達の中に多く存在しているのではありませんか? 逆に、生まれつき能力が高くても、大人になったら「ただの凡人」なんて人は腐るほどいます。 >どん底から這い上がったことはPRになるか? 誰にアピールしたいの?自分が苦労した事、そこから這い上がって来た事を誰かに認めて欲しいのですか? そんな必要、ありますか? 私は何回も「どん底」に落ちましたよ。そして何回も這い上がって来ましたよ。でも、だからといって、それを誰かに吹聴しようとは思わない。自分自身の問題だから。自分がわかっていればいいから。 私は産まれた時、仮死状態でした。その後も大病に罹り、隔離施設に入れられました。その為に小学校、中学校では苛められ続けました。高校に入って、やっと友達というものを持つ事が出来ました。でも卒業後の進路は親の我侭で無茶苦茶。進学も就職も出来ずに卒業する事になりました。色んな仕事を経験しました。何度も貰い事故に遭い、何回も死に掛けましたが、幸いな事に助かりました。ある会社に騙されて自己破産も経験しました。最後の職場では大事故に遭い、リストラされ、今は身体障害者です。就職も出来ず、また自己破産しました。今は生活保護で生活しています。でも「こなくそっ!!」と思い、自分で事業を始めようとした直前に轢き逃げに遭い、犯人は捕まったが保険会社は保険金を払わない。これから裁判を起こすところです。 たぶん私は人よりもたくさんの地獄を見、どん底にも落ちて来たと思います。でも、自分で卑下したりはしないようにしています。さすがに今は精神的に追い詰められ過ぎて「おかしくなった」ので、心療内科に通院していますが、そんな状態でも這い上がろうとしています。 おそらく、あなたは私の半分も生きてきていない、お若い方だろうと思います。それなら、これからじゃないですか。まだまだ可能性はあるじゃないですか。 自分だけが不幸なんじゃない。みんなも同じように悩みを持っているんですよ。 相田みつを氏の言葉にこんなのがあります。 「ぼろは初めに見せておけ   そうすれば     いつでも       天下泰平だ」

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.8

>例えば、幼児期にIQ40だった人が成人になったらIQ120になって大学で優秀な成績を取ったとか。そんなことってPRにならないですよね。 どちらかというとこの例では、幼児期にテストしたテスト方法のほうに問題がありそうです。 時代により、学説によって、採用されることが違うので一概に、「知能テスト」だけの問題ではない。 何のためのPR?なのか目的がわかりません。 【大学で優秀な成績をとった】というのが大学の教育システムとしての宣伝なのか、ご本人のがんばりとして宣伝なのか、あるいは、幼児期のテストが間違いだったのではという宣伝なのか、いろいろな方面に利用できそうな事項です。 >逆に、経験や学習によって得られた能力は高くても、生まれつきの能力が低いと見られたり、する可能性大では。生まれつき能力の高い人ってオールマィにできるけど、 この説に関しては、確かに、「栴檀は双葉より芳しい」ともいわれますので確かに、芽はあります。 同じことをしても、できる子供とできない子供は確かにいる。 それは、ただの所要時間の問題なのか、入力されるべき情報の処理能力に要求される身体の反応・成長の差なのかで違う。 このあたりは、二十歳過ぎればただの人というのがそれに相当する。 オトナになれば、当たり前にできるようなことが5歳でできることは驚愕に値するが、それは20になったときにそれ以上を保証するものでもないという現実を意味しています。 だから、10で神童、15で才子、20すぎるとただのひと。 >生まれつきの能力が低いと経験がないことはやれないんだよね。 【経験がないことはやれないんだよね】これは能力とは原則無関係では? 泳いだこともないような人を、いきなり水に入れれば誰でもおぼれる。 それなりのトレーニングが当然。 語学もそうでしょう? 見たことも、聞いたこともない、言語はわからない。 【生まれつきの能力が低いと】確かに、トレーニングの密度、時間、は 能力の高い人よりは時間はかかる。 それは事実。 ただし、#7のかたが書かれていますが、 元の能力以外に、「自分を磨ける能力」というのも確かにあると思えます。 努力できる、集中できる、リピートできる、確認できる能力です。 生まれつきの能力って、半分以上はこれではないかと思う。 母国語をおぼえ、使うというのはみながなんとなくすること。 ただし、ただの日常会話しかしない人もいれば、 深く文章として考察するような人もいる。 かくして、どんどん、差が開く。 【努力する能力】ですが、それを比較するとき、 より、底が深かった、できなかったというのは、 自慢にはならないのではないかな? 何らかの障害で、歩けない人が走れるようになったというのはすごいと評価できる。 しかし、勉学に関してできなかったという状態は、その時点で 「できなかった」という状況を自らが作り出していた可能性のほうが大きいでしょう? 義務教育で同時にスタートなら、自分から好き好んで遅れて、よそみして、きたのかもしれないから。 こんなにできなかった。 今はできるようになった。 努力は評価できるが、できなかったという状態の責任がもとから、自分にあるなら、「やっとまともになっただけじゃん」ということです。

