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二重敬語?

教えてください お疲れ様でございました は二重敬語になるのでしょうか?

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  • Ishiwara
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回答No.2

私は、二重敬語に「あたる」と考えます。 敬語であるかどうかは、その構成要素を取り上げて分析するだけでなく、その表現が、時代感覚の中でどのように位置づけられて使われているかを基準とすべきです。 例えば「ご苦労さん」は、現代では、あまり敬語として用いられているとは言えません。これに対して「ご苦労さま」は、敬語の度合いが高いと思われます。 しかし「お疲れ様」が多く使われるようになってくると、「ご苦労さま」は、これよりも「格下」の扱いを受けるようなりました。例えば、上司の労に感謝するとき「ご苦労さま」では、少し「ぞんざい」に聞こえます。 ここで「疲れ」と「苦労」は同等ではないか、という「部品の議論」を持ち出しても、役に立ちません。 「お疲れさまでした」は、敬語として何ら不足を感じませんから、これに「ございました」という敬語を付加すると、私の感覚では、明確に「二重敬語」と感じます。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 文法的におかしいとは思わないのですが、お疲れ様でございました、と言われると感覚的に違和感を感じてしまうんです・・・(>_<) ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • Ishiwara
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回答No.6

#2,4です。 #1,3,5さん。ありがとうございました。 自分が受益者であれば「お礼」でいいわけですが、受益者でなくて、単に目上の人の労をねぎらいたい、ときは「要注意」ということですね。 国語審議会や国語研究所が「ねぎらうのは失礼だ」という見解を持っているわけではなく「ねぎらうのは失礼だという見解を持っている人もいるから気を付けよ」という見解なのですね。すると審議会や研究所の見解は(代案を示さず、表現よりも行為の問題としているのですから)「相手の労には触れずに別れるのがベスト」と言っているものと解釈されます。 これが多数の現代人の感覚に合うかどうかは、おおいに疑問が残ります。「ことばシリーズ」の歯切れの悪さは、最初から感じていたところです。私は、今後もたぶん「ねぎらう」ほうに回ると思います。トシをとって「目上」が少なくなってしまいましたので。 しかし、資料問題としては、たいへんスッキリしました。重ねてお礼申し上げます。

