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「許す」ということ。
何かに対して怒りが収まらない時、モヤモヤした気持ちが収まらない時、結局は自分が「許す」ことが自分の為にも一番いいことだと思っています。 でも、「許す」ことについてわからないことが2つあります。 1つめは例えば、私が相手を許したとします。でも、相手は私に「許してもらった」という気持ちをもたなかったと思います。それでも、私は「相手を許す価値」があるのでしょうか? 2つめは、例えば友達の些細な言動で私がイヤな気持ちになったとします。ここのサイトでもある質問で「本当の友達とは相手のイヤな所をちゃんと忠告できる間柄」という回答を読みました。(それが正解かどうかは人それぞれかもしれませんが私は納得しました) でも、それでも私はよっぽどのことならともかく、あまり友達にそんなことが言えません。そこで、相手に忠告をせず(忠告すべきことなのかわからない・・・というのもあります)許すことにしました。それでも、その友達とは「本当の友達」と言えるのでしょうか?それともこれは「許す」こととは違うのでしょうか? 自分で上手くまとめられず、わかりにくくなってしまいましたが、どんなことでもいいのでアドバイスしただけたらうれしいです。よろしくお願いします。
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それだとあなたは相手を忠告することばかり 考えているような気がします。 そんなこと個人的にはどうでもいいことだと 思います。 相手のイヤなところを受け入れることが 出来て始めて友達だと思います。 相手の短所は長所に比べて見つけやすいものです。 時間にルーズ、気が短い、自己中心的など。 それよりも相手のいいところを見つけてあげましょう。 「本当の友達」とは相手の素敵な部分を お互いが理解し尊重できる仲だと思います。 価値観を押しつけるような形になって すいません。
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- turai0422
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許せることなら許すことが、自分が一番楽になる方法 以下、解説 許す → 相手への憎しみの気持ちが消える → 嫌な気持ちがなくなるので自分は幸せ つまり、自分が許してあげた相手の気持ちなんて、関係ないのですよ。
お礼
「自分が楽になるために許す。」 どうしようもない場合はこれが一番いいんだな、と思いました。 モヤモヤ感を盛り続ける自分にも疲れました。 相手の気持ちをなんて考えず、自分のために許します。 大変参考になりました。回答ありがとうございました。
- chupaku
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怒りやモヤモヤが残っているのに許すのは 「あきらめ」に似た気持ちなのでしょうね。 本当に許しているのなら、モヤモヤなどはないと思いますが、 しかも許す価値などと言う言葉が出てくる以上は本当に?と感じます。 相手に忠告するのは何故でしょうか? 自分が嫌な事をこれ以上されたくないからではなく たとえ自分からその友人が去ってもこれからの将来その友人が 他の人に嫌な事をしないで、やっていって欲しいと思う 友人サイドに立っての思いからです。 おそらくあなたの考え方はいつも自分中心的な観点からの 気持ちでいるので、納得いかないのだと思います。 本当の友人ならば、たぶん友人が幸せに生きられるように心配してあげられるはずですね。 その忠告がどの部分から出ているかが分かれば、逆ギレされないでちゃんと伝わるはずです。 上の場合の「許す」はまだあなたサイドからの気持ちという気がします。 許してもらったと気がつかないのなら、何も行動が無かったと言うことだと思います。「自分の中での我慢」でしょう。 相手に自分の気持ちを伝えた上で許しましょう。 結局まだみんな修行中ですから。
お礼
