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宗教家の行い
宗教のカテゴリが無いようですので、このカテゴリに投稿します。 私は無宗教ですが、妻の親戚は宗教一家です。妻の姉の娘が今回嫁ぐことになりました。妻の姉の娘も同一の宗教一家に嫁ぎます。当然、結婚式はその宗派で行います。(妻の姉の嫁いだ家も同一の宗教一家)それはそれでいいのですが、その結婚式を統制するのは会長という人らしく、その人の都合で、日程が決められますが、平日の火曜日になりそうです。しかも結婚式はその人の家の神殿で行うらしく、相当な田舎なので前泊が必要で、結婚式当日も宿泊することになりそうです。そうなると私ども一般サラリーマンとしては少なくとも2日間の休みを取る必要があります。姪の結婚式ですので出席したく思うのですが、今どき、平日の2日間も必要とする式を挙げるようです。しかも遠方で。そこで思うのですが、本来の宗教家としてはこの時勢、土か日に行うような配慮があって当然と思うのです。悟った人であればそのことに気づくはずですし、配慮することが宗教に触れている人だと思うのです。妻にその様に愚痴ってしまいましたが、その会長さんは独裁者のようです。ある意味私は「大した事無いな」というような感じを持ち(会長に結婚式で会った時相手がいくら偉そうにしていてもこちらとしては臆することも無いだろう)よかったと思っています。どう思いますか?
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質問者が選んだベストアンサー
悟った人であればそのことに気づくはずですし ↑ 果たしてそうでしょうか…… その火曜日に特別な意味を見出してるのかもしれませんよ?関係ないですがユダヤ教の安息日は金曜日です、文中から見るに会長さんの平日や土日などと言う区切りについての認識が甘いのは確かですが、だからと言って式の日程という判断材料だけで会長さんの宗教人としての才能まで判断するのはどうかと… 会長に結婚式で会った時相手がいくら偉そうにしていてもこちらとしては臆することも無いだろう ↑ には同意です、もし今回の主役であるあなたの姪さん夫婦をさしおいて偉そうにしているようなら単なる目立ちたがり屋さんなんでしょう
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- teinen
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そもそも日曜日が休みというのは,キリスト教暦によるものですからねぇ。その宗教がキリスト教でないとしたら,日曜日というのは特段意味がありません。 仏教の禅宗系統ですと,4の付く日と9の付く日が休みですし。 教派神道でも,曜日に関係なく「良い日」があることでしょう。乾坤式当日は,その宗教にとってはとても良い日なのかも知れません。 また,俗世間の都合に合わせるというのは,本来の宗教家のすべきものではないと思うのですが,「無宗教」を標榜されている質問者の方には理解することが難しいことかも知れません。 その会長さんが悟った人であるとしたならば,より,俗世間の慣習に振り回されない境地に達しておられるのかも知れません。 まあ,煩悩具足の凡夫である私としては,「せめて平日は避けてくれよぉ」と質問者同様の気持ちを持つでしょうが。
お礼
凡人といえば、すっかり私は凡人ですね。 式の出席者は「親族以外は」友人等ですが、そうなると、宗教に関係ない世間の人が多くなります。宗教家ばかりの集まりであれば、権力を振り回すのもいいのでしょうけど、世間の人からすると、まったく関係ありません。痛くも痒くもありません。 そういう意味で、その宗教家には問題がありそうです。また、そのような宗教家が指導する(主とする)系列に、姪が属するようにあると思うと、かわいそうな気がします。まあ、本人は修行という意味合いで捕らえているようですが…。
補足
日程については、会長さんの都合だけで決めています。 自分が最優先なのです。 まあ、どうでも良いですが、そのような最低の宗教家も、見てみたい気がしていて、今から楽しみです。 ただ、そのような最低な宗教家の教えみたいなものをこれから守っていく姪については不憫な気がします。 なんか、封建的であり。それが宗教といえばそれまでですが…。
- e2kyon
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人はこの世に起こる物事のすべてを見、知り、理解することはできません。宗教家といえども所詮は人間です。宗教とは信者のナショナリズムで成り立っているのであり、ある考えを持つ,人の集団が精神的な柱として捕らえることでひとつの宗教としての形を現します。悟った人と言えどもある一部分について人並み以上の知恵を身につけたに過ぎません。その不完全さゆえに人は"神"や"仏"のような人間を超える絶対的存在を生み出しているのです。 あなたがその宗教に信仰を持つかどうかでその会長さんの価値が決まります。
お礼
ありがとうございます。 わたしはどんな宗教にも興味はあります。 この場合、その宗教を代表しているとは到底思えませんので、宗教家として、判断しています。 宗教自体は立派だと思いますが、それを信仰するひとが、まだまだ出来ていないように思えます。
お礼
はい、偉そうにしているでしょう。 信者はそのことを別段不思議にもおもわないでしょうけど、部外者の私は、きっと、冷ややかな目でみるのでしょう。 このようなことを書くと、妻に「馬鹿にしている」とか「下に見てるとか」思われますが、実際そのとおりです。
補足
いいえ、自分の都合で、前日に大阪で用事があり、翌日以降、大阪に戻っている必要があるそうです。 すべて、自分の都合で考えているようです。 逆に言えば、自分には空き時間が無く、なんとか都合をつけた、その日が火曜日であったということのようです。それほど忙しいか?というと、そうではなく、自分の通例の行事がそうだからだそうです。 なあ、自分勝手ということでしょうけど。