回答No.5

お答えします。 まず、「敬語の指針」(文化審議会国語分科会敬語部会答申 平成19年2月2日 下記URL)45ページからのコピーです。●●~●●の部分が該当部分です。これは、現在の敬語使用の現状を踏まえた上での公的指針ということで、「ねぎらいは、上位者から下位者に向けたものとなる」という原理を踏まえた上で、「お疲れ様」は現代ではもはや「ねぎらい」の言葉ではないので上位者に向けても使える、という立場に立っています。ここでは、「ご苦労様でございました」や「お疲れ様でございました」といったものも認めていますが、#3でも書いたように、私もこの言い方には違和感があります。 ●●3 「ねぎらい」と「褒め」の問題 【27】時間外に仕事を教えてくれた上司に「どうも御苦労様でした。」と言っ たら,「御苦労様はないだろう。」と笑われてしまった。それで,書類作成 に追われた上司が帰る時には「御苦労様」以外の言い方を考えてみたのだ が,適切な表現が浮かばず,そのままになってしまった。そういう気持ち を表したい場合には,どうすれば良いのだろうか。 【解説1】仕事について教えてくれた上司に対しては,「どうもありがとうございました。 (大変助かりました。)」と感謝の表現にすれば良い。また,書類作成に追われた上司 に対しては,「(本当に)お疲れ様でございました。」などと言えば良いだろう。 【解説2】「御苦労様」は,基本的には,自分側のために仕事をしてくれた人,例えば, 配達をしてくれた店員などに対して,「ねぎらい」の気持ちを込めて用いる表現であ る。(なお,このような場合に「お疲れ様」と言うのは不自然である。)ねぎらいは, 上位者から下位者に向けたものとなるため,目上の人に対しては,「御苦労様(でし た)」を用いない方が良い。 これに対し,「お疲れ様」は,「ねぎらい」の気持ちを込めて使われる表現ではある が,一緒に仕事をした後など,お互いに声を掛け合うような場合にも多く用いる表現 である。(なお,このような場合に「御苦労様」と言うのは不自然である。)そのよう な状況であれば,「お疲れ様」ではなく「お疲れ様でございました」などを用いると いうような丁寧な言い方であれば,だれに対しても使える表現である。したがって, 仕事上の上司であっても使うことができる。 要するに,時間外に仕事を教えてくれた上司に対しては,「御苦労様でした」とい うねぎらいの言葉ではなく,「ありがとうございました」と感謝の気持ちを表す言い 方に変えた方が良く,一緒に書類作成に追われていた上司に対しては,「お疲れ様で ございました」と,気持ちを込めて表現すれば良いわけである。 ただし,このような定型的な表現ではなく,例えば「おかげ様で仕事が少し分かる ようになってきました。」などと,別の観点に立った表現を使うことで,上手に自分 の気持ちを相手に伝えることも可能である。●● 次は、「新『ことば』シリーズ17 言葉の『正しさ』とは何か」(国立国語研究所 平成16年)111ページからの引用です。同じく●●~●●の部分です。【 】内は私が付けた補注です。 ●●「御苦労さまでした」も「お疲れさまでしたも」【目上の人に対して用いるのは】良くないという意見の場合、さらに別の言い方なら良いという人もいるかもしれません。しかし、もしかすると、言葉の選び方よりも〈目上の人をねぎらう〉という行動自体にそもそも問題があるという考え方があるのかもしれません。 人をねぎらう上では、相手のしたことを「大変だったろう」と考えることが前提となります。それは言わば、一種の評価を行うことを意味します。日本では、「評価」とは上司から部下へ、先生から生徒へなど、上から下へ行うものと考えられがちです。そのため、ねぎらう、ほめるといった評価を前提とする行動を目上の人に対して行うことで、生意気な印象を与える恐れもあります。仮にそこまでいかなくても、やはり対等の立場に対する場合より、表現の仕方などに気を遣う必要が出てくるでしょう。●● さらに次のURLは、NHKの「気になる言葉」です。このコーナーは、二重敬語の定義などで、間違いもけっこうあるのですが、参考までにどうぞ。 http://www.nhk.or.jp/a-room/kininaru/2004/index04.html ほかにもいろいろあったはずなのですが、手元の資料ですぐ見つかったのは以上です。本格的な論文もあったと記憶していますが、すぐには見つけられません。残念ですが。

参考URL:
http://www.bunka.go.jp/1kokugo/pdf/keigo_tousin.pdf
  • Ishiwara
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回答No.4

#2です。 私は、昭和1ケタ、つまり高齢者世代ですが、これまで「目上の人にねぎらいの言葉をかけるのは失礼」という感覚も知識も持っていませんでした。#1,3さんのご主張の根拠(文献とか)を教えていただけませんか。 また、#1,3さんが、目上の人をねぎらいたいと感じたときは「ほかの表現を使う」とのことですが、具体的にはどう言われるのでしょうか。 自分が受益者であれば「お礼」になりますが、受益者でないと「お礼」はおかしいので、やはり「ねぎらい」になってしまうと思いますが。