今回の件で最初は具体例をあげていたのですが、あまりに長くなるので端折りました。1つめの方は家族に対してです。家族は切れないものだし、結局は自分が許すしかないと思っています。このままモヤモヤ感を持ち続けるのは自分がしんどいので「許す価値」という言葉を使ってしまいました。「あきらめ」は今の自分にピッタリの表現だなーと思いました。 >>相手に忠告するのは何故でしょうか? 考えさせられました。今の私の答えは真っ先に「自分がイライラしないために変わってほしい」でした。 今まで、自分のことを自己中心的だとは思っていませんでした。 でも、♯1さんからの回答を読み進めていくうちにいかに自分中心だったか気が付きました。 まだまだ、自分が甘いことを思い知りました^^; 大変参考になりました。回答ありがとうございました。
- konagoo
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「許す許さない」は単に感情の上で決めることではないと思っています。日常生活の些細なことならば「すいません。」「どういたしまして。」が円滑な人間関係を形成する知恵と言えるでしょう。その点では、ご質問者様と同意見です。 しかし、あえて「許す」というけじめが必要でかつ、どちらかに問題(解決すべき課題)が残る場合、感情的に許す許さないに関わらずその問題は解決されなければなりません。 なぜならば、放置しておくと(単に許してしまうと)必ず再発するからに他なりません。 問題が解決されて(将来二度と起こらないことが確認されて)過去の事件を許すことができます。キリスト教の右を殴られたら左を差し出せという教えは許しを与える精神性であって、問題の解決法ではありません。 1つめの相手が「許してもらった」という気持ちをもたなかった場合で、相手に問題意識がない場合ご質問者様は許した価値がありません。相手は同じ過ちを犯し、ご質問者様は同じ目に遭います。相手が反省し二度と同様の過ちを犯さないと思っているなら、相手が許してもらったという気持ちになっていてもいなくても許した価値があります。 2つめの「本当の友達とは相手のイヤな所をちゃんと忠告できる間柄」とありますが、相手にイヤなところがあって忠告など出来なくとも友情は芽生えます。一般にお互いにどこか自分よりも優れている点や惹かれるところがあるから友人関係が成り立ちます。イヤところをあえて指摘するよりも優れたところを理解していることを伝えた方が余程良好な友人関係を形成できると思いますが如何でしょうか。 「努力」といういい加減な言語をご存じのことと思います。辞書では「心をこめて事にあたること」ですが、実際には物事を実行できない言い訳(←努力はするが実施はしない)に使用されることが多いですね。 これに似て忠誠、信義、信頼、善意、安全などがあります。言語の持つ意味とこれらを使うときの意味は微妙に異なっていることがよくあるものです。 「本当の友達」を話題にするとき、本当ではない友達を話題にしているに他なりません。 本当の友人関係にある二人が「本当の友達」と確認し合う必要はありませんよね。
お礼
相手が同じことをしてしまう可能性がある限り、問題の根本的な解決にはなっていないですよね。それは私も一番考えました。 「本当の友達」については自分よりも優れている点、惹かれる点はたくさんあります。最近馴れ合いになっていて大事な部分を忘れていました。「良好な友人関係」に重点を置きたいと思います。 >>本当の友人関係にある二人が「本当の友達」と確認し合う必要はありませんよね。 本当にその通りですね^^ 大変参考になりました。回答ありがとうございました。
- hamakkotarou
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『許す』というのは頭で考えると難しいですが やってみるとこんなものかと感じるかもしれません。 『許す』ということは誰かに対して自分に身体的な危害を及ぼさない 限りどんな事をしてもよいと認めることです。 それによって生じた結果は、全て本人に責任を持ってもらいます。 そして自分に対しても誰かに危害を及ぼさない限りのどんな事でも することを認めることです。 それによって生じた結果は、全て自分で責任を持ちます。 一つ目の回答は『それでも価値がある』です。 相手を許すということは相手のしたことを気にしない ことにすることです。 そうすれば自分の気持ちは少なからず落ち着くはずです。 自分の気持ちを落ち着ける価値があるのです。 相手が許すか許さないかにかかわらず、気持ちが落ち着くことは とても良いことだと思いませんか。 ただし、自分が許したのだから相手も許すべきと思うことは 許していないことになりますので気をつけてください。 ふたつめの回答は『本当の友達』であるならば対等な関係で あることだと思います。 あなたが友達が思ったことを発言するのを認めるならば、あなたも 自分の思ったことを発言するのを友達に認めてもらうことです。 あなたが自分の感じたことを言いたいならば、友達にも感じたことを 発言する機会を認めてあげることです。 もちろん、許すということも対等な認識にしておく必要はあると思います。 究極的なことまで言うならば自分から相手が離れていくこと、 自分が相手から離れていくのを許すことだと思います。
