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屯田兵の募集手段について
当局は、屯田兵募集の旨をどのように人々に知らせたのでしょうか? 例えば新聞など、告示手段についてお教え下さい。 また、明治23年以降、募集の対象も「士族のみ→平民もOK」へと広がっていますが、それに関連して告示手段にも変化はあったのでしょうか? よろしくお願いします。
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- tanuki4u
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回答No.1
当局は、屯田兵募集の旨をどのように人々に知らせたのでしょうか? 例えば新聞など、告示手段についてお教え下さい。 また、明治23年以降、募集の対象も「士族のみ→平民もOK」へと広がっていますが、それに関連して告示手段にも変化はあったのでしょうか? よろしくお願いします。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 まず、屯田兵の主体が東北各藩の藩士であるというのは間違いだと思います。 提示したいただいたHPに屯田兵の出身地の上位10県がのっていますが、ここで全46府県を見ることができます。 http://www.asahi-net.or.jp/~XJ6T-TKD/tonden/meibo/syussin.html 全7337名のうち、東北6県を出身とする者は19.6%にあたる1439名ですね。 でも、確かに東北の藩士の方々はお知り合いだったので、告知が要らなかったかもしれませんね。琴似や山鼻、江別等はその通りだと思います。
補足
補足しておきます。 まず、一般の移住者と屯田兵は別の存在です。 あと、琴似屯田兵村は37ある屯田兵村の1つであり、全屯田兵のことは指しませんよ。 琴似、山鼻、江別などは最初期の屯田であり、東北のいわゆる賊軍とされた方たちが殆んどを占めました。 この頃は、やっかい払いなのか救済措置なのか、ほぼ東北のみを対象としていますね。 が、これはその後の募集によって調節されてます。 例えば九州・四国・中国から少しづつ募集するなど、偏らないように募集されました。 最終的な屯田兵の出身都道府県は、東北が約20%、九州が16%、四国が15%、中国が15%、北陸が14%となっとります。 やはり東北が多いのは確かですが、比較的多いというくらいにとどまります。