回答No.3

#1です。 >>文法的におかしいとは思わないのですが、お疲れ様でございました、と言われると感覚的に違和感を感じてしまうんです・・・(>_<) こちらをお聞きになりたかったのですね? それはこういう理由によります。 「お疲れ様」にしろ「お疲れさん」にしろ、あるいは「ご苦労様」にしろ、すべて、ねぎらいの言葉であり、また言葉の働きからすれば「挨拶言葉」、文の成文からすれば独立後になります。どのような言葉が挨拶言葉になるかは、主に慣用によります。例えば、 Aおはよう。おはようございます。→両方○ Bありがとう。ありがとうございます。→両方○ Cこんにちは。こんにちはでございます。→前者は○、後者は不自然 Dさようなら。さようならでございます。→前者は○、後者は不自然 以上から、形容詞を語源に持つ語(AB)は「ございます」がついて丁寧の度合いが増し、正しい用法として用いられるのに対し、後者は語源が形容詞ではないので、あとに「ございます」を付けると不自然である、といえます。慣用として、形容詞以外の挨拶言葉である「お疲れ様」に「ございます」が付くと不自然、あるいは過剰な感じがするのです。 もちろん、あなたがお感じのように「お疲れ様でございます」は不自然です。その理由は二重敬語であることにではなく、上記のように、挨拶言葉の使われ方に求められます。 また、「お疲れ様」「ご苦労様」を、誰(どのような立場の人間)に、どのような状況で使うかについては、今、まさに揺れており、結論は出せません。 ただ、次のような歴史的経緯は知っていてもいいでしょう。 ・ねぎらい言葉(すべて)を目上に使うべきではない、というのが伝統的な考え方。「ねぎらい」というのは一種の評価であるが、目下は目上を評価すべきではないという価値観が根底にある。(戦後間もない頃まで) ・しかし、目上をねぎらう文化も次第に広まり、「お疲れ様」を用いることになった。この時点で、「お疲れ様」は目上に使えるが、「ご苦労様」は目上に使えないという”常識”が生まれた。(戦後~) ・「お疲れ様」だけでは足りないような感じがするので、それに「ございます」という丁寧語をつけるようになった。 現在でも古い文化にこだわる人、言葉に関し保守的な人は、目下と思っている人にねぎらいの言葉をかけられると、「無礼な!」と不快に思うでしょう。 私自身は、文化も言葉も時代に伴って変化していくものだと考えていますが、他者を不快にさせるのはまずいので、なるべくほかの表現を使うようにしています。

回答No.1

敬語研究者の考える二重敬語には当たらないと考えます。 専門家による二重敬語の定義を単純化すれば、「一つの語に同種の敬語を二つ以上用いた言い方」、ということになります。 例「聞く」→「お聞きになられる」・・・「聞く」という一語の動詞に、「お~になる」という尊敬語の一般形と、尊敬の助動詞「れる」を用いており、これは二重敬語である。 それに対し、ご質問の「お疲れ様でございました」の原型(常体)を考えると、「お疲れ様」という一語相当の連語(挨拶言葉として独立語となることから感動詞とも、「だ」を下接して「お疲れ様だ」などと叙述性を持つことから形容動詞の語幹相当部分とも考えられる)と、「ある」の丁寧語「ございます」を合わせたもの、ということになります。 その語形からすると、形容動詞の連用形「お疲れ様で」に補助動詞「ございます←ある」がついた形、と考えるのが、取りあえず合理的です(品詞分解について自説に固執するつもりはありませんが。) よって、元の形は「お疲れ様」と「ある」という二つの内容ですので、敬語が用いられているのは「ある」の丁寧語化だけ、ということになります。仮に、本当に仮に「お疲れ様」を敬語考えた場合も(そうではない、と自信を持って言えます。これは、語源は「お疲れ」及び「様」という語が示すように尊敬語ですが、現在ではねぎらいの語であって敬語と関係は深いが敬語そのものではありません)、丁寧語ではありません。 NHKの言葉おじさんのコーナーや、新聞の社説など、少し権威のありそうなところが、今述べた定義とは違って「二重敬語」の話題を持ち出したり、その独自の理論で特定の言い方をあげつらったりするので、我々もつい迷いがちですが、私は専門家の言うことをこの場合は支持したい(事大主義といわれるかもしれませんが、この問題に関しては専門家の考えの方が合理的だと思うのです。)と考えます。 なお、先日(2月2日)、文化審議会国語分科会敬語部会が文化庁に答申した「敬語の指針」のURLを下に記しておきます。その29~31ページのあたりをご覧ください。

参考URL:
http://www.bunka.go.jp/1kokugo/pdf/keigo_tousin.pdf
gray_zone9
質問者

お礼

敬語の指針 見てみます。 ありがとうございました。