kelly7s
質問者

補足

歩けない人が走れるようになっても完全に障害はなくなるわけではなく、複雑な動作ができず、手と足が同じ行進だったり不器用なところがたくさんあって苦労しているのだなあと思います。それじゃあんなきつい訓練せず、車椅子の方が良かったと思うかもしれません。 それじゃ、訓練は無駄か?だって手帳もらえないし。せっかく普通に生活できるようになっても動作がぎこちないって言われ、最後には疲労骨折して自衛隊辞めてた人がいて本当にかわいそうだと思います

回答No.7

こんばんは。 私の予想では、あなたの周りに「自称苦労人」がいて、その自慢話に 悩んでいるか、まぶしい姿にジェラシーを感じているのではないで しょうか? わかっているかもしれませんが、結局今どうか?が一番重要な事で しょう。昔がどうだろうと今が駄目なら駄目です。すごければすごい のです。 野球選手の清原は、王・長島以上の才能があったそうです。ですが、 それを磨く事ができませんでした(張本などが言っているので恐らく 間違いないでしょう)生まれ持った才能や能力を磨いたり発揮したり できなければ、結局駄目になっていきますよ。 大体すごい人は、すごくあり続ける為に何らかの努力をしているもの です(本人が辛いとか頑張っていると感じているかどうかは個人差が ある)凡人の私は、それがすごいと思います。悔しいですしね。 結局地道に自分を磨く事が、自慢話でむかついたり、まぶしい奴をみて 妬んだりするより前向きだと思います。僕も理想論だとは思いますが、 この奇麗事をどれだけこなせるかが勝負なんだよね。。。

回答No.6

人によってどん底の基準は違いますよね、例えば借金10万でもどん底と思う人もいれば1千万でやっとどん底って人もいるでしょうから、多くの人を対象にできるという意味では宣伝文句のうちの一つにはなるのではないでしょうか。

  • poponponpo
  • ベストアンサー率29% (965/3218)
回答No.5

6歳の時に2.4歳レベルの知能の場合がIQ40です。 発達障害や高機能自閉症などでない限り、そのようなことにはならないでしょうね。 ちなみにアインシュタインはアスペルガー症候群(高機能自閉症)だそうです。

  • ap10
  • ベストアンサー率33% (453/1356)
回答No.4

#3です 追伸 小&中学時代に成績が全てドンケツだった人が、高校時代に努力して東大入学できたとしたら、PRできる点が幾つかあると思いませんか?

  • ap10
  • ベストアンサー率33% (453/1356)
回答No.3

PRの目的と、PRの仕方次第だと思います 例えばIQが上がった事自体はタダの自慢にしかならないと思いますが、「大学で優秀な成績を取った」点は十分PRに使えます >逆に、経験や学習によって得られた能力は高くても、生まれつきの能力が低いと見られ >たり、する可能性大では。 生まれつきの能力は評価されません それよりも現時点及び今後どのような能力を持てると予想されるのかという点の方が重要です つまり努力により後天的に高い能力を身につけた人は、今後より高い能力をつけれるとPRできるかと思います 当然元々能力がある人は、既に能力を持っているのだからそれをPRすればいいです また生まれつき能力が低かった人が、何らかの努力をしてその能力を向上させた場合、能力が向上した結果ではなく「能力を向上させる方法を知っている点」や「逆境で踏ん張れる能力を有している点」はPRできると思いますし、かなりその能力は評価されます PS.挙げられた例はPRするポイントがズレているかなと思いました

kelly7s
質問者

補足

PRすることは知能面だけではありません。運動能力の面、とか精神面もそうかと思います。たしかにまだ不器用なところがたくさんあるそれが悩みではありますし、

noname#36252
noname#36252
回答No.2

余りありえない話だけれど、神話となりそうで美談になりそうです。 幼児期の知能テストの測り方がおかしかったからかもしれませんが・・。 幼児期って、専門家でも知能を測るのが難しいですよね。学校に行く前だと、小児精神科とかだったと思います。興味の隔たりとか、獲得言語、あと医者が観察して割り出していたように思います。 すごく言葉や行動が遅れているのに、中身は実年齢より二歳上とか出ることもあります。 言葉が発達しているから、知能が必ずしも高いとはいえないようです。

  • dexi
  • ベストアンサー率14% (318/2128)
回答No.1

誰のなんに対するPRかにもよるとは思いますが、 基本的にはPRというより「ちょっとイイ話」という感じですね。 できればPRする時の設定条件をお願いします。

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