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(長文)弁証法の意味を自分なりに解釈してみました。合っているかどうか教えてください。
【ある家庭で、家族が何のルールもなく無秩序な生活をしていました。何のルールもないので、家の掃除もせずゴミの廃品回収にも出さずにその家はゴミだらけでした。 そこで「毎日みんなで掃除しよう」という意見が出ました。「めんどくさい」という反対意見も出ましたが、みんなで話し合い最終的に「掃除当番を作って、その日の当番の人に掃除する」という結論に達しました。 しばらくすると「その日、掃除当番なのにサボったやつがいる」という問題がおきました。その人には「罰として、別の日にさらに掃除をしてもらう」という結果になりました。 これを繰り返していくと何のルールもなかった家庭が、秩序のある家庭となり、前以上の立派な家庭になりました。 これが人間社会に当てはまり、無秩序な社会が時代の流れとともにしっかりした国や社会が出来上がる。】 この流れを弁証法と言うのでしょうか?違っていたら、何か例えて教えてください。 ただ、調べていくと「正」「反」「合」といった3つの言葉が出てきて、とても混乱しています。 一つ一つの言葉の意味が(正しい事、その正しいことの反対意見、その二つのことを考えて出来上がった事なんでしょうか?)分からないからだと思います。 そこで、みなさんにとても分かりやすく教えていただけると本当にうれしいです。よろしくお願いします。
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弁証法とは、「事物はたえず変化している」と見ます。 問題は、その変化の諸法則が弁証法の核心です。 (1) 異なる傾向の存在が変化の根本原因であり、 (2) その変化は、量的な変化の蓄積が質の変化を引き起こされることで達成される。 (3) そうして出現した新しいステージも永遠普遍ではなく再び別のステージに移行する。 が、弁証法的な物の見方・考え方かと思います。 掃除をしない傾向と掃除すべしとの傾向のバランスで前者が優位な状況。 この2つの傾向の存在が変化の根本原因。 これに対し、掃除すべしとの傾向が色々のルールの導入で蓄積される。 その蓄積の量がある水準に達したことで、秩序のある家庭という質を出現させた。 こうして出現した秩序のある家庭も、あくまでも、現状の諸条件を前提としたもの。 いずれ、それ自体も新たな矛盾を内包することで変化過程に突入することになります。 まあ、質問の文面は、このように書き換えることが可能かと思います。 これを社会に当てはめれば、一見、安定している日本社会も異なる傾向の対立物の統一体。 富を産み出す仕組みはますます社会性を帯びてきています。 が、依然として富は工場や資本を持つ人々が私的に管理しています。 この生産の社会化と領有の私的性の矛盾が、格差社会の本質。 これらの矛盾は、領有の私的性を支える仕組みを覆す取り組みの蓄積によって止揚されるであろう。 まあ、質問の文面の結びは、このように書き換えることも可能かと思います。 とにもかくにも、営業マンが幾ら稼いでも本社の金庫に入ってしまえば、それは出資者のものです。 平たく言えば、稼いだ者と稼いだ儲けの所有者が違うという矛盾の中に我々は暮らしています。 この矛盾の止揚の方向性を探る武器が弁証法という訳です。
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- duckoo
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ゴミ出しのルールの例はともかく、「正しい事、その正しいことの反対意見、その二つのことを考えて出来上がった事」というのは、あながち間違いではないと思います。 ただやっぱり、私も本当に理解しているのか結構怪しいんですが、「正」「反」は比較的わかりやすいと思うんです。でも、問題は「合」です。私はこれを、正・反の次元とは異なる次元における全体的な統一、と理解しています。 たとえば、ヘーゲルの「精神現象学」にも似たような例があるんですが、「生」と「死」という相反する二つの概念がありますが、これはそれらとは異なった次元である「生命」という次元において全体として統一されていると考えます。 絶対に死なない方法は、生まれないことなんです。しかし、生まれないことには、そもそも生はありません。生まれるということは、いつかは死ぬということ。そう、「生命」というのは、「生まれ」かつ「死ぬ」ことです。「生」だけを、あるいは、「死」だけを見ているという次元では、それらは相反することでしょう。しかし、それらとは異なる次元「生命」においては、それらは全体的に統合されているのです。 というようなことだと、私は理解していますが、いかがでしょう?
お礼
かなり漠然としてはいるのですが、 なんとなくの感覚でしか分かりませんでした。 もう一度考えてみたいと思います。 ありがとうございました。
- somethinel
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「正」「反」「合」の「正」とは、正しいという意味ではないのでは? 「テーゼ」(英語でテーマ)が存在し、対立する「アンチテーゼ」が生じ、両者の葛藤から「アウフヘーベン」(止揚)がおこり、新たな「テーゼ」が生まれ次の次元へ変化・発展していくといったもので、歴史認識の中で、ヘーゲルが提唱したものだった気がします。 私も何しろ、高校時代の倫理社会と大学時代の哲学の記憶を参考としているので、きっと間違っている部分もあるかと思います。 Wikipediaで調べてみれば? ちなみに、「弁証法」にもいろんな意味があります。ギリシャ時代は、討論術のようなもののことを指していたようですね。
お礼
somethinelさんもありがとうございます。 こちらも参考になりました。
お礼
s_huskyさん、ご回答ありがとうございます。 正直、はっきりとは理解できませんでしたが 少しずつやっていきたいと思います。 ありがとうございました。