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勉強の必要性

なんで勉強するの?と思う人はよくいると思うんですが。 まあ小中学校のはまだいいとして、高校からは相当どうでもよくなってくると思いませんか。 大人になったらまるで忘れているものを、なぜここまでやるのやら・・・という感じです。 理由を教えて頂ければありがたいです。 随時返信していきます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.14

>大人になったらまるで忘れているものを、なぜここまでやるのやら・・・という感じです。 同じように感じている人は沢山いると思います。 だから学校での押し付けを減らして、その人の 将来にあった勉強を、自由にやってもらう時間を 増やそうというのが「ゆとりの学習」というやつ だったのですが。 >理由を教えて頂ければありがたいです。    今の日本の教育制度というのは、明治時代に できたお役人育成、選抜制度をそのまま ひきずったもので、要は、東大を出て、優秀な お役人になることを一番の理想とするものなん です。  お役人なら、日本の古い文献も読むことがある ので、古文や漢文の知識も必要ですし、外国 の文献も読む必要があるので、当然英語なんかも やるわけですが、魚屋のおじさんになるのに こんな知識は必要ありません。  教養として知っていたほうがいい場合もある ということなら、本人の自主性を高める方式に して、試験で成績をつける必要などないはずで、 さらに教養としてなら、やったほうがいいことは まだまだ沢山あるんです。例えばラテン語とか 現代数学とか、そそ、心理学とかね。  本人の自主性を高めるための、第一段階が 「ゆとりの教育」だったはずなんですが。  みんなが優秀なお役人を目指しているわけでは ないのに、何で現在のような制度が残っているかと いうと、国を動かしているお役所が、まだまだ 東大中心で、日本の経済を動かしている大企業が このお役所と一緒になって動いていることが多いので、 企業内の人事評価にも、まだまだお役所的な ところがあるためです。  つまり、日本の社会で生きていく限り、 学校の成績といった、お役所的な評価が どこかしらついて行くものなんです。  一個人の成長を考えたとき、現在の 日本の教育内容は、不適切、あるいは不要な 点が多いのですが、こういった画一化された 教育制度と、試験といった評価制度があると、 お役所を中心とした日本の社会では、 社会人としてその個人を評価、選別しやすい んです。  社会に出てから、本当に好きなことだけ やって生きて行かれる人はごくわずかで、 大半の人たちは、興味がなくても、自分が 就職した会社の業務を覚え、仕事をして 行くことになります。  興味がなくても、与えられた仕事を どれだけこなして行けるかという 能力評価というのは、まさに今の 学校教育とその試験制度なんです。  ★中途半端な知識、成績というのは   本人にとっては意味のないものですが、   評価する側からすれば、この人間は   こういった能力に劣るから、こういった   仕事は任せられないという評価として   使えるわけです。     勿論、こんな環境ではよくないと 思う人たちは沢山いるのですが、 そもそも今の学校の先生たちが このお役所的評価制度の中に 組み込まれて生きているので、 これまでと違った制度というのが理解 できないため、「ゆとりの教育つぶし」 のようなことが、学校現場から出てしまい 改善が進まないんです。    

laieo
質問者

お礼

非常に参考になる意見です。 なかなかシステムが改善されない理由についてもよくわかりました。 他の方はグダグダと間違った意見ばかり並べて(しかもなぜか怒って?)説明してくるので困ってました。 勉強というシステムがあまりにも根深く身についてしまったので彼らは勉強の必要性を疑うことなく自分で勝手に納得して必要なものだと間違った意見で思い込んでしまってるんですよね・・・。 回答ありがとうございます。

その他の回答 (15)

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.5

社会がどんどん複雑になっているので、知っておくべき事はどんどん増えているということは言えるでしょう。 ほんの20年前までは、コンピュータを使うのはコンピュータの専門家しかいませんでした。 しかし、今では、PCのない会社をさがすほうが難しいでしょう。 一般のユーザーは、PCハードのことも、ソフトウェアのことも、専門家ほど詳しく知っている必要はありませんが、基本原理や、数式・関数の初歩的な知識がないと、「宝の持ち腐れ」状態です。 安全な食物を見分ける知識、環境に配慮した生活や経済活動のための知識など、少し前なら考えられなかったような教養が次第に必要とされています。 ただし、それが実感できないのは、日本の教育が、いまだに「受験でしか通用しない内容」をたくさん含んでいるからでしょう。 >大人になったらまるで忘れているものを、なぜここまでやるのやら・・・という感じです。 という感想もごくごく当たり前だと思います。 今までわからなかったことがわかったり、できなかったことができるようになるのは、本来それだけで楽しい活動だと思います。 テストで人と人をランクづけするための活動になってしまっている部分を変えなければ、学ぶことの本来の楽しさは実感できないかもしれませんね。

laieo
質問者

お礼

「基本原理や、数式・関数の初歩的な知識」「安全な食物を見分ける知識、環境に配慮した生活や経済活動のための知識」など仰ってますが、そこらへんは中学レベル・あるいは学校以外で学べるようなレベルだとは思いませんか? 高校のはあまりにも必要ない部分に踏み込みすぎでは、と思ったんです。 NO.3/4さんの理由がなかなか的確で、少し納得できはしましたが。 もしかするとNO.3/4さんの理由が勉強する100%の理由なのかもしれません。

