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世の中が幼稚化して行くように思える
歴史的にみても、世相的に見ても、どんどん世の中が幼稚化しているように思えます。昔の公文書とか新聞とかすごい硬派ですよね。それが時代を追うごとにだんだん庶民化するというか、婦女子化するというか、やわらかくソフトにということが至上命題かのように推移しているようです。そして無駄も多くなった。文庫の字がやたら大きくなって、ページ数が嵩み値段が。この流れはどういう理屈で起こっているのでしょうか。
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>世の中が幼稚化しているように >この流れはどういう理屈で起こっているのでしょうか 分業化・機械化が進んだ。個人個人の責任が軽くなった。 金さえ払えば、どんなきめ細かいサービスも受けられるようになった。 欲望のブレーキがなくなった。 文化の消費者が、どんどん大衆化した。 読書とか美術館とか、むかしは金持ちだけの道楽だったが、 大量生産・マスコミの普及・経済効果で、 文化の消費者は大衆レベルにダウンした。 大衆を相手にした方が、文化は儲かるという経済的しくみが、できあがった。 高尚な哲学書より、うすぺっらなアメコミや漫画の方が、よく売れる。 で今世界を牛耳っている、アメリカの世界観は、自由主義資本経済社会です。 金さえあれば、なんだってできちゃうわけです。
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- United_93
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私は、「8チャンネル」のTV局が相当前に 「面白くなきゃテレビじゃない」 と言い出して愚かしいバラエティ番組を乱発し始めてから 退嬰化が著しいと思いますね。 アメリカよりも 愚民化してまでも視聴率と広告費を追い求める TVやマスコミのせいですよ。
お礼
あの8ちゃんの流れですか。昼にいつも8っチャンを流しているところがあって、例外を認めないところがあって、食欲がなくなります。アメリカはもうちょっと品があるのでしょうか。
- 63ma
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例えが適切かどうか自信がありませんが、今の世の中の人間は、動物園の動物になったように思えます。 つまり、21世紀の今、社会のあらゆる面で、便利になり生活していくで何ら不便はなく緊迫感もありません。(一部戦乱地は除く) 一方動物園の動物も餌を獲る為の緊迫感もなければ、空腹の心配もありません。 何れも何ら努力をしなくても、又多くを望まなければ、平穏に生活できますので、一般的に平準化しているかと思います。
お礼
そうですね。私もそんな感じを持っています。一般的に、スリリングで質の高いものを渇望しなくなっている。もっとも志が高い人は別なんですが、そういうものが希薄になっているのかもしれません。それに応じた商品合戦ですかね。映画でも冷戦の時代などは、スリリングで質の高いものが多いです。
- sukeken
- ベストアンサー率21% (1454/6647)
こんにちは。 進化なのか退化なのか…。 それだけゆとりや余裕が出てきたと言う事ではないでしょうか? 技術的にある程度頂点まで上り詰めているような場合、少し下を見て皆が本当に求めている事に気づいたりとか。 ライバル会社との競争も大事かもしれませんが、それだけでは物は売れなくなっているのでしょう。そして柔軟な対応も必要なのかもしれません。 でわ!
お礼
こんにちは。 難しい問題ですね。ただ、社会的に右へ倣えというのが定められた方策なのかもしれません。紙代が下がったのかも。
- mozori01
- ベストアンサー率26% (7/26)
やわらかく、ソフトに、字が大きく、というのは、 より多くの人に対して情報を提供する工夫です。 今でも専門書や最新技術など、 一部の人間にのみ提供できれば良いと思われる書籍などは 字も小さいですし、おカタイですよ。
お礼
20年前は、今の文庫2冊が1冊ですんでいたわけです。ずいぶん出費が少なくてすみます。それで特に読みにくくもありません。老眼向けコーナーの出版というのを何故作らないのでしょうか。専門書や最新技術などは確かにそうかもしれないんですが。
- toturenzu
- ベストアンサー率31% (623/2000)
知的財産を一部の人のものにせず、全ての人類共通の財産にすることが理想ですね。 <文庫の字がやたら大きくなって 全ての人が視力が良いわけではありません。 求める人には、惜しげなく与える。 それによって、その人の可能性が広がる方が有意義だからと思います。
お礼
確かに、やたら不必要に難しい衣をかぶって人々に敬遠されるのは問題です。しかし、活字に関していえば、すべての人が老眼なわけでもないし、20年前はそれで十分多くの読者は満足していたわけです。なぜ、「やさしさ」が過剰になったのかが問題です。
お礼
全く賛同させていただきます。 20年前の新書を読んでみたのですが、別に老眼ではないし、問題ありませんね。どうも出版社が優しさにかこつけて2冊分売りつけようという魂胆に思えて仕方ありません。その魂胆を可能なら閉めているのが、世の中の「優しさ」偏重主義ですね。価値観を一方に押し付けようとする。 それに、文化の志向性が、「金も教養もある」層から低いほうへ拡大したのも確かでしょう。別に本なんて「金」はなくてもいいわけですけど。そして何でも商売の衣をかぶっていったこと(の傾向を大にしていったこと)美術館でも、質の高い無名の作家よりも、逆のほうが加速度的に儲かるようです。「名前」の流通「質」の無検討。 アメリカ世界観の影響も大きいと思います。大量消費は必然的に全体の質を下げるのではないでしょうか。