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自分を大切にすること 他人を大切にすること 人間関係について

「自分を大切にする」というのは、どういうことでしょうか? 表面的には分かっていても、真髄の部分まで情けなくもまだ私は分かっていません。 自分を大切にする‥自分自身を能力や志を高めていくことですか?命を大切にすることですか? 自分を大切にすると、何かメリットはありますか? よく、「自分を大切にできなければ、他人も大切にできない」と聞きます。この意味は、自分を大切にする=しっかりする。しっかりしていなけれな、他人を大切にできないし守ることもできない、ということでもあるのでしょうか。 「自分を大切にできなければ、他人も大切にできない」=「自分を犠牲にしてまで、愛する人を守り抜く」ということにつながっていくんでしょうか。 「自分と同じくらい、他人も大切にする」というこのバランス、非常に難しく私自身悩んでいます。 「他人と自分」‥やはり、自然と繋がっているんでしょうか? 「自分を犠牲にしてまで、愛する人を守るまたは大切にする」の真髄の意味は何でしょうか? ややこしくきれいごとも含んでいるかもしれませんが、皆さんの様々なご意見を聞けたらありがたいです。 どうぞ、宜しくお願いいたします。

みんなの回答

回答No.1

難しい問題ですね。考え方、価値観は人それぞれですから。 あくまで参考程度に。 私は、「自分を大切にする」とは基本的には、「心を大切にすること」だと思っています。 自分の心を追い詰めないようにと。 「自分を大切にできなければ、他人も大切にできない」というのば、自分の考えを人に押し付けてしまう可能性があるということです。 例えば、私の上司ですが、周りが心配するぐらいすごく良く働きます。 ですが、逆に後輩が「休暇を取りたい」と思っても、なかなかとれません。 何故なら、「私用よりも仕事が最優先」というのが上司の価値観だからです。もし、忙しいときに休暇の相談をすれば、「変更しろ」とか、休めても「休まれると痛い」などと言われます。 でも、これは、他人に厳しいのではなく、自分ももちろんそういうときは休まないのです。 つまり、仕事に対する価値観がそういう厳しさなんですよ。 当たり前の価値観が違うわけです。 これは、良い悪いではありません。 自分の体を酷使する人は、当然、他人も大丈夫だと思っています。 ですから、「やさしくしたい」と思っても気づけなかったりするのです。 「自分を犠牲にしてまで、愛する人を守り抜く」 これは、非常に難しいことです。 これは、本当に美徳なのでしょうか? 例えば、愛する人を守るために自分がけがをした、あるいは命を落としたときに、守られた方はどう思うのでしょうか? これも、ある意味守る側の自己満足に近い部分もあります。 自分も愛する人もともに守るのが理想です。 「自分を犠牲にして守る」のではなく、「ともに助かるために努力した結果、自分だけが怪我をする」というような結果であるべきだと思います。

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