回答No.4

わからない事に挑戦ためですかね。 勉強していてわからないことがあるように、人生にもわからないことがいっぱいあります。 いま勉強することはわからない事に対してどのように取り組んでいくかを練習しているようなことかも知れません。 もちろん、わからないことがずっと続くのは退屈かもしれません。 でもわからなかったことが理解できたときの嬉しさや、楽しさがありますよね。 わからないことはいけないことではありませんが、学生時代にわからないことを十分に楽しんでおくことも悪いことではないと思いますよ。

laieo
質問者

お礼

もしかしたらそういう意味合いもあるかもしれないですね。 NO.3さんの、頭を鍛えておくというものに近くて納得いく理由です

  • pocorino
  • ベストアンサー率39% (214/544)
回答No.3

筋肉のトレーニングと一緒で、脳みそもトレーニングすると鍛えられて、神経の繋がりが良くなり、高速で判断できたり、物覚えが良くなったりします。 これって、社会人になってからも重要ですよね。 教科書の内容を覚えるのは、トレーニングの素材・目安です。 学生時代に鍛えておけば、社会人になってから脳を鍛えなくなっても、結構その高い能力を維持できます。 とてもお得です。 逆に、鍛えていない脳を30歳すぎになってから鍛えるのは無理です。 損している若者が多いです。

laieo
質問者

お礼

それが最も的確な勉強する理由かもしれないですね。 それは確かにあると思います。

  • zap35
  • ベストアンサー率44% (1383/3079)
回答No.2

おじさんです。そうですねぇ、私も社会人になってから三角関数を使ったことは数えるほどしかありませんし、一番役に立っている数学は三角形の三辺の定理(二辺の和は他の一辺より長い=道路は斜めに横断する方が歩く距離は短い)です。 なぜ高校で勉強が必要かと聞かれると「将来必要とされるかもしれないから、それに備えている=自分の将来への投資」ということでしょうか。ここでいう「将来必要」は広い意味で大学受験も含みます。 高校生のような若い人は「将来の可能性」はいっぱい持っています。その可能性の中には「学者になってノーベル賞を取る」「銀行家になって高い給料をもらう」「設計士になって大きなビルを建てる」などあるかもしれません。でもこれらの可能性を実現するためには、それぞれに求められる知識、資格などが必要になります。また個人で商売するにしても農業をするのでも最低限の法律、経理、農学などの知識は必要になります。 必要な知識、資格を習得する条件が「大学入学」でなのであれば少なくとも大学入学のために勉強しなくてはなりませんし、大学に行くことが「必要条件」ではない場合でも、将来「知識がないために損をする」ことを防ぎたいのであれば、勉強は将来への投資になります。 高校を出たら「大きな目標も持たず、手近な会社でサラリーマンをすればよい」と割り切れるなら勉強はほどほどでも良いのかもしれません。 (それはそれで一つの可能性ですから、否定はしませんよ)

laieo
質問者

お礼

まああなたが仰る三辺の定理とかは小中学レベルの問題ですよね。 中学までは一応常識という意味でも必要だと思うんです。 しかし高校のはいくらなんでも無駄に深めすぎでは・・・としか思えないのですが。 NO.1さんのお礼にも述べたように、将来必要とされる職業につく可能性もあります。しかし、職業の数から考えても逆に必要とされない職業につく可能性の方が遙かに高いわけですよね。 「あのとき学んでおいて良かったなぁ」と「あのとき学んだ事役立たなかったなぁ」では、圧倒的に後者の方が多いとしか思えません。

  • ra_ichi
  • ベストアンサー率37% (52/139)
回答No.1

自分が将来やりたいことが見つかった時に、力になるからです。 例えば通訳になりたくなったとします。 もし、それまで英語を頑張っていたら、思った瞬間から頑張るより、遙かに楽です。 それと同じです。 全ての科目が何らかの役に立ちます。 数学が嫌いでも数学の勉強をしたくなるかもしれませんし、考古学者になるたくなるかもしれません。 勉強しないのは、将来の自分への可能性を低めることだと思います。

laieo
質問者

お礼

それは違うと思うんですけど。 通訳になりたければ確かに英語を習ってた事が役立ちます。 数学者になりたければ、考古学者になりたければ、物理学者になりたければ、確かにそういうのは役立つでしょう。 しかし、それは逆も又然り。 自分は心理学こそ何より優先すべき学問で誰しもが拾得しなくてはならないものだと日々感じていますが、それは大学で、しかも希望者のみしか学ぶことができないですし、例えば建築家になる人、プログラマになる人、ミュージシャンになる人、など、高校で習うような高レベルな教科はこれっぽっちも役立たないような職業は、役立つ職業より遙かに多くあるはずです。

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