お礼
「それでも価値がある」と言い切っていただいて安心しました。 最近、このこと(許す、許さない)ばかり頭の中にあって、自分の気持ちを落ちつかせたいと思っています。 「本当の友達」とは対等であると思っています。私は口マメなほうなので、ついつい意見したくなるのですが、友達があまり人に対してどうこう意見するタイプではないので、(私はいくらでも発言してほしいのですが)言いにくいというのもあります。 究極にいうと・・・少し考えましたが、そうかもしれないです。 大変参考になりました。回答ありがとうございました。
- 15baby
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(1)相手のアクション(反省しているなど)を見て許す。 (2)相手は何も変わらないでも許す。 (3)相手に何か変化がアルかもしれない可能性を信じて許す。 などがあると思います。 許した気持ちに気づいていない相手。 これは、何も変化ナシなので(2)になります。 しかし質問者様の気持ちは、相手のアクションが気にかかっている。 今の状況では(2)になっているが気持ちが(1)もしくは (3)を望んでいるために、 モヤッと感が出ているのではないでしょうか? 今まで、本当の友達だと思っていたのなら、 「本当のともだち」だと思います。 今は少し、互いにギクシャクしていて、気持ちが揺らいでいる。 今よりももっと、前よりももっと、心から本当の友達と言えるように、 互いに相手を思いやる気持ちを忘れなければ、大丈夫だと思います。 何でも、疎かにしていれば壊れてしまいます。大切にするのが1番。
お礼
許すと一言で言っても色々あるんですね。ただ「許す気持ち」を持たなければ・・・という気持ちしかありませんでした。 どれかというと、仰るように(2)の心境ですが、少し(3)もあります。 >>何でも、疎かにしていれば壊れてしまいます。大切にするのが1番。 そうですよね。一時の感情に流されず今まで「本当に友達」だと思っていたのだから、大切にします。 大変参考になりました。回答ありがとうございました。
- kiyoxxx
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「許す」とは自己の決着のつけ方のひとつで、相手の意思は関係ありません。 こちらが「許す」と思っていても相手が「許してもらった」と思うかどうかは勝手です。 ですから、「許す価値」があるかどうかはあなただけの判断です。 「本当の友達」の定義が「忠告できる間柄」という事なら忠告が出来ないあなたは「本当の友達」とは言えません。 「本当の友達」は些細な事でも許す事のできる(我慢の出来る)間柄ではないでしょうか。もちろんそれだけではありませんが。
お礼
「許すことに相手の意思は関係ない」その通りだと思いました。ここで、相手が「許してもらったという気持ちがないなら・・」というのは自分の中に傲慢さだと思います。 「本当の友達」についてですが、「忠告できる間柄」と言われればそう思い、また「些細なことなら許すことのできる間柄」と言われれば、これもおおいに納得してしまいました。私は本当に自分の意思というものがないんだなーと思いました。もっと自分の中でゆっくり考えてみたいと思います。 大変参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼
すべてにおいて、気づかせていただいた気持ちです。 >>それよりも相手のいいところを見つけてあげましょう。 この言葉を聞いて、昔何かの本で読んだ 「人の良い所は両目で、悪い所は片目で」いう一行を思い出しました。 今の私は逆になっていたようです。 相手のイヤな所を治してもらうことにばかり固執していました。 価値観を押し付けられたとは思っていません^^ 大変参考になりました。回答ありがとうございました。