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いつも道をよけてるような気がしますが・・・
朝夕の通勤時など、真正面から人が歩いてきたら、普通だったら両者ともお互いに少しよけながらすれ違うものだと思いますが、いつも自分だけよけて、相手は直進してくるように感じます。これって私の被害妄想でしょうか?私は相手がどんな人でも道を譲るのは一向に構いませんが、たまには相手がよけてくれてもいいのでは、と少し思います。 あなたならどうですか?
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相手が先によけてくれたときには、ぶつかりそうにならないから、こちらは相手がよけてくれたことに気がつかないものだと思います。
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- ANASTASIAK
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自分からよけるようにしましょう。 肩で風をきって歩くような人間には道をあけてあげれば いいだけです。もう生涯二度と会うこともないかもしれ ません。人は通り過ぎて行きます。
お礼
「袖ふれあうも他生の縁」http://www.biwa.ne.jp/~jf3nzp/ohanashi17.htm ということわざもありますね。 確かに自分が気持ちよくなるよりも、他人に気持ちよさを味わわせた方が、結果的に自分も気持ちよくなることなのでしょうね。
日本人が昔ほど他者に対して気配りしなくなったのは事実と思います。その為あなたが感じているように、相手が避けてくれるよりも自分が避ける頻度が高いのも事実かもしれません。ただし、双方いつまでも直進を続けていれば正面衝突するわけですから、いつの時点かでどちらかが避けねばならない、つまり状況判断による行動を起こさなければならなくなる時点が来ます。あなたはこの状況判断の時点がちょっと他者より敏感なのかも知れませんね。この状況判断への敏感さは個人差があるのは事実だと思いますし、性差で言えばこの点は女性はかなり鈍感だと常日頃感じることが多いです。(小生は男です) ただし、日常生活ではあまり気にするようなことでもないように思いますが…。問われて見れば、私も自分が避けるほうが多いように思いますが別に気になったことはありません。 このような性質は身に迫る危険を回避する能力も他者より高いということであり、適者生存の法則から言えば自身には好ましい性質ではないでしょうか?
お礼
<状況判断の時点がちょっと他者より敏感なのかも知れませんね とおほめ頂き、有難うございます。 <女性はかなり鈍感だと常日頃感じることが多いです とおっしゃるのは、果たして如何なものかと思うのですが、女性の皆さん反論はありませんか? 個人的には男女の「性差」はなるべく気にせず、一人一人の「個体差」に注目したいところですが・・・。
道の歩き方は江戸時代の人間のほうが心得ていたようです。 スイス人のアンベールという人の<絵で見る幕末日本>という本のなかに興味深い一節があります。 「東海道に出た。道路には、首都江戸に向かう歩行者、騎馬、乗り物や駕籠に乗った者が、後から後から果てしなく続いていた。彼らは、いずれも道の右側を通っており、反対に、引き返す者は、左側を通っていた」 現代人が江戸時代にタイムスリップして東海道を歩くとしたら、 oozoraさんのような質問が出るかもしれませんね。
お礼
江戸時代のマナーまで持出して頂き、興味がもてました。 日本は江戸時代から右側通行で、それが整然と守られていたのですね。 少し前に電車内のマナーポスターで江戸時代のしぐさについて特集していましたが、本当に日本は行儀のよい立派な国民だったんだなと思います。
- tirkit
- ベストアンサー率11% (8/68)
路を譲ることが出来るのは、相手のことを思いやれる証拠です。 とても素敵なことではありませんか? 次に路をゆずる時は、心の中で「お先にどうぞ!」と言ってみてください。 心に余裕が出来て、気分も悪くないと思いますよ。
お礼
「おれがおれが・・・」と自分の我を通すのではなく、いつも心の中で「お先にどうぞ!」と笑って人に譲ることで、自分の心に余裕が出来てくるのですね。・・・ううん、段々人生訓話みたいになってきた!
- toturenzu
- ベストアンサー率31% (623/2000)
質問者様の反射神経が優れているから、常に先に避けているのではないですか? わたしは女性なので、できれば人とぶつかりたくありません。 それに避けられなくて人にぶつかるのが何度も続くと妙に疲れます。 なぜか年配の女性の方にしょっちゅうぶつかるのです(寄ってくる?)。 なのであまり考えず、できるだけ早く避けるようにしています。 よそ見しながら歩いている時は避けてもらっていると思います。 え?天むすの地域って…ココですけど(汗
お礼
天むすの国からようこそ! 「反射神経が優れているから」などと持ち上げて頂き、恐縮です。 「できれば人とぶつかりたくありません。」という自衛の意味もあるのですね。 いつも思うのですが、人が変わるのを期待するのではなく、人がどう対応するかにかかわらず、自分から変わることが、よい人生を送るのに大切だと思います。・・・ちょっと大げさになりましたが・・・。
- Frock04
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決め付けもよくないので、軽く読んでください。 私、現在てんむすで有名な県に住んでます。二年前までままかりで有名な県に住んでました。違いははっきりしてます。今住んでるところの人たちはほぼよけてくれません。お互い少しずつ、がありません(細かく言えばよける具合が少ない、少なすぎる)。じゃあ他の人たちはガンガンぶつかってるのかと言えばそうでもないんですが。以前の県では、例えばスーパーなどでのお買い物のとき、ある程度お互いがスーッとよけてました。まあ完全な数値を統計として出したわけではありませんが、あきらかに違います。私もはじめは被害妄想かなぁ…と思ってましたが。 なので、僕は今の土地では、もうよけません、このモラルの低い、マナーが最低なところでは。(これじゃあよくないんですがね、いっしょになっちゃう)
お礼
前に県民性についてのテレビ番組を見たことがありますが、この種の行動パターンが県によって大分違うことを知り興味を持ちました。 →http://www2k.biglobe.ne.jp/~yano/KENMIN.html 回答者様が「僕は今の土地では、もうよけません」という気持よくわかります。(笑)
- wsws
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他人と言えども人の為に道を譲る。 良い事です。 良い事をするのに恥ずかしいも何も無いです。 迷う必要はありません。 これからも譲ってください。 そしていつか質問者様に譲ってくれる人が現れます。 その人をお待ちください。
お礼
<良い事をするのに恥ずかしいも何も無いです。 その通りですね。今までは、人に道を譲ったら、「相手に負けた」という気持が心の底のどこかにあったような気がしますが、これからは「譲るが勝ち」位に感じながら、堂々と道を譲って、いい気分になろうと思います。
- mktb
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今、考えてみたんですが、 私はよけたりよけなかったりです。 急いでいるときはよけません。そのまま進むと他の人がよけてくれます。 堂々として歩いていけば、よけてくれると思います。 歩いている人は、この人はよけるかよけないかを無意識のうちに即座に判断しているように思えます。
お礼
早速有難うございました。確かに私も急いでいる時は、どんどんまっすぐ進みます。どちらがよけるか瞬時に感じ、かけひきしているから、うぶつからずにすんでるのでしょうね。
お礼
このご回答は秀逸!ですね。さすが名回答者のd-yさん! 今までどうしても自分を中心において「どうして人がよけてくれないんだろう?」なんて考えていました。 でも自分が気がつかないとき、相手も同じように考えていたかもしれません。まさに今までの私は「天動説」的、d-yさんのは「地動説」的な発想の転換だと思います。