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性差のある言葉
性差のある言語の国民は、男女間の心理的差異というものも大きい傾向にあるでしょうか。自分を常日頃「男だ」「女だ」とその形容詞でいってますよね。
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・男女間の心理的ギャップ「だから」性差のある言葉 を語りたがる個人の心理はあるのかもしれませんが、 ・性差のある言語の国民「だから」男女間の心理的ギャップ が規定されるというわけでもないように感じます。 社会言語学やジェンダー論あたりの研究の言うように、言語も男女感も時代によって変化しています。 江戸時代以前に一人称がオレの女性が変だったわけではなく、男性一人称がボクだったというわけでもないですね。 で、義務教育が普及した時代の文脈における男女感の違い、男女別学が行われた期間の学校文化も影響する可能性がないでしょうか。しかしインドやアフリカで男尊女卑の問題が深刻な事情を見ていると、近代社会の成立が男女差の根源だとまでは言えないですがね…。
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- ANASTASIAK
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ま、そうでしょうね。 日本の女房言葉のように性差が明示的あることばでなくても 使う形容詞や副詞によって性差があることもあります。英語 はその種の言語です。
お礼
そうでしょうかね。 性差といっても文法的なものや男言葉女言葉的とヴァリエーションがありましたね。英語は日本語同様?あまり性差のないような気がしました。
まったくないでしょう。 言葉は男女の性差などという意識が生まれる前から存在します。(性差があって当然の時代から)現に性差があり(心理的にも)ながらそれを認めないようにしようという考えは女性の役割分担が徐々に変わる中で生まれた比較的新しい考え方です。 日本語には文法としての性はありませんが、表現に性差があり、ヨーロッパなどの名詞や形容詞に性のある言葉と結果としては同じです。最近は高校生(女性)などが俺、お前と男言葉を使って無意識に性差を否定しようとしているように見えますが青春時代の通過点の現象に過ぎないと思います。
お礼
言葉より以前に性差意識はあるので問題ないということですね。 文法的に強制力があるとどうかと思いました。たしかに文法的だろうと男言葉女言葉的であろうとたいした差はないかもしれません。
お礼
性差のある言葉だろうと、あまりない言葉だろうと、根源的な性差意識とはほとんど関係ないということがどうも言えそうですね。