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自分の評価と他人の評価
- 人間と言うのは、世界で一番『自分』が大好きな生き物である。他人の評価や価値観がどうでもいいのか?
- 絶望的な境遇に遭った他人の体験を聞いても、自分が味わった経験が他人より軽く思えても、絶望であることに変わりはない。
- 自分の評価と他人の評価は、自分自身が決めるものである。
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- zne368d4nt8
- ベストアンサー率20% (163/792)
こんにちは 同じ物を 見ていても 互いに 違う物を見ている場合等あると思います。 (見えていない部分がある 全てを 知らずに 決め付ける人など) 人は 皆 忙しい物なのでしょう 真心等 無い場合もある物です (元々ない人や心掛けていても出来ない時もある場合の人等) 許すこと 自分が 全て 見えていれば 気に成らない物 (特に 被害など無いのであれば 問題の無い事の場合) 気にしない事 等あると思います ※ あなたの 云っている事 分かりますよ ムカついたり あると思います (ケースバイケースに成る物ですがね) それはそれで あると思うのですが そこから ですよね 若しくは そこで どうするか 色々 ある中で 人は どう 歩み続けるか 精進あるのみと 云えると思います
- nagaineko
- ベストアンサー率28% (563/1990)
>「人間と言うのは、世界で一番『自分』が大好きな生き物である」 そういう意味では、他人の評価というか価値観とかどうでもいいということでしょうか? 自分ひとりで完結する事柄については、そういうことでしょうね。 ただ、社会の一員として、他人とかかわりを持つという局面に おいては、他人の評価や価値観を加味する必要がでてくるでしょうね。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8906)
他人の評価は他人の価値観が基準なのであって、自分の価値観とは別物。 絶望の感覚の違いは幸せの価値観の違いと同じようなものでしょうか。 ただこれは自分は自分、他人は他人って話では…?
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2726/12281)
そうですよ。他人の評価なんてのはどうでもいい、その通りです。 しかし、その自分の評価ってのは最低限の他人の評価を得られるだけの評価はしないといけません。例えば、自分は全く気にならないとしても洋服は匂いがする前に着替えないといけないだろうし、風呂も入らないといけないと思います。真実だからいいと思っても他人が嫌に感じる悪口のようなこと(ハゲとか)を平気で言ってしまうのも問題はあると思います。 要は自分への評価ってのはそれなりに厳しく他人の評価に耐えられるように仕立てていかないといけない面があるとは思います。ですから、 >絶望的かそうじゃないかは他人ではなく自分が決めることである 事は間違いないですが、自ら絶望するのは良くないと思いますよ。たかが300万と人に言われたくないでしょうが、300万で絶望せずに返してやる、そのために頑張ると思わなければならないのではないでしょうかね。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
人を相手の商売をやっていますから、他人の評価は気になります。例えば居酒屋の親父が「他人の評価なんてどうでもええ」とかいってお店のクチコミとかに無頓着だったら、ヘタすりゃお店が潰れますよね。客商売は他人の評価が全てともいえますから、自己満足だけだったらただのオナニーです。 他人の価値観は関係ないですね。世の中にはいろいろな考え方がありますからね。自爆テロが絶対正義だと思い込んでいるテロリストに何を説得しても無駄です。 あと私は、自分より下の人間がいるとホッとしてしまうタイプです。「上見て暮らすな。下見て暮らせ」のタイプですね。
- ao5k080126
- ベストアンサー率13% (28/205)
そういう意味では、他人の評価というか価値観とかどうでもいいということでしょうか? そういう人もいるだろうけれど、評価とは他人が決めることであって、自己評価は当てにならない。価値観と評価をいっしょにするのは違うと思いますけれどね。